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顧客との対話から、その1本は生まれる ― トリノのカスタムメイド傘工房

傘職人のルーツ

北部ピエモンテ州の首都トリノ。中央駅から路面電車で30分ほど揺られて辿り着いたその店は、素通りしてしまうほどひっそりとした佇まいでした。しかし扉を開けた瞬間、色とりどりの傘に迎えられました。


ここは『オンブレッリフィチョ・トリネーゼ Ombrellificio Torinese』。初代が傘作りに携わってから131年を数える老舗の傘工房です。迎えてくれたカルロ・スイーノさんは5代目当主。彼によれば、第一次世界大戦後のトリノには約50軒、1950年代には100軒ちかくの傘工房があったと言います。そのうち唯一残ったのがこの工房です。


トリノの老舗傘工房『オンブレッリフィチョ・トリネーゼ Ombrellificio Torinese』の前に立つ、当主のカルロ・スイーノさん。
トリノの老舗傘工房『オンブレッリフィチョ・トリネーゼ Ombrellificio Torinese』の前に立つ、当主のカルロ・スイーノさん。


それにしても昔、なぜトリノには多くの傘工房が存在したのか、という疑問が浮かんできます。

「それを説明するには、まず傘職人のルーツからお話しましょう」とカルロさんは語り始めました。

時計の針を18世紀まで巻き戻しましょう。

トリノの北東にあるマッジョーレ湖付近の丘陵地帯は、厳しい地理条件のため農作物に恵まれず、貧困にあえいでいました。人々は、ピエモンテやロンバルディアの大都市まで働きに出ざるを得ませんでした。

彼らが出稼ぎした街のひとつ・トリノは、その地理的位置から文化的・政治的にフランスと関わりが深い土地でした。彼らはフランスからやってきた行商人から、傘の修理や製作を習得するチャンスに恵まれました。


カルロさんは話を続けます。

「やがて彼らは、各地を巡りながら傘の修理を請け負い始めました。つまり旅回りの傘職人となったのです。ルシャット(地域方言で“雷”の意味)と呼ばれた彼らが肩に担いで歩いていたのが、これです」。

カルロさんが指差す先には、新品の傘のほか、補修用の布や糸、ハサミなどを入れていた袋が、今やオブジェとして飾られていました。


故郷に帰れるのは多くても年に数回。収入は僅かなもので、お客さんの家の軒先を借りて野宿をせざるを得ないほど厳しい仕事だったといいます。しかし、なかには財を蓄えて、街で自分の店を構える夢を叶えた人もいました。こうした背景から、トリノに傘工房が増えていったと考えられています。


その昔、旅回りの傘職人たちが用いていた修理道具入れ。
その昔、旅回りの傘職人たちが用いていた修理道具入れ。

連綿と受け継がれる技

カルロさんの高祖父はマッジョーレ湖周辺出身ではなかったものの、1890年に近郊の農村から明るい未来を信じてトリノへと移住してきました。彼の場合、すでに存在した傘の部品やステッキを製造する工場で修行をしました。

「それこそ私たち家族が、代々傘の世界で生きるきっかけでした」

独立して自身の工房を構えたのはカルロさんの祖父でした。事業は成功。最盛期の1950年代には100人の働き手とともに、1日1000本の傘を製造していたといいます。


長年カルロさんの一家の傘作りに貢献してきた古いミシン。
長年カルロさんの一家の傘作りに貢献してきた古いミシン。

ところがカルロさんの父親の代である1980年代になると、イタリアにも安価な輸入品の傘が流入し、経営に暗い影を落とします。トリノの同業者は次々と廃業に追い込まれていきました。

