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労働者のユートピア、ベルガモの世界遺産「クレスピ・ダッダ」を散策する初秋の一日

クレスピ・ダッダはゴーストタウン?

今年のミラノの夏は、まさかの40度を超える猛暑が続き、週末に外に出かけるのも億劫になるくらいでした。が、9月に入りやっと涼しくなり、だいぶ過ごしやすくなってきました。そこで、ロンバルディア州の世界遺産として、気になっていた「クレスピ・ダッダ(Crespi d’Adda)」に出かける事に。ガイドツアーの実施日が限られていたため、事前にネットで予約の上、15:30という指定の時間に合わせて、当日は現地に向かいました。

クレスピ・ダッタは1995年にユネスコの世界遺産に登録された紡績工場の跡地

このクレスピ・ダッダは1995年にユネスコの世界遺産に登録された紡績工場の跡地で、労働者のユートピア(理想郷)と呼ばれるほど、街全体が工場で働く人のための理想的な町になっているのが特徴です。ミラノから車で約一時間の場所にある、ベルガモ県のクレスピ・ダッダ。まるでお菓子のような名前のこの町の由来は、この周辺に流れるダッダ川と創設者のクリストフォロ・クレスピの名前が由来。一緒に行った夫は数年前に友人と同地を訪問したことがあり、「誰もいなくて、ゴーストタウンの様だった」という情報を元に、雰囲気がある写真を撮れることを期待していました。が、当日は、予想外に多くの観光客が訪れていました。

イギリスの影響を受けた、クレスピのユートピア

創業者のクリストフォロ・ベニーノ・クレスピとその息子のシルビオ・ベニーノ・クレスピはイギリスで成功を収めていたユートピアを見習い、この地に工業村を1878年に創設

19後半のイタリアは、イギリスの産業革命の影響を徐々に受けはじめ、家業の縫製業を継いでいた、創業者のクリストフォロ・ベニーノ・クレスピとその息子のシルビオ・ベニーノ・クレスピはイギリスで成功を収めていたユートピアを見習い、この地に工業村を1878年に創設しました。ユートピアの基本的な考え方は、労働者が働き易い環境を整えることで、高品質の商品を供給すること。そのため、クリスピ・ダッタで働く労働者には、家、学校、教会、病院、温水プールに至るまで、生活に必要な全ての環境を整え、さらに、イタリアで初めて電灯を街中に灯したことでも知られています。また、近隣のトレッツォ・スルダッダ(Trezzo sull’Adda)に水力発電所を建設し、紡績工場で使用する電力を確保することにも労力を注ぎました。

イタリアで初めて電灯を街中に灯したことでも知られています。また、近隣のトレッツォ・スルダッタに水力発電所を建設し、紡績工場で使用する電力を確保することにも労力を注ぎました

参加したガイドツアーでは、まず室内で15分程度のクレスピ・ダッタの歴史的背景を学ぶことができました。そんな紡績工場の説明を受けている際に、頭によぎったのが、アメリカ人写真家「ルイス・ハイン(LEWIS HINE)」によって撮影された“KIDS AT WORK(邦題:ちいさな労働者)”の紡績工場で働く少女の写真でした。20世紀初めのアメリカでの児童労働や貧困をテーマに撮影したもので、当時の社会問題を提議した作品です。やはり、このクレスピ・ダッダの工場でも糸を紡ぐなど、実際の工場での作業に携わる5割が女性、さらに労働者の中には子供もいたそうで、第二次世界大戦前のイタリアの社会的環境が垣間見えました。

クレスピ・ダッダの工場でも糸を紡ぐなど、実際の工場での作業に携わる5割が女性、さらに労働者の中には子供もいたそうで、第二次世界大戦前のイタリアの社会的環境が垣間見えました

今回のツアーでは、父親が実際にクレスピ・ダッダで働いていたというガイドの方の案内のもと、20人ほどのグループで町を散策しながら、彼女の幼少の頃のクレスピ・ダッダの様子や、住んでいた家の話など実体験に基づいた聞くことができました。当時の労働者の家は、役職のランクによって家の仕様などが異なっていて、重要なポストを務める労働者には、村に8つしかないエグゼクティブと呼ばれる家が支給されたそうです。現在も区画整理された町の通りには家々が並び、見晴らしの良い丘の上には牧師や医者など、当時そのままの町の姿を周ることができます。

