皆さんこんにちは。
イタリアからの土着的イタリア田舎暮らし日記番外編も3話目。私の立場から何が書けるだろうと試行錯誤しながらお伝えしておりますが、今回は私の特別な友人についてお話しようと思います。
地元で”ネローネ山の魔女”と呼ばれているロレッタ。彼女は私の知る限りの友人知人のなかで、たった一人今回の新型コロナウイルスによる大きな生活の変化の中、何ひとつ生活スタイルが変わらなかった貴重な人です。
インターネットもなく、月に一、二度だけ用事を済ませたり、最低限の買い物をするために山裾の村へ降りてくる彼女は、それ以外のものはすべて周りの自然の恵みから生活を立てています。
山の恵みの野草や木の実、薬草、小さな畑。その三つの要素を中心に彼女の食は回っており、足りないものは何もない、と言うロレッタ。
世界でパンデミアが起こっても何一つ変わらなかった彼女の生活の秘密を、少しだけお話したいと思います。
ネローネ山の心優しき魔女
ロレッタとの出会いは3年前。
山の薬草や野草に博識な彼女は、私の地元にあるアペニン山脈の1つ、ネローネ山の小さな小さな集落に一人で住み、大学の薬草学科の学生や医師、自然療法などを学ぶ人々が彼女を慕って訪れる、薬草の仙人のような存在であり、幾つかのテレビプログラムでもドキュメンタリーが作られたりしているちょっと稀有な方です。
以前から話してみたいと思っていた彼女と、共通の友人からの紹介を通して対面するを持ったとき、「人として気に入ってもらわないと、気を許してはくれないからね」と冗談っぽく言われ、にわかに緊張しながら山の上の彼女の家に会いに行ったある春の日。
小さな細い体、彼女の目に宿った厳しくも優しい光のようなもの、タバコをふかしながら言う皮肉・・黒いとんがり帽子でも箒でもない、既成概念の「魔女」といわれるもののイメージが掻き消えるような強烈なイメージは、すぐに私の心を掴みました。
家の中には本当に必要最低限の生活用品のほか、至る所に薬草が吊るされたり敷かれたりしており、奥の部屋の棚にはリキュールやらチンキやら、所狭しと並んでいて、その全体の出で立ちがロレッタの知識の深さと、人柄のようなものを物語っています。
至極質素なのに温かい、そんな家の中に、彼女の山暮らしのエッセンスが集約され、豊かで居心地の良い空間。すっかり打ち解けた私は、もうずっと前から知っている友人の家のようにストンと椅子に腰をかけさせてもらい、温かいハーブティーを入れてもらったあと、とりとめのないおしゃべりが始まりました。
今までの人生、やってきた沢山のこと、これからやりたいこと。
「できるだけ多くのことをこの人から吸収させてもらいたいなあ」と直感的に思ったあの日から、今まで何度も彼女の家を訪れたでしょう。
ロレッタが山暮らしに至った理由
なぜ彼女はこんな山深い場所で、ひっそりと暮らし始めたのか。
それは彼女が若いころから勤めていた、ある薬草ベースの製薬ラボラトリーでの仕事がきっかけでした。
もともと薬草を勉強していたロレッタは、早くから栽培されたものよりも野生種の薬草が持つエネルギーの強さと効能を体感しており、トスカーナやロマーニャの田舎に暮らしながら、薬草を採取、それをアルコール抽出したものを製薬会社のラボラトリーに持っていくというミッションを長年続けていました。彼女の用意する抽出液は、イタリアの法律上での製薬規準をクリアするための工程を経て、チンキなどに加工され、その効能は定評があったそうです。同じように製造されているものは沢山あるのに、なぜ効き方が変わるのか・・・その鍵は野生の植物が持つ力だと彼女は言います。
