Copy link
bookmarked-checked-image

5月23日が残したイタリアの影を見つめる。私たちは何を知るべきなのか?

Wakapedia

2026.06.01

美食とワイン、ルネサンスの名画はもちろん、陽気で時にドラマティックな感情を爆発させるマンマ。そして、絶妙なパンツ丈のすき間からくるぶしをこれ見よがしに主張してくるちょいワル親父。イタリアは、日常のどこを切り取っても生きることの喜びがあふれている。


しかし、イタリアには、もうひとつの真実がある。それは、現在のイタリアの土台となった、多くの犠牲と、市民たちの壮絶な闘いの数々だ。5月23日はイタリアの影の歴史と向き合う象徴の日。学校で特別授業が行われ、テレビではドキュメンタリーが流れ、シチリアの州都パレルモの街には市民や学生が集まって追悼の声を上げる。これは、マフィアの暴力に屈せず未来を信じて立ち向かった人々を思い起こすための、国家の記憶の日だ。


日本では「マフィア」と聞くと『ゴッドファーザー』のような映画を思い浮かべるかもしれない。だが、現実のイタリアが直面してきたのは、スクリーンに写されたロマンとは程遠い、生々しく泥臭い国家の危機だった。


イタリアの華やかな表層の裏に、どんな現実が積み重なってきたのか。その背景に触れると、今も続く葛藤や、イタリアという国を支えてきた闘いが見えてくる。


高速道路を吹き飛ばした軍用爆薬と二人の裁判官の固い絆

1992年5月23日、シチリアのパレルモ空港から市内へ向かう高速道路で、前代未聞の爆発が起きた。軍用地雷や建設現場で使われる産業用爆薬など、1トンもの爆薬が仕掛けられ、道路は地響きとともに吹き飛んだ。国家規模のマフィア壊滅作戦を率いていたジョヴァンニ・ファルコーネ判事は、妻と警護官たちとともに命を落とした。


ファルコーネ判事暗殺の現場
写真: Fondazione Falcone(ファルコーネ財団)。Fondazione Falconeは、1992年のマフィアによるファルコーネ判事暗殺を受けて設立され、反マフィアの記憶を守りながら、学校教育・文化事業・芸術プロジェクトを通じて法の精神と市民意識を若い世代に伝える活動を続けている。

イタリア全土が深い悲しみに沈む中、そのわずか57日後、パレルモには再び悲劇が襲いかかった。ファルコーネと共に反マフィア捜査の最前線に立ち続けたパオロ・ボルセリーノ判事が、母の住むアパートを訪れたその瞬間、入り口付近に停めてあった車に仕掛けられた爆弾によって暗殺された。「二人はパレルモの希望だった」と、当時を知る地元の人々は今も語る。二人の死の後もマフィアによる暴力は止まらず、ローマやミラノにまで広がった。


二人が生まれ育ったパレルモは、当時マフィアの本拠地と呼ばれ、殺人や利権争いが日常化していた。店を開けば売上の数%を「みかじめ料(ピッツォ)」として払わされ、拒めば襲撃される。警察や裁判官でさえ沈黙を強いられる「オメルタ(沈黙の掟)」が街を支配していた。


巨大裁判の法廷
写真: Rai Cultura。「マキシプロセス(巨大裁判)」の法廷。鉄格子の奥にはマフィアの被告たちが収容され、証言中には怒号や鋭い視線が飛ぶこともあった。イタリア中から裁判官が集められ、前例のない規模と厳重な警備のもとで行われた歴史的な裁判である。

そんな街で育った二人は、司法の力を総動員し、数百人のマフィアを同時に裁く前代未聞の「マキシプロセス(巨大裁判)」を実現させる。これは、無敵とされた組織の神話を初めて揺るがした歴史的な一歩だった。


マキシプロセスの中枢となったパレルモ裁判所の地下には、今も当時のまま残る「バンカー(防空壕)」がある。そこは、ファルコーネやボルセリーノがマフィアによる暗殺や内部の汚職を警戒しながら、膨大な証拠書類を守り抜いた司法の要塞だ。現在は、当時を知る法曹関係者が案内する特別ツアーが行われ、判事たちが身を置いた張り詰めた空気と、命を賭してマフィアと対峙した日々が語り継がれている。


マフィアはどこから来たのか?自警団から国家の闇へ

二人が命をかけて対峙したシチリア・マフィアの正式名称は、コサ・ノストラ(Cosa Nostra)。その起源は19世紀、イタリア統一へ向かう激動の時代に遡る。当時、シチリアは本土から遠く離れ、国家の警察力がほとんど届いていなかった。治安を守るために生まれた地主や農民の自警団は、やがて暴力と支配を手にした影の権力へと変質し、これがマフィアの原型となった。