クレスピダッダの同じデザインの家が並ぶ、一般住宅
同じデザインの家が並ぶ、一般住宅

今も住居として使われている、丘の上の医者と牧師の家
今も住居として使われている、丘の上の医者と牧師の家

役職付きの家族む8つのエグゼクティブの一軒
役職付きの家族む8つのエグゼクティブの一軒

一般的なイタリアの住宅地は、家と家の間隔が近く、連なっていることが多いのですが、このクレスピ・ダッダでは、病気の感染などを防ぐために、外にトイレを設置し、一軒一軒の間隔を広く取っていっているため、庭が広いのも特徴の一つです。それぞれの家では庭の手入れが行き届いているのも印象的でした。そして、最も豪勢な家「カステッロ(城)」はクリスピ家の人々が住んでいました。現在は一流企業によってカステッロは買収され私有地になったため、一般公開されていませんが、外壁に囲まれた外から見えるその姿からも、十分にその重厚さを感じ取ることができます。

クレスピ・ダッダの象徴とも言える、紡績工場

そして、クレスピ・ダッダの象徴とも言える、紡績工場。こちらの建物も実際に工場内に入ることができないため、外観からのみの見学となりましたが、約150年以上の前に建てられた、赤煉瓦や細部にまでこだわったデザイン性の高さと機能性を兼ね備えたその造りに感動しました。

クレスピ・ダッダの象徴とも言える、紡績工場

曰くつきの豪華なクレスピ家の墓

クリスピ・ダッダの象徴的な建造物といえば、紡績工場ともう一つ、イタリア語でチミテッロと呼ばれる墓地です。町のメインストリートをまっすぐに抜けると、並木道の奥にピラミッド型のチミテッロが見えてきます。このピラミッド型の墓は、クリスピ家の人々が眠っている墓で、ミラノのドゥオーモのファザードを手がけたガエターノ・モレッテによって建造されたことでも有名です。

ラミッド型の墓は、クリスピ家の人々が眠っている墓で、ミラノのドォーモのファザードを手がけたガエターノ・モレッテによって建造

日本の墓地同様、なんとなく不気味な雰囲気が漂うこのチミテッロですが、実はこのピラミッド型の墓の上部デザインされた女性の像は、夜になると目覚め、墓から降りて町の子供達をさらうという都市伝説があり、心霊スポットとしても知られています。実際のところは、わかりませんが、私の夫が前回訪れた時は冬場の平日だったようで、町中に人影がなかったために、ゴーストタウンのように感じたようです。

ピラミッド型の墓の上部デザインされた女性の像は、夜になると目覚め、墓から降りて町の子供達をさらうという都市伝説

150年の歳月を経ても残る、当時の町並み

今回クリスピ・ダッダを訪れた日は、教会のお祭りの日程と重なったため、公園ではストリートフードのトラックなどが並び、町の人はマリア像とともに、教会まで行列を行なっていたところを見かけるなど、賑やかな印象でした。1930年に倒産するまでの約50年、その後、他の会社に買収され、2003年まで紡績業に取り組んだ町の人々。現在では、世界遺産に登録後、世界一の世界遺産保有国のイタリアの貴重な文化や歴史を学べる観光地の一つとして、町の人々の生活とともに、街全体が大切に保管されています。

紡績工場といえば同じく世界遺産に登録されている群馬県の富岡製糸場や、遠い昔に見た、映画「あゝ野麦峠」を思い出しました。「あゝ野麦峠」の映画で、蒸し暑さの中働く、過酷な姿を思い出します。富岡製糸場が設立されたのも、このクレスピ・ダッダの町が作られた時期とほぼ同時期。理想郷と呼ばれる工場村に勢力を注ぎ、労働者としての生活が潤うことで、高品質の綿製品が生産されていたとされていますが、実際に紡績工場で働く女性たちがどのような苦労を強いられていたのか、考えずにはいられませんでした。

Crespi d’Adda(クレスピ・ダッダ)

住所:Crespi d’Adda frazione di Capriate San Gervasio (BG), Italia
http://crespidaddaunesco.org/
ガイド付き見学:メールにて事前予約(info@villaggiocrespi.it)

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