植物と向かい合うとき、ただ植物の種類を覚えるのではなく、そのエネルギーを最大限に発揮している状態のものを見定めるのはとても大事なこと。気温、湿度、降雨量・・・同じ植物でも土が変われば性質も変わる。そういった細かい要素をいつでも察知できるようにするためには、やはり自分が山に入り、植物たちと同じ環境に身を置き、常に観察をすることだという考えに至ったロレッタ。手つかずの自然環境を探し歩いた末、ここマルケ州北部のネローネ山の小さな集落にその拠点に定めます。
集落と言っても住んでいるのは彼女だけ。時代の流れとともに人々は便利な暮らしを求めて里へ下りたのは、どこの国も同じかもしれません。
ここは私の天国だよ。必要なものは自然が提供してくれる。それを使いこなせるかどうかは住人次第だけれどもね。
そういう彼女は本当に満ち足りて幸せそう。山の中、一人ぼっちで暮らす寂しさなどは微塵も感じません。
「万人に効く薬というものはないからね、少しずつ、自分の体の事を知りながら、自分に合う薬草を見つけていくことはとても意味深いし、自然の恩恵を体感できる。この場所は本当に素晴らしいよ、本当にここを選んでよかった」そう言う彼女のもとを、沢山の人が彼女の知識にあやかろうと尋ねてくるそうです。
何も変わらない生活
イタリアで新型コロナウイルスが、ものすごい勢いで猛威を振るい始めた3月、一人で暮らすロレッタを心配し電話をかけました。
「元気でいるの?調子はどう?困っていることはない?」矢継ぎ早にそう言う私にけらけらと笑いながら、「心配してくれる気持ちは嬉しいけれど、困っているのはきっと町に暮らす人たちだよ。ここは静かな山の中、自分の家の敷地内でなんでも採れるし、足りないものは何もない。もともと里に下りるのは月に2、3度だからね、いつもと変わらない静かな生活をしているよ。
さすがにこれじゃあ客人も来ないからねえ。ああ、ユキコに分けようと思っていたダマスクローズの苗、渡し忘れたままだったねえ、悪い悪い」といつもの調子です。
元気そうな声を聞いてホッとした後、私の心の中にじんわりと彼女の生活の本当の豊かさが染みてくるのを感じました。
ロレッタは浮世に嫌気がさして、仙人のように隠居しているわけではないのだ、と。
彼女が本当に求めていたものを探した結果、今ここにいて、その生活は世界的なパンデミアですら揺るがすことはできなかった。
「足ることを知る」だけではない、自然が与えてくれるリソースを熟知していて、それをどんな時でも活かせるというのはなんという豊かさと強みだろう。こういうものこそ、世界が共有すべき知識なのではないだろうか。
その時、ホームページもブログも何もない彼女の生活について、国営放送がドキュメンタリーを作ったり、大学の教授が授業をしてくれと頼みに来たり、医者がアドバイスを受けに来たりする理由が分かった気がしました。
薬学的知識のみでなく、伝承や逸話、歴史との繋がり・・・そんな植物の魅力を織り混んだタペストリーを見せてくれる人は、現代のイタリアにはそういないでしょう。
最近彼女にかけた電話で、私は彼女にこう言いました。
「ねえ、ロレッタ。あなたが静かに山で暮らしたい気持ちが、今回本当によく分かったの。あなたと私のジェネレーションの間には、ドラスティックとも言える文化的変化があった。あなたのような知識を持つ人は、これからの世代にはどんどん居なくなっていくのだと思うわ。でも、そういう消えゆくものこそ、こんなことが起こっている今だからこそ、何かの形にして残していくべきだと私は思うの。知識ももちろんだけれど、あなたの生き方について、こういう人がいたんだっていうことを一緒に伝えてみない?本でもなんでもいい。だって、あなただって正直いつまで元気でいられるかわからないんだから!」
そのあと彼女は高らかに笑い、「こんなに日本人が積極的で正直だなんて知らなかったよ。でもうっとおしくなったり、面倒になったらいつでも出てけ!って追い出すからね、そこはよろしく!」とまだ笑いながら言いました。
さて、その後私には、いつか何か素敵なものが生まれるのではという予感が、しているのです。