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一枚の絵が語る第82回ヴェネチア国際映画祭

Wakapedia

2025.09.16

夏の終わりはヴェネチアが映画と芸術の舞台へと変わる季節。スクリーンに映し出される物語よりも一足早く、映画祭は一枚の絵から始まった。第82回ヴェネチア国際映画祭(2025年8月27日~9月6日開催)のキービジュアルは、イタリア出身の漫画家・イラストレーター、マヌエレ・フィオール(Manuele Fior)による作品だ。煙突の上に立つ3人の若者が、指で映画のフレームを作り、カチンコを鳴らすその構図は、まるで映画の始まりを知らせているようだった。背景には、18世紀の画家ティエポロを思わせる幻想的な雲が広がり、現実と空想が交差するロマンチックな空が描かれていた。


この一枚に込められたヴェネチア国際映画祭の哲学とメッセージをワカペディアと一緒に読み解こう!



60年代フランス映画好きにはたまらないフィオールの世界観

マヌエレ・フィオールのポートレート写真 (写真: 10point15より)

マヌエレ・フィオールは、今ヨーロッパで最も注目される漫画家・イラストレーターのひとり。1975年イタリア・チェゼーナに生まれ、ヴェネツィア建築大学で学んだ後、スイスで漫画家としてデビュー。建築、絵画、文学が交差するような独自の世界観を持ち、国際的に活躍中。建築・絵画・文学が交差する独自の世界観で、国境もジャンルも軽々と飛び越え、世界を魅了している。


『秒速5000km』より
『秒速5000km』より

マヌエレ・フィオールの代表作『秒速5000km』は、イタリア・ノルウェー・エジプトという、地理的にも心情的にも距離のある3か国を舞台に、3人の男女が20年かけてすれ違う恋愛物語だ。この作品の最大の魅力は、水彩画のように繊細な絵と、セリフ以上に感情がよく伝わる「色」による表現だろう。 「この青は冷たさ」「この赤は情熱」「この紫は…意味深!?」 そんなふうに、色彩が読者の想像力をくすぐり、知らず知らずのうちに心の奥へと入り込んでくる。


タイトルの「秒速5000km」は、ノルウェーとエジプトの距離(約5000km)と国際電話の1秒のタイムラグを掛け合わせた象徴的な表現。そう、恋愛のすれ違いは物理法則より速い。ちなみに、この作品は、2011年にはフランスのアングレーム国際漫画祭で最優秀作品賞を受賞し、瞬く間に世界の注目を集めた。


その後も、哲学的な対話を描いた『インタヴュー』や、オルセー美術館の印象派の名画をモチーフにした『オルセー変奏(Les Variations d'Orsay)』など、ジャンルを横断する作品を次々と発表。The New Yorker、Vanity Fair、Le Mondeなどの大手メディアにもイラストを提供するなど、まさに超売れっ子だ。


オルセー美術館とのコラボレーション作品『オルセー変奏』より

そして、映画好きにはたまらないのが、マヌエレ・フィオールの作品に漂うヌーヴェルヴァーグ的な空気感だ。 自由な構成、建築的で詩的なコマ割り、そして色彩による映画的な視点。 気だるさと沈黙が織りなす情緒の余白に、ナレーションはなく、色が感情を語る。 男女のリアルな距離感を描くその雰囲気は、まるで60年代のフランス映画を読むような体験とも言える。 フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』やジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』が好きな人は、フィオールの世界にも秒速で心を奪われるはず。



海辺で映画を観る贅沢、ヴェネチア国際映画祭って?


ヴェネチア国際映画祭は、1932年に始まった世界最古の映画祭。イタリア・ヴェネチアのリド島という海に浮かぶ細長い島で開催される。海に囲まれたこの島は、リゾート地としても知られ、映画館も備えたまさに映画祭のための理想的な舞台。「海辺で映画を観るなんて最高じゃない?」という創設者たちのロマンから始まったのかも?!


