フィレンツェから南へ約70Kmに位置する世界遺産の町シエナ。郷土菓子にも、ロマン溢れるストーリーが……というのが今回のお話です。
始まりは十字軍
シエナで愛されているドルチェについて、多くに共通するのは、独特なスパイスの風味です。
シエナにスパイスが伝来したのは、十字軍の遠征と、それによって盛んになった東方貿易でした。地域の公認観光ガイドを務めるジューリア・ラッファエッリさんは、以下のように説明します。
「シエナは北ヨーロッパと聖地ローマを結ぶ巡礼路・フランチージェナ街道上にあることから、交易でも重要な拠点となりました」
おかげで、町にはコショウをはじめとする、さまざまな香辛料がもたらされたのです。
「特にコショウは、海上で略奪事件が起きるほど高価なものでした」
そのため、当初の用途は薬の原料で、調味料としては富裕家族用に限られていたのです。
その後、香辛料は防腐・抗菌効果から、徐々に食品保存にも用いられるようになっていきました。いにしえのシエナでは、パン生地に蜂蜜や果物を混ぜて食べる習慣がありました。しかし数日経過すると、果物が発酵して臭いを放するという短所がありました。ラテン語で酸っぱいパンを意味する「パニス・フォルティス」と呼ばれたのは、そのためでした。そこに香辛料が加えられた結果誕生したのが、「パンペパート Panpepato」という菓子でした。パンペパートは、とくにコショウをふんだんに効かせたもので、その存在を示す最古の文献は1206年にさかのぼります。
ジューリアさんは解説を続けます。
「パンペパートは時とともに改良が重ねられ、『パンフォルテ Panforte』へと発展したのです」
アーモンドやフルーツの砂糖漬け、蜂蜜などを混ぜた生地に、コショウ、クローブ、ナツメグといった香辛料を加えて焼き上げたもので、ずっしりとした食べごたえが印象的です。パンペパート、パンフォルテとも、今日シエナを代表する銘菓です。
パンペパート/パンフォルテのほかにも、シエナにはスパイスの風味を感じさせるお菓子があります。「カヴァルッチCavallucci」は、クルミ、フルーツの砂糖漬け、ハチミツなどに、アニスシードやシナモンといった香辛料を加えたもの。無骨な見た目ながら、噛むほどに深い味わいを楽しめます。
病院で菓子作り
ところで、シエナのドルチェ作りを最初に支えたのは、お菓子屋さんではありません。なんと、今日の薬局の前身である薬草店「スペツィエリア」でした。市内には、そうした歴史をひもとく施設が点在します。
その代表は、シエナ大聖堂前の「サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院跡(以下SMS)」です。ジューリアさんは説明します。
「現在SMSは美術館となっています。しかし、中世には教会によって病院の機能を果たしていました」
館内には早くも11世紀に、修道士たちによる薬草店が併設されていたとされます。東方から香辛料がもたらされると、彼らは、それを薬の材料として用いるようになりました。さらに香辛料の防腐効果に着目し、お菓子作りも始めたのです。前述のパニス・フォルティスがパンペパートへと変わっていった話と合致します。
ダンテと香辛料の関係
もうひとつ、薬局が菓子店のルーツであったことが理解できるのは、町の中心であるカンポ広場に現存する薬局です。「ファルマチア・デル・カンポ Farmacia del Campo」の店主兼薬剤師のピエール=テリージ・チェッケリーニさんに話を聞きました。
店そのものの歴史の前に、ピエール=テリージさんから開口一番、思わぬ名前が飛び出しました。
「ダンテが薬剤師だったのを知っているかな?」
もちろんダンテとは、イタリアを代表する詩人でルネサンス文化の先駆者であったダンテ・アリギエーリ(1265年-1321年)のことです。彼自身フィレンツェで医師・薬剤師組合の会員だったこともあり、「シエナを訪れると、カンポ広場の薬草店をたびたび訪れていたことは、彼を崇拝していたジョヴァンニ・ボッカッチョが書き残しています」とピエール=テリージさんは解説します。ちなみに当時、薬草店は、知識階級の文化的交流の場の役割も果たしていました。
そのダンテは、シエナと香辛料にまつわる一節を残しています。『神曲・地獄篇』の第29歌によると、13世紀後半、町には「浪費家集団」と呼ばれた裕福な家庭の若者たちがいました。彼らは贅沢三昧の暮らしをするなかで、きわめて高価なスパイスであるクローブを火にくべ、キジなどのジビエを調理していた、というものです。シエナの富裕層に対する諧謔表現であるかなど解釈は読者に委ねられていますが、香辛料の貴重さを窺わせるストーリーであることはたしかです。
歴史を知れば、さらに味わい深く
いっぽうで、現在ピエール=テリージさんが営む店にも、薬局=菓子店であった片鱗を見ることができます。優美な内装の一角にはイタリア語で「香辛料」を示す文字があり、戸棚のガラスには、なんと「カヴァルッチ」「リッチャレッリ」など前述のお菓子の名前も、しっかりと記されています。それらのインテリアは、19世紀末のリバティ様式。「当時は調剤室で、薬品とともに菓子も作って売っていたのです」と、ピエール=テリージさんは語ります。中世はおろか、わずか百数十年前まで薬局と菓子店は同義語だったことを、その瀟酒なインテリアは物語っています。
かくもシエナの伝統菓子は、十字軍時代の香辛料との出会いから、独自の世界を紡いできました。その歩みは、今日でも私たちの目で確かめることができます。歴史を知ってから頬張る味は、さらに奥深くなるに違いありません。
(PHOTO: Mari OYA/ Akio Lorenzo OYA)
INFORMATION
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