1920年代、ファシズム政権を率いたムッソリーニは、国家に挑戦する存在としてコサ・ノストラを危険視し、徹底的な弾圧を行う。大規模な取り締まりによって、組織は一時、壊滅寸前まで追い込まれた。


しかし、第二次世界大戦が状況を一変させる。1943年、連合軍がシチリアに上陸した際、アメリカ軍は作戦を円滑に進めるため、現地で影響力を持つ人物たちの協力を必要とした。その中には、アメリカで裏社会を近代化したラッキー・ルチアーノ(本名サルヴァトーレ・ルカーニア)の人脈も含まれていた。戦後、その見返りとしてマフィアのボスたちが各地の市長など公的ポストに就き、国家権力とマフィアが結びつく最悪の構造が生まれてしまう。


2007年にCanale 5で初放送された『イル・カポ・デイ・カピ(ボスの中のボスを意味する)』は、イタリアの伝記犯罪ドラマ。シチリアの小村コルレオーネからボスの中のボスへと上りつめたトト・リーナの生涯を描く。

戦後のイタリアでは、マフィアが政治の裏側で影響力を強めていった。なかでもパレルモ近郊コルレオーネ出身のボス、トト・リーナ(本名サルヴァトーレ・リーナ)の時代には内部粛清と暴力が激化し、組織はかつてないほど凶暴化した。


内部抗争や潰し合いが激しくなる中、恐怖に耐えかねた一部の構成員は、刑の減免と保護を条件に寝返り者(ペンティート※イタリア語で後悔している人を意味するが、マフィアの歴史に関する文脈で司法上の意味としては、元構成員で国家や警察へ協力した者を指す)となり、内部情報をファルコーネらに明かした。こうして史上最大のマフィア裁判「マキシプロセス」が実現した。だがその証言は、マフィアと政界の深い癒着も暴き、ファルコーネとボルセリーノはマフィアだけでなく腐敗した政治家からも敵視される存在となった。


『シチリアーノ 裏切りの美学』は、1980年代のマフィア抗争の中で沈黙の掟を破り、司法に協力した実在のマフィア、トンマーゾ・ブシェッタの半生を描く。家族を失いブラジルで逮捕された彼は、ファルコーネ判事に真実を語り、コーザ・ノストラの内部を初めて暴いた裏切り者となる。

​今なおイタリアに残る、明かされない「真相の影」

トト・リーナは1993年に逮捕され、数々の殺人や爆破事件など個別の罪で複数の終身刑(Ergastolo)を受け、合計すると数百年に相当する量刑のまま2017年に獄中で生涯を終えた。また、30年間逃亡を続けた最後の最高幹部マッテオ・メッシーナ・デナーロも2023年にパレルモの病院で逮捕され、同様に複数の終身刑を言い渡された。こうして、かつて恐れられたコサ・ノストラのトップ層は、現代では事実上姿を消した。


しかし、これで一件落着と言えるのだろうか。


1992年の二人の裁判官の暗殺事件をめぐっては、「なぜ国家レベルの警備をすり抜けた情報や軍用爆薬がマフィアに渡ったのか」という疑問が今も残る。マフィアと密かに交渉していたとされる政治家や官僚、利権の恩恵を受けていた現役政治家の影は、現在もメディアで繰り返し取り上げられる問題だ。法廷で完全な立証には至っていないものの、「国家とマフィアの裏取引はほぼ確実」というのが現代イタリアの共通認識となっている。


そして現在、マフィアの影響力は消えたわけではなく、「見えない存在(インビジブル・マフィア)」へと形を変えている。


主役はシチリアのコサ・ノストラに代わり、カラブリア州を拠点とするンドランゲタ(’Ndrangheta)だ。欧州最強ともされる彼らは、莫大な資金を洗浄し、不動産・建設・医療、オリンピック関連のインフラ工事などの合法ビジネスに流し込んでいる。こうした資金の流れはオリンピック汚職とも地続きで、イタリア社会に根深く残る構造的な問題でもある。(詳しくはミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックの記事参照


さらに、農産物の流通を押さえる「アグロマフィア」は、トマトやオリーブといった日常の食材の価格を不当に押し上げ、一般家庭の食卓にまで影響を及ぼしている。インフラから食卓まで、マフィアの影は生活のあらゆる層に入り込み、現代イタリアの市民生活を静かに蝕んでいる。


