CULTURE

CULTURE

【連載】大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ第四回「ゼロから作り上げた初の一人芝居奮闘記」

心をわしづかみにされた一人芝居「ガブリエリアーナ」

一人で複数のマスクをつけ変えながらキャラクターやストーリーだけでなく、自在に客席の笑いをコントロールする。それが、コメディア・デラルテの一人芝居バージョン「ガブリエリアーナ」だ。
舞台上にマスクや衣装、小道具を置き、それらを役者が付け替えるのも舞台上。いわゆる「見せ転換」で次々にキャラクターを演じ分ける。演劇でありながら身一つで観客を楽しませることができる。そんなパワフルな舞台をする、後に師匠になる男の姿を見て心から感動した。

俺もいつかこれをやるんだ!!」と固く心に誓った。

なんて事ではなかった。
単純にコメディア・デラルテを一緒にやってくれる人がいなかったから、必然的にガブリエリアーナだっただけなのだが、今となって見れば一人芝居で全キャラクターをやって、作演出もしたことが本当に良かった。 

正確に言えば、私が初めて一人芝居をしたのは2007年。イタリアに渡る前なのだが、それはコメディアの要素も入ってはいたが、ガブリエリアーナとは全くの別物だった。イタリアで学び、帰国後に事務所のボスであった大杉漣さんにありがたいお言葉を頂いたのが、今の僕の団体の第一歩だったと思っている(連載第一回を参照)。よくもまぁ、一人で始めたものがここで連載させてもらえるまでになったなぁと思うのだが、思えばその時の公演も沢山の人に助けられた。

コメディア・デラルテの一人芝居をやると決めた私は、安くてお客さんと一体感を持てる空間を探していた。私の一人芝居を一度でも見てくれた人はわかると思うのだが、コメディア・デラルテでは直ぐに演者が客席に降りてお客さんと絡むので、「自分のところには来ないで!!」というドキドキ感と一体感がとても大切なのだ。

当時の大塚ヒロタ一人芝居自作フライヤー当時の自作フライヤー

手探りの中、一人芝居の準備をスタートしたが・・・

しかし、その公演は「映画より安く誰でも楽しめる演劇」をテーマにしていたのでチケットは1,500円。そんな値段設定では、劇場はどこも予算オーバーだった。そんな時、当時の所属事務所からほど近い場所に、スナックの居抜きのような格安のスペースを見つけた。劇場ではないので音響や照明設備は簡易的なものであったし、まず客席や舞台がなかったが、身一つあれば楽しませられるコメディア・デラルテには自信があった私は、直ぐにそのスペースを抑えた。

当時の大塚ヒロタ一人芝居舞台設営風景当時の舞台設営風景

スタッフなどいなかったので、自分で抑えた稽古場で台本を一人で書き、稽古ももちろん一人でした。すなわち自分が考えたコメディを全身全霊で、一人で稽古場でする。しかし、それを見てくれる人はいないので反応はなく、ただただ大汗をかいた自分だけが稽古場にたたずむ、という謎の時間の繰り返し。それが面白いのか面白くないのかもわからないまま、怒涛の時間が過ぎた。それでもお客さんを巻き込んでみんなと大爆笑するものを、と必死に稽古した。

本番の数日前だったろうか、あることに気づいた。

「照明と音響は誰がやるんだ?」

今から考えればとんでもなくずさんな運営だが、コメディア・デラルテの特性上、極端に言えば道端でもできるものだったので、その程度にしか考えていなかったのだ。(言い訳を言うなら、イタリアでやってる時は何事もこんな感じだった。笑)それだけでなく、当日客席や舞台を作るのを手伝ってくれる人、受付をしてくれる人などもいないことに気づいた。もちろんプロを雇うお金はなかった。

・・・うん、なかなかやばい状態だ。

そんな時は、数々の人間ドラマが生まれる。次回をお楽しみに。

大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ連載記事はこちら

イタリアの情報が満載のメールマガジン登録はこちらをクリック