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「にっぽん縦断 こころ旅」の水さんがイタリアの自転車を語る②“Bianchiに乗った海賊”パンターニ

Keiko Shimada

2025.08.19

前回大反響をいただいた「にっぽん縦断 こころ旅」の水さんがイタリアの自転車を語る。ご好評にお応えしてお届けする第2弾は、日本でも人気の高い「Bianchi ビアンキ」と、ビアンキを駆って大活躍した“イタリアの英雄”マルコ・パンターニについて水さんが語ります。



イタリアの空の色を纏ったBianchi

俳優の火野正平さんが、自転車に乗って視聴者から寄せられた手紙に書かれた「こころの風景」を旅する、NHK BSの「にっぽん縦断 こころ旅」。現在もアンコール放送されている人気番組に、14年にわたってエンジニアとして参加し、最後尾を走っていた「水さん」こと水﨑ユタカさんに、イタリアの自転車とロードレースについてうかがいました。

自転車にまたがる水さん
水﨑さんは埼玉県で「シクロ工房スピットガレージ」という自転車ショップを経営

イタリアの自転車というと、まず名前が上がるのが「ビアンキ」。自転車に詳しくない筆者にとっては、チェレステ(Celeste、イタリア語で青空)カラーのおしゃれな自転車という印象ですが、実際は現存する世界最古の自転車ブランド。ロードバイク、マウンテンバイク、クロスバイクなど、多種多様な自転車を製造し、ロードレースの世界でも輝かしい成績を残している名門です。

B ianchiの自転車
微妙に色合いが変わる「Celeste」。「空の色は毎日違うだろ?」と担当者が語ったという説も

「やはりとても大きなメーカーなので、風洞実験を重ねて空力的に優れた車体を開発できるし、レースのノウハウもあるのでロードレースでも強いですね」。そのビアンキと言えば、水さんが思い浮かべるのが「Marco Pantani マルコ・パンター二」イタリアのチェゼナーティコ出身のロードレースの選手です。「彼の出身地は、確か自転車が盛んな街だったと思います」。

マルコ・パンター二
その風貌から“海賊”と呼ばれたパンターニ(WIKIMEDIA COMMONS)

山岳地域における長距離の登坂を得意とするクライマーとして名を馳せ、1998年にジロ・ド・イタリアとツール・ド・フランスのダブルツール(総合優勝)を果たした“イタリアの英雄”。悲劇的な死を遂げた2004年以後、故郷チェゼナーティコでは毎年9月下旬に、彼を記念するロードレース「メモリアル・マルコ・パンターニ」が開催されています。


走行スタイルと風貌で魅せたスター

パンター二とはどんな選手だったのでしょうか?「圧倒的に強かったし、バンダナ風の帽子をかぶって走る姿が印象的で、若くして亡くなったこともあって、忘れられない選手ですね」。スキンヘッドに顎ヒゲをたくわえた容貌から「Il Pirata 海賊」、レースに対する求道的とも言える姿勢から「走る哲学者」とも呼ばれていたパンターニ。そのレース人生はまさに波乱万丈そのものでした。


順調にキャリアを重ねていた1995年に2度の交通事故で選手生命の危機に直面するほどの大怪我を負い、1996年はリハビリと回復に費やしたパンターニ。そんな困難があったにも関わらず、1997年7月のツール・ド・フランスにおいて、ラルプ・デュエズへの山頂ゴールが設定された第13ステージで37分35秒という最短登坂記録で優勝。この記録は、2025年現在も破られていません。この年、第15ステージでも優勝したパンターニは総合3位となり、完全復活を遂げました。

ツール・ド・フランス1997で山道を走るパンターニ
ツール・ド・フランス1997で山道を走るパンターニ(WIKIMEDIA COMMONS)

ダブルツールを達成した全盛期

パンター二が全盛期を迎えたのは1998年。ジロ・デ・イタリアでライバルと最終ステージまで首位争いを繰り広げながら念願の総合優勝を果たしたパンターニは、「マリア・ヴェルデ」(山岳賞)を同時獲得し、ステージ2勝も達成しました。さらに、ツール・ド・フランスでも終盤第15ステージのガリビエ峠で、マイヨ・ジョーヌを着るヤン・ウルリッヒにアタックを仕掛けて逆転に成功。総合優勝を飾り、史上7人目となる「ダブルツール」の偉業を達成しました。このとき、ツールでのイタリア選手の優勝は33年ぶりだったそうで、イタリアの人々がいかに歓喜したかが想像できます。


「なんかライディングポジションがトラックレースの選手に近いんですよね。ハンドルの下を握ってダンシングで駆け上がるスタイルがカッコよくて、ゴールするときには両手を広げ、天を仰ぐようなポーズが忘れられないですね」。


2025年7月、ビアンキは、パンターニがダブルツールを達成した1998年に使用したバイク”BIANCHI MEGA PRO XL”を限定モデルとして販売すると発表。当初は、1998年のジロ・デ・イタリアでパンターニが着用していたゼッケン「101」にちなんで101台の予定でしたが、サイクリングファンからの熱狂的な反響を受けて追加生産を決定。1998年のジロ・デ・イタリア第17ステージの距離215kmにちなみ、215台が製作されることが決まっています。

1998年のツール・ド・フランスでパンター二が使用したBiankiの自転車
ツール・ド・フランスでパンターニが使用したBIANCHI MEGA PRO XL (WIKIMEDIA COMMONS)

ロードレース史に燦然と輝く存在へ

1999年、「ジロ・デ・イタリア」総合2連覇目前にドーピング疑惑が起こり、幾度かの出場停止を経て、2004年、わずか34歳で謎の死を迎えたパンターニ。彼の存在は、鮮やかな活躍とその後の悲劇とのコントラストによって、ロードレースの世界に忘れることのできない記憶となって刻まれています。

ツールドフランス2000のパンターニ
ツール・ド・フランス2000のパンターニ(WIKIMEDIA COMMONS)

死後21年を経た現在も、イタリアでのパンターニの人気は絶大で、「ジロ・デ・イタリア」では、2004年から「Cima Pantani チマ・パンター二」(パンターニの山)を設定。彼に縁の深い山をコースに組み込むようになり、コースの途中にも彼の功績をたたえる像やイラスト、横断幕などが設置されています。

パンターニの像
パンターニの像(WIKIMEDIA COMMONS)

また、2014年には『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(監督:ジェイムス・エルスキン)というドキュメンタリー映画も制作され、日本でも劇場公開されています。


「1970〜90年代のロードレースは伝説に残る時代だった。それが現在では、データを蓄積してチーム戦略という印象が強い。パンター二が走っていた頃は、“人と人の闘いの時代”として最後の輝きだったのもしれませんね」。

ヴィンテージ自転車を愛する水さんが語った、マルコ・パンターニ。彼の記念碑には、“海賊の思い出に”と刻まれています。

パンターニの記念碑
“海賊の思い出に”と刻まれたマルコ・パンターニの記念碑(WIKIMEDIA COMMONS)

ビアンキ公式サイト https://www.japan.bianchi.com/


シクロ工房スピットガレージ

〒337-0017 埼玉県さいたま市見沼区風渡野398-3 高瀬ハイツ1F

080-6739-4728

Instagram https://www.instagram.com/chairpotte_spitt/


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