究極のカスタマイズ自転車
イタリアでは鮮やかなジャージに身を包んだサイクリストたちが、新緑の間を走り抜ける季節がやってきました。ロードレース「ジーロ・ディターリア」が催される時期でもあります。乗って楽しむ、観戦して楽しむシーズンの到来です。
イタリアのロードバイクといえば、ビアンキ、ピナネロ、コルナゴなど、グローバルブランドの名前が浮かびます。
しかしその傍で、小規模ながらフレーム設計を含め、全工程を手掛ける工房が数々存在します。「レディメードで楽しんだあとは、究極のカスタマイズを体験したい」というエンスージアストの夢を叶えてくれるファクトリーです。
今回はそうしたなかから、フィレンツェ発のブランド『フォルミリ FORMIGLI』を紹介します。
自転車ビルダーへの道のり
フォルミリは、花の都フィレンツェ・ペレトラ空港から車で10分ほどの場所にあります。その世界的知名度とは対照的に、細い路地に面した店構えは町の自転車ショップといった風情です。
工房の主、レンツォ・フォルミリさんは1968年生まれ。この道30年の自転車ビルダーである彼は、熟練職人数名と製作にあたっています。
様々なパーツから構成されるロードバイクですが、とくにフレームは素材・形状によって乗り心地が大きく変化します。
ス・ミズーラ(su misura=注文仕立て)によるフレームは「ユーザーの体型を測定し、それをもとに詳細な設計図を起こすことから始まります」とレンツォさん。カーボン、アルミニウム、スチールの3種。もちろんフレーム単体の受注だけではなく、ハンドルやシート、タイヤや変速機などを装着した完成車も手掛けています。
レンツォさんと自転車の馴れ初めは幼少期に遡ります。祖父、父がプロ自転車選手だったことから、自身も物心ついた頃から熱心に観戦していたといいます。
しかし、次第に彼の興味は自転車を操る以上に、その分解と組み立てへと移っていきました。事実8歳にして「将来は自分で自転車を作る人になる!」と母親に宣言したのだとか。
その後、レンツォさんは通学路の途中にあった自転車店に足繁く通うようになりました。そこで初めて1台を組み立てた経験が、ビルダーになる夢をさらに膨らませます。
やがて21歳のとき、運命的な出来事が訪れました。
当時、父親が地元チームでコーチをしていた縁で、元プロレーサーのチーノ・チネリ氏と出会ったのです。チネリ氏はジーロ・ディターリアなどで輝かしい戦績を収め、引退後には世界的自転車ブランド『チネリ Cinelli』を興した人物です。
チネリ氏は、それまで自転車製作で弟子をとったことがありませんでした。しかしレンツォさんの熱心さが彼の心を動かしました。かくして、伝説の匠のもとで修行を許されたのです。
職人技と新素材の融合を目指して
そして弱冠22歳にして、レンツォさんは自らのブランドを立ち上げます。とはいえ、草創期は厳しいものでした。「いくら技術や高品質をアピールしても『若造が造る自転車など信頼できない』と言われ続けました」と本人は振り返ります。
土地柄もありました。フィレンツェは1870年に国内初の公式自転車レースのスタート地点であったことから、いわば競技用自転車の都でした。戦後1950年代には数々のフレーム工房が市内に誕生しました。レンツォさんの新興ブランドが頭角を現すことは容易でなかったのです。
それでも、レンツォさんの情熱の灯が消えることはありませんでした。かつてチネリ氏から授かったある二つの教えを守り続ければ、道は開けるという自信があったからです。
教えとは「自転車の核となる基本設計を完璧に仕上げること」「長年積み重ねられてきた伝統技術を基礎としながらも常に工夫を重ねること」でした。
その言葉を胸にレンツォさんは、小さな工房でありながら、軽量かつ高剛性・柔軟性を実現できるカーボン製フレームに早くから取り組みます。
製品は徐々に愛好家の間で評判になり、各地のレースに車両を提供するまでになりました。
次に着地するのは、どこだ
レンツォさんの話は、2020年以降のコロナ禍における自転車業界にも及びました。イタリアでもいわゆる3密を避ける移動手段や、屋外において独りで楽しめるスポーツとしての自転車需要は増加しています。「閉鎖的な環境下で行われる全スポーツが中止に追い込まれた一方で、サイクルスポーツへの関心は高まるばかりです。おかげさまで私の仕事も劇的に増えています」とレンツォさん。
自身のブランドを立ち上げて、すでに30年余。
「私の製品がさまざまな国で知られたことを幸せに思います。たとえばイスラエルなど、それまで自転車文化を想像できなかった地域での出会いも印象的でした」と、自身の職人人生を振り返ります。
金属を叩く音やバーナーの燃焼音が響く作業場。命を吹き込まれた1台1台は、レンツォさんによる厳しいチェックを経たのちに、何重にも梱包されて各国へ発送されてゆきます。
次にその両輪が接地するのは、サンフランシスコのシーサイドか、それとも中東の砂漠に通る舗装路か。かくも工房前の細い路地は、見えない道で世界と繋がっているのです。
写真 / FORMIGLI, Mari Oya
インフォメーション https://formigli.com