ヴェネチアはアート・ビエンナーレが開かれる芸術の街であり、映画祭にもアート的な感性が色濃く反映されている。そのため、カンヌ映画祭の華やかさやベルリン映画祭の社会的・政治的な色合いとは異なり、芸術性や映像美を重視する映画祭である。詩的で哲学的な作品が好まれる傾向があり、観る人の心にじんわり染みるような映画が集まるのが特徴だ。


第75回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『ROMA』。アルフォンソ・キュアロン監督による、1970年代メキシコを舞台にした半自伝的モノクロ映画で、Netflix配給で、ストリーミング作品として初めて主要映画祭の最高賞を受賞。
第75回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『ROMA』。アルフォンソ・キュアロン監督による、1970年代メキシコを舞台にした半自伝的モノクロ映画で、Netflix配給で、ストリーミング作品として初めて主要映画祭の最高賞を受賞。

実はここで初めて脚光を浴びた作品が、後にアカデミー賞を受賞することも少なくない。たとえば『ジョーカー』『ノマドランド』『ROMA』など。日本映画では、黒澤明監督の『羅生門』、北野武監督の『HANA-BI』が金獅子賞を受賞している。


煙突の上の若者たちと映画の始まりを見つめる視線


ヴェネチア国際映画祭のポスターは、毎年その年の映画的な空気を象徴する問いを投げかけてきた。2025年のビジュアルを手がけたのは、イタリアの漫画家マヌエレ・フィオール。彼が描いたのは、煙突の上に立つ3人の若者たちが、指でフレームを作りながら空を見つめる姿だ。彼らの視線はどこか遠くを捉えていて、まるで映画の始まりを探しているかのようだ。フィオールは「地平線を高く持ち上げ、ヴェネチアの屋根や煙突の上に視線を向けたかった」と語っている。日常の街並みが、ふと幻想の国のように見える瞬間、それこそが映画的な魔法だという。



この一枚には、映画祭が毎年問いかけてきた根源的なテーマが込められている。


「映画とは何か?」


「どこで始まり、どこへ向かうのか?」


「現実か幻想か?」


若者たちの姿は、映画祭に集う若手監督たちの挑戦的な視線と重なり合う。彼らは、まだ語られていない物語の「始まり」を探し、映画の未来を見つめている。


藤元明緒監督の第3作『LOST LAND/ロストランド』。日本・フランス・マレーシア・ドイツによる国際共同製作で、全編海外ロケを敢行。 無国籍の姉弟が国境を越えて家族を探す、希望に満ちたロードムービーは2026年春、日本公開予定。(写真:公式サイトより)
藤元明緒監督の第3作『LOST LAND/ロストランド』。日本・フランス・マレーシア・ドイツによる国際共同製作で、全編海外ロケを敢行。 無国籍の姉弟が国境を越えて家族を探す、希望に満ちたロードムービーは2026年春、日本公開予定。(写真:公式サイトより)

その象徴として、革新性に富んだ作品を選ぶオリゾンティ部門に選出された藤元明緒監督の『LOST LAND/ロストランド』がある。無国籍の姉弟が家族との再会を願い、国境を越えて旅するロードムービーであり、出演者の多くはミャンマーで迫害されてきたイスラム系少数民族ロヒンギャの人々。国籍を認められず、教育や医療などの基本的な権利も制限されてきた彼らの現実を、映画は彼ら自身の声と眼差しを通して映し出す。フィクションではなく、現実の苦難と希望を描いた作品だ。


パオロ・ソレンティーノの新作『La Grazia』がヴェネツィア国際映画祭で初公開!実は、彼のアカデミー賞受賞作『グレート・ビューティー』にはサラワカが幻の出演を果たしている。裏話はワカペディアでチェック!(写真:ヴェネツィア国際映画祭公式サイトより)
パオロ・ソレンティーノの新作『La Grazia』がヴェネツィア国際映画祭で初公開!実は、彼のアカデミー賞受賞作『グレート・ビューティー』にはサラワカが幻の出演を果たしている。裏話はワカペディアでチェック!(写真:ヴェネツィア国際映画祭公式サイトより)

一方、映画祭のオープニングを飾ったのは、パオロ・ソレンティーノ監督の『La grazia(ラ・グラツィア)』。架空のイタリア大統領が安楽死法の承認と個人的な喪失の間で揺れる道徳的ジレンマを描いたドラマである。現実的な政治の舞台を背景にしながらも、幻想的な映像美と静かな語り口で、人間の内面に深く踏み込んでいく。映画が持つ詩的な力を、改めて観客に思い出させる作品だ。


フィオールのポスターは、こうした映画たちの問いと響き合いながら、映画祭そのものが「見慣れたものを新しく見る」場であることを示している。映画とは、ただスクリーンに映る物語ではなく、私たち自身の視線を問い直すきっかけなのだ。それぞれの映画に託されたメッセージを、フィオールの絵に重ねながら読み解いてみよう。映画祭は、私たち自身の「視線」を問い直すきっかけをくれるに違いない。




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