今年も大盛り上がりのミラノ・ファッションウィークが終わった。これまでワカペディアチームはプラダの新コレクションや、『プラダを着た悪魔2』でミラノがフォーカスされたワケなど、新たに盛り上がりを見せるミラノのファッションシーンを取り上げてきた。だが、華やかなスポットライトの裏には、いつも生々しい実態が潜んでいる。なにせ「見栄っ張り(Bella Figura)」の哲学が息づく国、イタリアなのだから。
「メイド・イン・イタリー」が迎えた転換期
近年、ミラノのラグジュアリー業界が直面しているのは、華々しいブランドイメージとサプライチェーンのリアルとのせめぎ合いだ。代々受け継がれる職人技を誇り、世界中を魅了してきたイタリアの手仕事の伝統。しかし近年、司法当局によるサプライチェーン監査が相次ぎ、一部の下請け工房における過酷な労働環境や低賃金の実態が明るみに出たことで、業界全体に大きな衝撃が走った。
ファッションはイタリアのGDPの約5%を支える国家的基盤であり、文化の誇りそのもの。それだけに、国を挙げた手厚いプロモーションやファッションウィークの熱気には、「メイド・イン・イタリーの威信と正統性を何としても守り抜く」という、国の誇りを守るための強い覚悟がうかがえる。だが、華やかなランウェイの歓声のなかで、業界はいま「真のラグジュアリーとは何か」「倫理的なものづくりとは何か」という、かつてない重い問いと向き合っているのだ。

国連よりガラディナー?政治家たちのこだわり
政治家たちのこだわりもユニークなのがイタリア。ジョルジャ・メローニ首相は、各国首脳が集うニューヨークの国連総会をあっさり欠席し、副首相兼外務・国際協力相を代理で送り込む一方で、ミラノ王宮で開催されたファッションウィーク開幕のガラディナーに優雅に姿を現した。
「国連をサボってパーティーか」と野党からの批判は免れなかったものの、国内経済の大きな柱であるファッション産業へのきわめてイタリア的で戦略的な優先順位の現れとも言えるだろう。単純にパリピなわけでも生粋のファッショニスタなわけでも決してない。

一方、ニューヨークへ飛ばされたアントニオ・タヤーニ副首相兼外務・国際協力相は、出発直前のインタビューで「息子の嫁には、スカートの丈が少し長い真面目な女性を選ぶように言っている」という、2026年にもなって飛び出した化石のような発言でネットのおもちゃになっていた。
そして皮肉なことに、その直後に行われたPRADAのショーで、ミウッチャ・プラダが提示したのはミニスカートと膝丈のスカートの対比だった。女性の身体や生き方を古い物差しで測ろうとする権威をあざ笑うかのように、女性自身が選び取る美しさの定義をプラダは突きつけてみせたのだ。
これは国がファッションを巻き込んでバズるために計算しつくされたシナリオか?それとも奇妙な偶然なのか?

服なしロボットまで登場?!Vogue Worldが描いた「ものづくり」の未来
極めつきは、歴史あるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を貸し切った「Vogue World 2026: Milano」だ。モードの最高峰が仕掛けたアヴァンギャルドな演出に、世界中の期待が高まっていた。今回のテーマは、ルネサンスの職人技から工業化、そしてAI時代へと至るイタリアのものづくりの系譜を辿ること。手仕事と機械、伝統と革新の対話を描く壮大なスペクタクルに、世界中の視線が集まっていた。
フロントローにはドナテラ・ヴェルサーチやアレッサンドロ・ミケーレ、ミウッチャ・プラダ、デムナといった現代モード史を牽引する顔ぶれが並び、サプライズ登場したジェニファー・ロペスが会場の熱気を最高潮へと押し上げる。

しかし終盤、ランウェイに現れたのは、布すら纏わない4体の人型ロボット(中国・宇樹科技製)だった。イタリアのダンスミュージック界の重鎮DJジジ・ダゴスティーノの名曲『L'Amour Toujours』のインダストリアルなテクノビートに合わせ、無機質なボディでぎこちなくリズムを刻むロボットたち。この光景をただただ無表情で見つめ、拍手をおくらなかったアレッサンドロ・ミケーレ、ミウッチャ・プラダの様子は、すぐさまSNSを通じて世界中で大きな議論を巻き起こした。
刺繍や織物、仕立てといった人間の技術を称えてきたショーのクライマックスに立っていたのは、モデルでも職人でもなく、服すらまとわない機械だった。ルネサンスから続く職人文化を祝福するはずの舞台で、最後に主役となったのは中国企業製のロボット。
未来への賛歌として受け取ることもできるだろう。しかし同時に、それは「いま最も価値を生み出すのは職人技ではなく、資本とテクノロジーなのではないか」という耳を塞ぎたくなるような問いも投げかけていたように思える。
美という名の演出力
サプライチェーンが抱えるリアルな影。時代錯誤とも受け取られかねない政治家の発言。そして、服を着ないロボット。
今年のミラノ・ファッションウィークが映し出したのは、美しさそのものというよりも、イタリアという国が持つ圧倒的な演出力だったのかもしれない。職人技を守ろうとしながらテクノロジーを歓迎する。伝統を誇りながら未来を語る。保守的な価値観と創造性を同じ舞台の上に共存させる。本来なら矛盾しそうな要素を、イタリアは不思議なほど自然にひとつの物語にまとめあげてしまう。
もちろん、その裏側にある現実が消えたわけではない。ラグジュアリー産業を支える労働者たちの存在も、政治家たちの発言が引き起こした違和感も、クラフトマンシップとテクノロジーをめぐる問いも、そこにあり続けている。
それでも人々は、現実よりも物語に魅了される。歴史ある建築、世界的スター、華やかなランウェイ、そして巧みに演出された未来像。不都合な現実ですら、美というヴェールをまとった瞬間、別の姿に見えてくる。
美しく装うことで、人々は何から目を逸らそうとしているのか。
スポットライトが消えたあとのガレリアを見上げながら、その問いを、まだひとり噛みしめている。