蘇った20世紀初頭の工場街
世界で電動モビリティへのシフトが進むなか、イタリアファン待望のEV「フィアット500e」が2022年4月5日、いよいよ日本でも発表されました。フィアットブランド発祥の地・ピエモンテ州トリノで生産され、2021年イタリア国内EV登録台数でナンバーワンに躍り出たモデルです。
今回はそのトリノで、近年活気を帯びているエリア「リンゴット」を紹介しましょう。
リンゴットは、中央駅であるポルタ・ヌォーヴァ駅から地下鉄で南に6駅にあります。この一帯で最も賑わっている飲食施設といえば、「イータリー(EATALY)」本店です。今日では日本をはじめ世界15カ国に40店舗以上を展開する同店ですが、その成功の始まりは2007年にリンゴットにオープンした、まさにこの店だったのです。
他の街のイータリーと異なり、本店に入って目に飛び込むのは、吹き抜けを貫通する巨大な貯蔵タンク。実はこの建物、20世紀初頭にベルモット酒の老舗「カルパーノ」が建てた工場を壊さずに再生したものなのです。かつては外壁だった煉瓦の風合いも、ファクトリー時代を彷彿とさせます。
そのイータリーの裏にある「ACホテル・トリノbyマリオット」は4階・89室の4つ星ホテルです。こちらの建物も、元は1908年にパスタ工場として建てられたものでした。第二次世界大戦中には三度にわたる連合軍の爆撃を受けるなど波乱万丈のストーリーをたどりましたが、ネゴツィオ・ブルー建築事務所の手により、2005年に現在の姿になりました。ロビー&レストランの天井を這う空調配管は新しいものでも、どこかパスタ工場時代の風景が瞼に浮かんできます。
ユニークな構造を活かしたリノベーション
ただしエリア復興のきっかけとなったのは、旧フィアット・リンゴット工場の再開発計画でした。
1923年に完成したビルは、自動車工場でありながら地上5階建てで、さらに全長も500メートルという極めて独特なものでした。近代建築三大巨匠のひとり、ル・コルビュジエも絶賛した記録が残されています。
1980年代初頭に生産拠点としての役目を終えると、建築家レンツォ・ピアノがリニューアル計画に着手。美術館、ホテル、シネコンプレックス、大学などを備えた複合商業施設に生まれ変わりました。とくに2階部分にある100店舗・11レストランで構成された1周1キロメートルのショッピングモールは圧巻です。
2021年9月、このフィアット旧リンゴット工場再開発ビルの屋上に、2つの新スポットがオープンしました。
ひとつは既存施設「アニエッリ絵画館」の一部に作られた「カーザ・チンクエチェント Casa 500」です。小型車「フィアット500」をテーマに、歴代3モデルに共通するデザインポリシーや、イタリア社会に与えた影響をさぐるスペースになっています。
もうひとつの施設「ピスタ・チンクエチェント Pista 500」は、屋上の27,000平方メートルを、トリノ名物のチョコレートに加えられるヘーゼルナッツなど300種類、約4万本の植物で埋めた巨大庭園です。監修したのは、木や植物が表面を覆うミラノの高層住宅「ボスコ・ヴェルティカーレ」の設計で知られるイタリア人建築家ステファノ・ボエリです。
私が2021年初冬にピスタ・チンクエチェントを訪問したときは植栽から間もなかったため、植物はまだ頼りなげでしたが、季節を追うごとに枝を広げて癒しの空間を形成していくことでしょう。
実はこの屋上、pista(走路)の名称が暗示するとおり、自動車工場時代はテストコースでした。遊歩道の南北にはテストコース時代の急角度バンク(傾斜)と、地上と連絡する螺旋状の車両用スロープが残ります。いずれも、この場所がヨーロッパ屈指の規模を誇った自動車工場であったことを無言のうちに教えてくれました。
目下ピスタ・チンクエチェントのほうは不定期公開ですが、近い将来に彫刻のインスタレーションなど、トリノにおける文化の発信地として、より積極活用される予定です。
このようにイタリア近代産業を支えた工場群を取り壊さず再生し、新たな価値を創出した好例を、ここリンゴットで数々発見することができます。
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エコ・サステイナブルな最新スポット
ただし、古い建築物の再生だけではありません。
「グリーンピー」は、前述のイータリーの運営会社が2020年12月にオープンしたリンゴットで最も新しい大型商業ビルです。施設の名称Green Peaは、グリーンピースが水を必要としながら生きる姿に、地球とその生態系を重ね合わせたものです。スローガンのFrom duty to beauty=責務から美へは「環境問題への関心は義務ではない。しかし持続可能なプロダクトを選ぶことは美しい」というメッセージといいます。アパレル、コスメ、ファニチャーなど約100ブランドが5フロア・総床面積15,000平方メートルに展開されています。
それ以外のテナントでも「エコ・リテールパーク」のテーマは徹底しています。イタリア最大の通信企業「TIM」は、認定整備済スマートフォン、いずれもリサイクル素材を使ったモデム、コードレス電話そしてSIMカードなどを取り揃えています。クリーニング店もドライ仕上げに石油化学系溶剤を使用していません。
街路に面した一角を占める「e-Village」は、フィアット・ブランドなどを擁するステランティス社による持続可能性モビリティのショールームです。「フィアット500e」をはじめとする最新電動車やコンセプトカーなどがゆったりとしたスペースにディスプレイされ、オフィシャルマーチャンダイジング商品のショップも併設されています。
実はこのグリーンピー、ビル自体の設計も環境負荷の抑制を充分に意識しています。
たとえばガラスやスチールなどは、将来老朽化した際に再生可能なマテリアルを選択。さらに外壁全体を覆う木材は、イタリア北部フィエンメ渓谷およびベッルーノ産のものを使用しています。一帯はヴァイオリンやハープ製作に用いる木材の伝統的産地ですが、2018年の強風被害により多くの倒木が発生。それを無駄にしないようと、リンゴットまで運んで活用したのです。
館内で使用する空調には地下水利用方式のヒートポンプを、電力には太陽光や風力発電が用いられています。
思い起こせば私がイタリアに住み始めた1990年代中盤、リンゴットはどこか工場地帯の面影が残り、裏寂しい雰囲気に包まれていました。いっぽう今日では、イタリア屈指といえるサステイナビリティの実験場的様相を帯びています。2022年には、旧フィアット航空機工場跡地に建設中だったピエモンテ州新庁舎が完成予定です。こちらは総面積なんと1000平方メートルにおよぶ太陽光パネルを備えた高層ビルです。
20世紀型工業都市から、21世紀型文化都市へと変貌するトリノを牽引する熱いエリア。それがリンゴットなのです。
PHOTO: Mari OYA/ Akio Lorenzo OYA / Stellanits
INFORMATION:
Centro Commerciale Lingotto www.centrocommercialelingotto.it
EATALY www.eataly.net
AC Hotel Torino by Marriott www.marriott.it/hotels/travel/trnto-ac-hotel-torino
Casa 500, Pista 500 (Pinacoteca Agnelli内) www.pinacoteca-agnelli.it
Green Pea www.greenpea.com