なけなしのお小遣いで
ある日のこと、知人で小学生のイタリア人兄妹から「マンマに内緒でちょっと話がある」と連絡がきました。何か家庭の問題でも?
実際の相談は、なんとも微笑ましいものでした。「母の日のプレゼントを一緒に選んで欲しい」というお願いだったのです。
彼らと街を散策しながら目に留まったのは、子どものお小遣いから捻出するには高価であったものの、上質で美しい1枚の布巾でした。
私が彼らの贈呈の場にも立ち会ったところ、母親は「この先どんなにシミがつこうが、一生捨てられないわ!」と言いながら兄妹を抱きしめました。
実は、兄妹が選んだ布巾は、『ブザッティBusatti』のものでした。
そこで今回は、イタリアでマンマへの贈り物としても定番の、この高級リネンメーカーを紹介します。
ダ・ヴィンチゆかりの地で
それからしばらくして、私はトスカーナ州アレッツォ県にある街・アンギアーリを訪れる機会に恵まれました。
その町名を聞いてピンときた人は、おそらく美術ファンでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチによる壁画『アンギアーリの戦い』の舞台となった場所です。
なんとこの町に、あのブザッティの本社兼本店があると聞きました。これは立ち寄らずにいられません。
店に入るや否や、壁の棚にぎっしり積まれた色とりどりの生地に目を奪われました。冒頭で子どもたちと訪れた店のように、仕立て終えた製品のみを扱う各地のブザッティ取扱店と異なり、本店では好きな生地を好きな長さだけ切り売りしてもらうこともできるのです。
店の奥には広々としたショールームが続き、製品を用いたテーブルコーディネートやベッドルームの実例が提案されています。
まるで友人の家に案内されたかのうようにウキウキした気分で巡っていると、「ぜひ、工房も見ていってください」と話しかけられました。声の主はブザッティの古参社員ミケランジェロさんです。生地を織っているのは、なんと同じ本店の地下なのでした。
きっかけは、あのフランス皇帝
ミケランジェロさんは工房へと導きながら、ブランド誕生のルーツを語り始めました。
ブザッティ家の祖先は、今日と同じ館で食料品店を営んでいたといいます。
ところが1797年、彼らの平穏な生活は一変します。ナポレオンのイタリア遠征により、アンギアーリも彼らによって占領されたのです。
一家の館は接収され、最上階は兵舎となりました。さらに地下室には織機が運び込まれ、軍服や戦場用の毛布の生産が始まりました。
その後、占領が終わって館が返還されると、ブザッティ家はナポレオン軍が放置していったカーディングマシン(羊毛梳き機)や織機を使って、リネン作りを始めます。これこそ今日に続くブランド「ブザッティ」の起源です。1842年のことでした。
伝統と革新と
工房では、古い機織り機の間を忙しく動き回っている男性がいました。
創業8代目のステファノさんです。兄は社長として経営全般を担っているのに対して、彼は生地のデザインから織布までを担当しています。
2021年で創業179年。後継者としての思いを聞くと、「私たちの最大の使命は、伝統を絶やさず次世代へと手渡すことです。しかし、それに頼るだけなく、今を生きる私たちならではのセンスを加えていく。それこそが明るい未来への鍵になると信じています」と、ステファノさんは語ってくれました。
彼は、古い織機に最新3Dプリンターで制作したパーツを組み合わせるなど、製造工程の段階から果敢なチャレンジを行っています。
世界各地で暮らしを彩る
トスカーナ一帯で栽培される麻、コットン、そしてウールなどの天然素材を使いながら、洗練したデザインと革新的な技術によって生まれた製品は、国内外で高い評価を受けています。
彼らのクライアント・リストには錚々たる名前が並んでいます。
あのフェラガモ・ファミリーが所有する、同じアレッツォ県の高級リゾート「イル・ボッロ」は、客室やレストランにブザッティのリネンを採用しています。
ニコール・キッドマン、エルトン・ジョン、スティングを始めとする世界中のセレブリティからも愛され、2013年には、ヒュー・グラントがこのアンギアーリ本店で買い物を楽しみました。
案内を終えたミケランジェロさんは、最後にこう結びました。
「ブザッティのクロスがテーブルに彩りを添え、家族との会話を弾ませる。そうしたきっかけになれるのであれば、作り手にとってこれ以上の喜びはありません。」
在宅時間が増えて、家族と共に囲む食卓の大切さが見直されている今。ブザッティのリネンは世界のあちこちで、そうした役割を担っているに違いありません。
写真/Busatti, Mari Oya