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ルネサンスを彩った陶器の里 モンテルーポ・フィオレンティーノ

大矢 麻里 Mari Oya

2026.02.19

フィレンツェ県のモンテルーポ・フィオレンティーノ。そこは「陶器の町」として知られています。栄光に彩られた歩みを辿るとともに、製作に携わる人々を訪ねました。



それは駅から始まっていた

モンテルーポ・フィオレンティーノ(以下、地元の通称にならい「モンテルーポ」)はフィレンツェ中心部からピサ方面へローカル線に揺られること30分。つい降り忘れてしまいそうな途中駅ですが、陶器製の壁面が下車した旅人を真っ先に迎えます。さらに数百メートル離れた広場では、人の背丈をゆうに超える圧倒的な存在感のテラコッタ壺が人々を驚かせます。

モンテルーポのリベルタ広場
モンテルーポはフィレンツェの西約20キロメートルにある人口約1万4千人の町です。日帰りでも十分に足を延ばせる距離にあります。旧市街の玄関にあたるリベルタ広場
陶製の街路表記
街路名や地番も陶器に表示されています
路地の階段も陶器のタイル貼り
足もとに視線を落とせば、路地の階段までも陶器のタイル貼りです

さらに年に1回開催される「陶器祭りCèramica(チェラミカ)」の期間は、作家や工房の屋台が街路に並び、この町の独特さが、より際立ちます。やきもの愛好家にとって、まさに垂涎の地です。


なぜモンテルーポが「陶器の町」になったのか。その源流をたどってみましょう。

陶器祭りの展示
第32回を迎えた2025年の陶器祭りは12月の3週末、計9日にわたり開催されました。これは地元出身アーティストのエウジニオ・タッチーニ(1943-2025)の追悼展示から、ピノキオを題材にしたシリーズ
米国人陶芸家エリック・ランドンの作品
祭り期間中はワークショップや文化施設の無料開放など、盛りだくさんの企画が開催されます。特別ゲスト、コペンハーゲンを拠点とする米国人陶芸家エリック・ランドンの作品
市長ほか市の関係者
 「祭りを通じてモンテルーポ陶器の奥深さを知ってほしい」と熱く語る市関係者のみなさん。左からデジイ副市長、ロンディ市長、ヴィヴィアーニ文化担当、パリーニ町議会議員

幸運の鍵となった「3つのこと」

一帯では13世紀にはすでに陶器製作が始まっていたとされます。長年にわたる主要製品はマヨルカもしくは錫釉陶器(すずゆうとうき)と呼ばれるものです。素焼きの器に錫を含んだ白い釉薬を施し、その上から水で溶いた顔料で絵付けするもので、イスラム圏からスペインを経てイタリア半島へと伝わったとされています。マヨルカの名前は、交易の中継地だった同名の島に由来します。


この地でマヨルカ陶器作りがさかんになったのには背景がありました。町を流れるアルノ川では粘土が豊富に採取でき、周囲の森では窯の薪を安定して入手できたのです。


第二はフィレンツェの繁栄です。1406年、彼らが海洋国家ピサを支配下に収めたことにより、モンテルーポの陶器はアルノ川を下り、ピサ港で船積みされて各地に輸出されたのです。

モンテルーポの遠景
アルノ川の流れとともに育まれたモンテルーポ。手前は16世紀に建てられたメディチ家の別荘 (写真提供: Comune di Montelupo Fiorentino)

1490年には、フィレンツェ商人フランチェスコ・デッリ・アンティノーリが、モンテルーポの陶工23人と独占契約を締結して買い取り価格を保証することで、陶工たちに安定した生活環境をもたらしました。その結果、技術と品質が飛躍的に向上し、陶芸は町の特産品となったのです。


さらにルネサンスを支えたメディチ家をはじめとする上流階級は、モンテルーポのマヨルカ食器や調度品を好んで用いていました。こうした背景を踏まえると、16世紀にフランス・ルイ王朝へ嫁いだカテリーナ・ディ・メディチの嫁入り道具に、モンテルーポ製が含まれていた可能性も十分に考えられます。


自然の恵み、水運、そしてフィレンツェ。それらが結びついたことで陶器の町として広く欧州に名を刻むことになったのです。


うした町の歴史は、「モンテルーポ陶器博物館」で深く知ることができます。ちなみに当時の陶器は、ひょんなことから姿を現します。たとえば1973年には16世紀の古井戸が発見され、当時の窯元が廃棄した陶片が出土したのは道路工事がきっかけでした。また、2025年3月に同世紀前半のものとみられる陶片が見つかったのは、洪水で古い地層が露出したためでした。