闇に抗った市民と私たちへのメッセージ

​この目に見えない巨大な闇に対して、武器を持たない市民たちは、それぞれの「表現」を武器に命がけの抵抗を試みていた。ラジオや写真、言葉を通じてマフィアの実態を告発し、多くが危険と隣り合わせで活動していた。その闘いには無数の市民が関わっており、一人ひとりが語り継がれるべき存在である。その市民の闘いを象徴する存在として広く知られているのが、ペッピーノ・インパスタート(ペッピーノは本名ジュゼッペの愛称)とレティツィア・バッタリアである。


ペッピーノ・インパスタートはシチリアの小さな町でラジオ局を立ち上げ、マフィアのボスを実名で批判し続けたが、25歳で暗殺された。その生涯は映画『ペッピーノの百歩』(I cento passi)としても知られている。


マフィア一家に生まれながら沈黙を拒み、海賊ラジオで不正を告発し続けた若者ペッピーノ・インパスタートの実話を描く。舞台はシチリアの町チーニジ。家とマフィアボス宅の距離「100歩」がタイトルの由来。1978年に線路沿いで爆殺され、後にマフィアによる暗殺と認定された。現在も故郷で追悼が続き、記念センターが若者への教育活動を行っている。

レティツィア・バッタリアは、パレルモの反マフィア系新聞 L’Ora(ロ・オーラ)をはじめ、La Repubblica(ラ・レプッブリカ)や Il Corriere della Sera(コリエーレ・デッラ・セーラ)など、イタリアの主要紙で、マフィアの暴力に晒された街の現実をモノクロ写真で記録し続けた。血に染まった現場、怯える裁判所職員、家族を奪われた未亡人たち。当然、彼女のもとには「撮影をやめろ、命が惜しければパレルモを去れ」という脅迫状が何度も届いた。 彼女の作品は現在もヨーロッパ各地の美術館で展示され、世界に強い衝撃を与え続けている。


レティツィア・バッタリアが撮影したロザリア・シファニ
レティツィア・バッタリアが撮影したロザリア・シファニ。1992年のファルコーネ暗殺事件で殉職した警察官ヴィート・シファニの妻。夫の葬儀にて、マフィアに家族を奪われた遺族として深い悲しみを抱える姿が記録されている。

バッタリアのレンズは、マフィアの暴力だけでなく、国家のタブーに触れた表現者たちの姿も捉えていた。映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニの不可解な死は、その象徴的な例であり、真相が明かされないまま今も語り継がれている。(詳しくはパゾリーニの記事参照


ピエル・パオロ・パゾリーニ
レティツィア・バッタリア撮影(1971年)全国紙La Repubblica(ラ・レプッブリカ)掲載。

そして、この闘いの歴史は一般市民だけのものではない。現在イタリアのトップに立つセルジョ・マッタレッラ大統領もまた、マフィアの暴力に家族を奪われた一人だ。1980年、兄でありシチリア州知事だったピエールサンティ・マッタレッラは、政治と公共事業に巣食うマフィアの癒着を断とうとした矢先に暗殺された。血まみれの兄を車から抱き起こし、その最期に寄り添ったのは若き日のセルジョ本人である。


イタリアの大統領は政治の舵取りはしないが、「国家の正義と統合の象徴」として絶大な権威を持つ。肉親を奪われた彼が、今クリーンな国家の象徴として立っていることは、兄の遺志を継ぐ現代イタリアの執念でもあるのかもしれない。


ピエルサンティ・マッタレッラがマフィアに射殺された直後
写真: レティツィア・バッタリア・アーカイブ。パレルモ、1980年にシチリア州知事だったピエルサンティ・マッタレッラがマフィアの殺人者に射殺され、写真中央には彼の弟であり現イタリア大統領のセルジョ・マッタレッラ(当時若手政治家)が血まみれの兄を車から抱き出している姿がカメラに捉えられている。

私たちが楽しむワインや美術館、ファッションの裏側には、見えない闇に抗い続けた市民たちの勇気が確かに存在している。これは遠い国の昔話ではない。どの社会にも、声を上げづらい問題や、沈黙や大人の都合が当たり前になってしまう瞬間がある。だからこそ、こうした歴史を知ることは「過去を振り返るため」だけではなく、自分たちの今をどう守るかを考えるヒントになる。


世界が緊迫する今、知るという小さな行動は、誰にでもできる最初の一歩であり、表面的な沈黙に流されないためのささやかな抵抗でもある。この機会に、スクリーンの物語とは異なる、今も続く現実のイタリアに触れてみてほしい。それはきっと、私たち自身の社会をどう生きるかを考えるきっかけになるはず。