イタリアの温泉 何が違うの?
イタリアには「テルメ」と呼ばれる温泉保養施設が各地にあります。古代ローマ以前の歴史をもつエトルリア人たちの間で、すでに温泉は治療効果のあるものとして認識されていたといいます。そしてベストセラー・コミックの「テルマエ・ロマエ」でも描かれたように、ローマ人は現在のスパ・リゾートも驚くような大浴場を造り、癒しを満喫していました。
イタリアの温泉は、日本とさまざまな点で異なります。たとえば、ほとんどの施設は男女混浴で、屋内外を問わず水着の着用が求められます。お湯に浸かる前に身体を洗う習慣もありません。お湯の温度が全体的に日本と比べ低めです。したがって熱い湯に身を委ねて「あ〜極楽ごくらく」の快感が味わえるとは限りません。
それ以上の大きな違いは、リラックスのためだけではなく、治療目的に利用する人が多いことです。事前に医師の処方箋を持参すると、イタリア版国民健康保険の適用を受けられる施設もあります。常駐医の指示に従って湯に浸かったり、温泉水を飲んだり(飲泉)するほか、温泉成分が染み込んだ泥を身体に塗る「クレイセラピー」などのサービスを受ける人もいます。そのため、併設のレジデンスに数週間滞在する人も少なくないのです。
・・・と説明すると「何かハードルが高いな」と思われてしまうかもしれません。でもご安心を!療養目的でなくても、温泉リゾート感覚でプールやサウナ、エステやマッサージ、そして飲泉にトライできる施設があります。
イタリア温泉産業連盟(Federazione Italiana delle Industrie Termali)によれば今日、国内には320を超える施設が存在し、年間300万人以上が利用しています。今回はその中から、歴史と風格を感じさせる2つの温泉リゾートを紹介しましょう。
モンテカティーニ・テルメ―――名作曲家も愛した社交場
ひとつめは中部トスカーナの北部に位置し、フィレンツェから列車で約1時間で行ける『モンテカティーニ・テルメ Montecatini Terme』です。
地下60〜80メートルから湧く温泉水は、古代ローマ人が傷病者を癒すために利用したとされます。
中世になると、温泉水は本格的な医療行為に活用されるようになりました。1417年、地元出身の医師・水文学者ウゴリーノ・シモーニが、温泉の治癒効果を科学的に立証したのがきっかけでした。彼は、温泉水を体内に直接摂り入れる飲泉療法も提唱しました。
18世紀後半には、トスカーナ大公ピエトロ・レオポルド・ディ・ロレーナが、源泉を効率よく引き込む大規模水路の整備に着手します。それを用いた9つの温泉施設も完成させました。さらに時を経て、街は美しい庭園そして並木道を備えたリゾートへと変貌を遂げます。知名度を上げた街には、国内外からセレブリティが憩いを求めて訪れるようになりました。オペラ作曲家ジュゼッペ・ヴェルディは長きにわたる音楽家人生のなかで、避暑地として好んで通っていたのが、ここモンテカティーニでした。後進の作曲家であるプッチーニやマスカーニも同様にこの地を愛しました。
代表的な温泉のひとつ「テルメ・ディ・テットゥッチョ」は、浸かる温泉ではなく、飲泉の施設です。この日私が試飲したのは、一番軽い泉質とされるリフレッシュ用の水です。さぞや温泉特有のにおいがするだろうと恐る恐る口にしてみると、意外にもうっすらと塩味を感じる程度の飲みやすいものでした。モンテカティーニの温泉水は主に肝臓や胃腸疾患に効果があるとされ、4つの源泉から引いた水を処方箋に従って飲み分けていきます。少しずつ時間をかけて飲むため、その間、人々は美しい庭園の散策も楽しみます。治療を受ける人が同時にかなりの量を飲むため、施設内にはおびただしい数の化粧室が用意されています。
館内には当時の面影を残すカフェも併設されています。重厚なカウンターの奥から差し出されたコーヒーを味わえば、いにしえの人々がテーブルを囲んで芸術論を戦わせていた様子に想いを馳せることができるでしょう。モンテカティーニは、人々の癒しの場であると同時に、文化サロン的役割も担っていたのです。約15年間創作活動を休止していたヴェルディですが、彼がふたたび五線譜にペンを走らせるに至ったのは、ここでのリラックスと仲間との語らいのなかで受けた刺激だったに違いありません。
サルソマッジョーレ・テルメ―――「奇跡の塩」のストーリー
北部エミリア地方パルマ郊外の『サルソマッジョーレ・テルメ Salsomaggiore Terme』もまた、長年政治家や芸術家など著名人に愛された温泉リゾートです。ここにもジュゼッペ・ヴェルディは、街から25kmほどにある村・ブッセートが故郷だったこともあり頻繁に訪れていました。
また、長年にわたり「ミス・イタリア」の最終選考地だったことから、街は「美」や「健康」といったイメージが定着しました。名女優ソフィア・ローレンも、ここで1950年大会に参加したことをきっかけにキャリアをスタートしています。
サルソマッジョーレという名前は、地域の水に塩分saleが含まれていることに由来しています。およそ100万年前、半島を縦断するアペニン山脈まで続いていた海水は次第に引き始めました。沖積物で形成されたポー川流域には、塩化ナトリウムやヨウ素、マグネシウムやカルシウムなどを含んだミネラル濃度の高い地下水が蓄えられていったのです。
やがて一帯に暮らし始めたガリア人は水の味に気づき、塩の生産を始めました。彼らはそれを肉や乳製品の保存にも用いました。参考までに、今日一帯で作られるハム「プロシュット・ディ・パルマ 」、チーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」にも、サルソマッジョーレ・テルメの塩が使われています。続いて住んだローマ人は、製塩作業をより大規模なものに発展させました。
いっぽうで、温泉水の医学的効果が着目され始めたのは19世紀初頭でした。きっかけは地元医師ロレンツォ・ベルツィエリのもとに、重度の骨の病気をもつ9歳の少女 フランキーナがやってきたことでした。薬物療法では回復が望めず、当時における療法のひとつだった海水浴も家庭の事情で実現できませんでした。そこで医師は代わりに、塩分を含んだサルソマッショーレ・テルメの温泉水で治療を施すと、1839年にフランキーナは奇跡的に完治したのです。以来この地は治療や療養の場として脚光を浴びるようになりました。
医師の名を冠した「テルメ・ベルツィエリ」は、ウーゴ・ジュスティとジュリオ・ベルナルディーニの設計による、街で最も美しく優雅な温泉施設です。ファサード装飾を担当したのはリバティ様式の巨匠ガリレオ・キーニで、彼が生前愛した東洋からインスピレーションを得たものです。
総面積約4千平方メートルを誇る壮大な同施設では、ハイドロマッサージ付きのプールやサウナ、高濃度の塩による風呂やマッサージも受けることができます。サルソマッジョーレの温泉水は、なんと地中海の約5倍ものミネラル成分を含んでいます。1日券は50ユーロ。お土産には、館内で販売されている、オリジナルのバスソルトや温泉水を配合したスキンケア商品がおすすめです。
いにしえの人々が発見した恵みの水は、現代の私たちも癒し続けています。名湯といわれるに至った歴史や、そこを訪れた偉人を偲びつつ湯に身をゆだねれば、体で感じる異次元のイタリアが見えてくるはずです。
INFORMATION:
Montecatini Terme www.termemontecatini.it
Salsomaggiore Terme www.termedisalsomaggiore.it