モンテルーポ陶器博物館
モンテルーポ陶器博物館。マヨルカを中心に約1000点が展示されています。お祭り期間はここにも屋台が並びます
地元の名匠サルトリによる水盤
地元の名匠サルトリによる水盤「モンテルーポの赤」は1509年作。その鮮やかな赤色の顔料調合法は今も解明されていません
ローマ教皇レオ10世の紋章入り大皿
メディチ家出身のローマ教皇レオ10世(在位1513-1521)の紋章入り大皿
17世紀の絵皿
黄色地に活き活きとした人々を描いた17世紀の絵皿。同様の絵柄はその軽妙さから、当時流行していた即興喜劇の登場人物にあやかり「アルレッキーノ」と呼ばれていました

やがてメディチ家の衰退とともにモンテルーポ製マヨルカ陶器の需要も減少。18世紀には素地がより澄んだ磁器に市場を奪われます。町がふたたび潤うのは、20世紀の量産成功まで待たなければなりませんでした。近年は再び海外製品との競争が激しさを増していますが、モンテルーポの製品は高品質な量産品と、素朴な土の風合いを生かした工芸品の双方により、国内外で高く評価されています。


粘土とともに生きる人たち

モンテルーポの職人史を語るに欠かせないのがビトッシ一族です。起源1536年にさかのぼり、窯の仕切りや成形、絵付師など、さまざまな分野で焼き物に携わってきました。


なかでも1921年に自身の工房を設立した先代グイド・ビトッシは、成形・装飾・焼成の全工程を内部で完結させる、今日でいう一貫生産を確立しました。


彼が興した工房は1946年、一族にとって最大の功労者アルド・ロンディを迎えます。彼は陶芸家としての腕と、大戦中の南アフリカ抑留生活で習得した英語力を武器に世界市場を切り拓きました。代表作「リミニ・ブルー」は、イタリアらしさを前面に押し出した作品として、とりわけアメリカで高く評価されました。

有名な陶器工房の現当主グイド・ビトッシさん
当代グイド・ビトッシさんと、彼の伯父にあたるロアルド・ロンディの代表作「リミニ・ブルー」の作品群

ロンディはアートディレクターとしても活躍。著名デザイナー、エットレ・ソットサスや、彼が率いるクリエイター集団「メンフィス」のミケーレ・デ・ルッキやマルコ・ザニーニらの作品もモンテルーポから生まれました。


創業時の社屋を改装したビトッシ・ミュージアムには、約7000点もの作品が収蔵されています。ロンディの甥にあたるグイド・ビトッシさんはこう語ります。「ここは過去を振り返る所だけではありません。創作者たちが技術や製法に触れ、次なる表現へとつなげていくための場所でもあるのです」

エットレ・ソットサス作のトーテム
2021年に創業100年を記念して開館したビトッシ・ミュージアム。エットレ・ソットサス作のトーテムは圧巻

いっぽう、2025年12月に開催された冒頭の祭り期間中、陶器窯業組合のブースでは、ろくろを前に職人たちが技を披露しました。ステファノ・ゲーリさん(79歳)は、陶器づくりに携わっていた叔父に憧れ、この道に入って67年といいます。「忍耐のいる仕事ですが、それに代えがたい喜びがあります」と話してくれました。

作品を創る陶器職人
熟練職人のステファノ・ゲーリさん。「情熱を持って向き合うと疲れなど飛んでいってしまいます」

対して、なんと定年退職後に陶器作品づくりを始めたのが、ラファエレ・ログリッポさん(76歳)です。
「土から生まれるものは、同じものがふたつとない。それが良いのです」。主な題材は、いにしえのモンテルーポの情景や、そこで働く人々の姿です。少年時代の記憶をたどりながら粘土を手にすると、自然とイメージが浮かびあがってくるのだとか。

作品を創る陶器職人
土を通して、いにしえのモンテルーポの庶民の息づかいを作品に宿すラファエレさん

量産工房として時代を切り拓いてきたビトッシ家、日々の仕事として陶器づくりに向き合い続けてきた職人ステファノさん、そして第二の人生として表現の手段に土を手にしたラファエレさん。立場や歩みは異なっても、その根底には粘土という素材への深い愛情と、そこから生まれる創造の喜びが感じられました。


近隣の会場では、国内外で活動する若い世代のアーティストによる「現代陶芸コンテスト」の作品が展示されていました。先人たちが培ってきた技と精神が、若い感性によって次の時代へと手渡されていく。モンテルーポの陶芸は、こうした新しい力に育まれながら未来を切り拓いていくことでしょう。


モンテルーポ陶器博物館 https://museomontelupo.it