危機感を覚えた5代目のカルロさんは、「これからは数ではなく、職人が1本1本に手間暇をかけた“作りの良さ”を強調すべきである」と認識し、原点回帰をはかります。


量産時代の傘製造は、シャフトを作る人、生地張りをする人、刺繍を施す人というふうに分業化されていて、一人が一貫して仕上げるスタイルではありませんでした。

カルロさんはといえば、幼少期から工房を遊び場にし、見様見真似でシャフトを作り、ミシンがけを覚え、15歳には傘を完成させた経験こそありました。しかし、実際に仕事として一人で仕上げる決心をした際、改めてかつての師匠たちに指導を仰いだといいます。

「加えて、染色の知識も身につけました。幼い頃からの情熱と新たな知識の両輪で、再びこの生業を輝かせたいと思ったのです」。


ひとつひとつ丁寧に仕上げるカルロさんの高品質な傘の評判は、次第に広まっていきました。

今日、顧客リストには多くのセレブリティも名を連ねます。2006年にトリノで開催された冬季オリンピック開会式では、当時のチャンピ大統領が用いる傘も手掛けました。


工房の片隅に掲げられた傘のパーツ説明図。
工房の片隅に掲げられた傘のパーツ説明図。

生地に型紙をあてながら慎重に裁断していくカルロさん。
生地に型紙をあてながら慎重に裁断していくカルロさん。

世界に1本の贈り物

カルロさんの話を聞いていると、「修理をお願いできますか?」と数本の傘を抱えた男性が入ってきました。スパルタコさんと名乗る彼は、「どれも思い入れのある品です。私は使い捨てを好みません。一流の職人によって蘇らせてもらえるなら、これほど嬉しいことはありません」と話してくれました。


続いて訪れたのは、友人へカスタムメイドの傘を贈りたいというお客さんでした。「私の友達が大切にしていた傘を盗まれてしまいました。落ち込む姿が気の毒で、代わりの傘をプレゼントしようと考えたのが来店のきっかけです。」


お気に入りの傘を持ち込んだ地元トリノ在住のスパルタコさん(左)。カルロさんから、どのような修理を施すのか説明を受けます。
お気に入りの傘を持ち込んだ地元トリノ在住のスパルタコさん(左)。カルロさんから、どのような修理を施すのか説明を受けます。

生地はイタリア製。樹脂コーティングされたコットン・キャンバスから超軽量繊維まで、様々な素材を取り揃えています。
生地はイタリア製。樹脂コーティングされたコットン・キャンバスから超軽量繊維まで、様々な素材を取り揃えています。

カスタムメイド傘の第一歩として、カルロさんは顧客ひとりひとりの要望にじっくりと耳を傾けます。初回のカウンセリングには、最低1時間を費やします。それを通じて、生地・ハンドル・骨数・骨の長さ・刺繍の入れ方などを決めていきます。スペックはすべてカードに記入し、納品後も保管します。

「お客様が熟慮してオーダーしてくださった1本です。将来、万一破損したり紛失してしまった場合でも、同じ傘を作ることができるようにしているのです」。傘と顧客への愛情がひしひしと伝わってきます。


完成までは約3週間を要します。そういえば、私が工房を訪問してから、ちょうど同じ時間が経過しました。

贈り物をオーダーした前述のお客さんは、「実は、友だちは聖職者なんですよ」と言っていました。黒い祭服姿の本人が、開いた傘の下でどんな笑顔を見せるのだろう・・・と勝手に想像しては嬉しくなっている私です。


マラッカ籐、竹、カエデ、アカシア、栗などで作られたバリエーション豊富なハンドル。
マラッカ籐、竹、カエデ、アカシア、栗などで作られたバリエーション豊富なハンドル。

動物など温かみのある木彫りのグリップも。
動物など温かみのある木彫りのグリップも。

レディ・メイド商品は公式サイトから購入可能(価格€114〜€221)。「カスタムメイドはメールでも対応しています」とカルロさん。
レディ・メイド商品は公式サイトから購入可能(価格€114〜€221)。「カスタムメイドはメールでも対応しています」とカルロさん。

INFORMATION

Ombrellificio Torinese  https://ombrelli.it