繊維の街で、新たな挑戦
シエナ歴史的市街を象徴するカンポ広場で、2021年冬に催されたメルカート(マーケット)でのこと。ひときわ人だかりができている店がありました。
人々の肩越しから覗いてみると、花柄のモチーフをはじめとする目にも楽しいブランケットが並んでいます。その空間だけ、一足早く春がやってきたかのようでした。
フィレンツェの隣町プラートからやってきた『セグジ Segugi』の屋台でした。
まず彼らの故郷・プラートの歴史に触れておきましょう。この地では早くも12世紀初頭に、羊毛生産や加工が行われていたことが確認されています。町を流れるビセンツィオ川の豊富な水は、染めた布を洗ったり、水車の動力源として活用されました。
しかし中世になると、プラートを支配していたフィレンツェは、高級織物を手掛ける羊毛組合の利権を保護すべく、彼ら以外が高値な品を作ることを禁じます。そのため、プラートの工房では高度な技術を有していたにもかかわらず、普及品しか生産できなくなりました。
それでもプラートの職人たちはくじけませんでした。街は一般向けの織物づくりに注力。その流れを受けて、19世紀後半には布の切れ端などを使った製品作りが盛んになりました。
第二次世界大戦後はより技術を向上させ、色別に選別・粉砕・特殊加工を施した再生繊維で繁栄を謳歌します。
ところが、再び危機が街を襲います。労働コストの安い中国で作られた製品が市場に流入しはじめたのです。さらに1990年代になると、大量の中国人労働者がプラートに移住し、廃工場を借りてアパレルの量産を開始しました。イタリア人の元工場主たちにとっては賃貸収入こそ得られるようになりましたが、繊維の街の容貌は大きく変化しました。
そうした経緯をもつプラートで、セグジが目指すものは?オーナーのミリアム&ジャンルーカ夫妻に話を聞きました。
2人はいずれも繊維業界で働く親のもとで育ち、妻のミリアムさんは既製服メーカーに、夫のジャンルーカさんは古着から布を製造する仕事に就いていました。しかし小規模な地元企業の業績はしぼむばかりでした。
「私たちのなかに流れるDNAが、繊維の世界に留まる選択を促したのです」とミリアムさん。そこで夫のジャンルーカさんと共に2011年に立ち上げたのが、ブランケット専門のオリジナルブランド『セグジ』でした。
そのぬくもり、北極圏まで
見た人誰もの心を弾ませるブランケットのデザインは、どれもミリアムさんが目にした草花や高山植物からインスピレーションを得たとか。
そっと撫でると、明らかに上質な素材とわかる肌触りが伝わってきました。冬の寒空の下、思わず顔を埋めて暖まりたくなる衝動に駆られます。
プラートという土地柄、再生繊維かと思って尋ねると、答えはノーでした。
「私たちの製品は、バージンウールとGOTS(オーガニック・テキスタイル世界基準)認定のコットンを用いています。ウールは主にノルウェーとペルーから取り寄せます。模様の立体感は、毛足の長いバージンウールでのみ表現できるからです」。
昨今イタリアで多くの繊維・アパレル業界が注力しているのは、マス・プロダクションから、ニッチ市場で受容される差別化された商品への転換です。デザイン性と高品質の追求は、セグジにとっても生き残りをかけた戦略であることに違いありません。
ふたたび歴史に戻れば、いにしえのプラートの職人たちは、欧州各地を旅しながら織物を売り歩いていました。同様に、多くの人に製品を知ってもらいたいミリアム&ジャンルーカ夫妻ですが、自在な国境移動が復活するには、あと少し時間を要しそうです。
そこで現在は、公式サイトの充実とともに、国内各地のメルカートを丹念に巡りながら、人々の目に触れる機会を増やしています。いずれの場合も「お客さまに、作り手の“顔”を知ってもらえるような対応を心がけています」と彼らは熱く語ります。
加えて、彼らが顧客との交流のなかで印象に残ったエピソードも聞かせてくれました。「そのお客様は、グリーンランドで氷河の研究をしている息子さんへのプレゼントにと、セグジのブランケットを選んでくださったのです。私たちの品が遠く北極圏でも愛用されていることを知り、大きな喜びに包まれました」
独特の織りと触り心地、そして暖かさを兼ね備えた彼らのブランケットは、さらに世界のあちこちで、人々の身体と心を温めてくれることでしょう。
Information / Photo
セグジ Segugi www.segugi.eu