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愛の証を作り続けて。『ウノアエレ UNOAERRE』のジュエリー

紀元前から受け継がれた伝統

本日2/14はバレンタインデー。イタリアでは“チョコレートを贈る日”というイメージに限定されておらず、恋人同士が互いに想いを確かめ合う「愛の日」として捉えられています。そうしたシチュエーションで、特別感のある贈り物といえば、やはりジュエリーでしょう。


ウノアエレUNOAERRE』は、伝統的なクラフツマンシップとイタリアならではのスタイリッシュなデザインで知られる老舗ジュエリー・ブランドです。


創業の地アレッツォは、古くから「金細工の町」として知られてきました。

その歴史は遥か紀元前まで遡ります。古代ローマ以前、現在のトスカーナを中心とする地域には、エトルリア人と呼ばれる先住民族が暮らしていました。銅や鉄、金や銀などの豊富な地下資源に恵まれたアレッツォ一帯で、彼らは青銅や彫金などの加工技術を極めます。培われた伝統をもとに、やがて町には金細工の工房が次々と誕生していきました。


イタリア屈指の金細工の町アレッツォで誕生したウノアエレは、長年にわたりゴールドの美しさを追求し続けてきました。(photo: UNOAERRE)
イタリア屈指の金細工の町アレッツォで誕生したウノアエレは、長年にわたりゴールドの美しさを追求し続けてきました。(photo: UNOAERRE)

その歴史とブランド名の由来

時代は下って20世紀。アレッツォで金細工および時計職人として店を構えていたカルロ・ズッキは、シエナ出身で貴金属や時計の問屋を営んでいたレオポルト・ゴリと出会います。彼らは1926年、二人の名を冠したゴリ・アンド・ズッキ(Gori&Zucchi)社を設立しました。


やがて1934年、金および取引に関する法律が公布され、全製品に製造業者の登録番号と地名(略語)を刻印することが義務付けられました。当時の首相ベニート・ムッソリーニが進めていた近代工業化政策の一環で、品質管理の向上を目的としたものでした。


そうしたなか、ゴリ&ズッキ社は、アレッツォにおける金製品の製造業者第1号に登録されます。以後、彼らの全プロダクトには、1番目を意味する1(ウノ)と、アレッツオ県の略称AR(ア・エッレ)を並べた「1AR」が刻印されるようになります。それは後年、今日まで続くブランド名『UNOAERRE』のもとになりました。 


さらに翌35年、ムッソリーニは国家財産を補填するため「祖国に金をOro alla Patria」のスローガンのもと、金の回収令を展開しました。そのため、多くのイタリア人が愛の証である結婚指輪を手放しました。

金製品は贅沢品とみなす風潮は、ゴリ&ズッキ社の業績にも大きな影を落としていきます。銅や銀、色ガラスそして珊瑚などを用いたジュエリー生産で糊口を凌ぎました。


第二次世界大戦後は、後述するヒット商品による知名度の向上や、伝統的な職人技と近代的なテクノロジーを融合させることによって、アレッツォを代表するジュエリーブランドへと成長していきました。


1950年代、品質管理部門でチェーンの検査を行う従業員。(photo: UNOAERRE)
1950年代、品質管理部門でチェーンの検査を行う従業員。(photo: UNOAERRE)

ミュージアムで見つけた伝説のアイテム

2022年で創業96年を迎えるウノアエレの本社工場は、アレッツォ郊外サン・ゼーノ地区にあります。併設のミュージアムを訪ねました。

2千点を超えるコレクションが、デザイン画やプロトタイプ、ジュエリーなど、年代ごとにディスプレイされています。


ウノアエレ・ミュージアムは、イタリアにおける伝統的な金細工工芸の継承を目的に1988年に開設されました。
ウノアエレ・ミュージアムは、イタリアにおける伝統的な金細工工芸の継承を目的に1988年に開設されました。
1960〜70年代に作られたさまざまなチェーンの見本。
ミラノ・スカラ座創建200年を記念して作られたメダル。20世紀のイタリア現代彫刻界の巨匠ジャコモ・マンズー作。
ミラノ・スカラ座創建200年を記念して作られたメダル。20世紀のイタリア現代彫刻界の巨匠ジャコモ・マンズー作。

館内で、「愛のメダル」と名づけられたペンダントが目に留まりました。「+ DI IERI − DI DOMANI」 と、謎解きのような文字が刻まれています。日本語に訳せば「昨日よりもプラス 明日よりはマイナス」です。込められた意味は?


館員は「今日あなたを愛する気持ちは、昨日より多く、明日よりはまだ少なく。つまり、愛は日増しに深まっていくというメッセージなのです」と解説します。

フランスの詩人ロズモンド・ジェラールの詩をもとにしたアイディアです。


ウノアエレによる初期の「愛のメダル」は、「+ -」を刻んだシンプルなものでしたが、次第にバラの花を添えたり、宝石をあしらうなどバリエーションが拡大していきました。こちらは1960〜90年代のもの。
ウノアエレによる初期の「愛のメダル」は、「+ −」を刻んだシンプルなものでしたが、次第にバラの花を添えたり、宝石をあしらうなどバリエーションが拡大していきました。こちらは1960〜90年代のもの。

ウノアエレが1961年にリリースした「愛のメダル」は大きな反響を呼びます。その後25年間だけでも1500万個を売る大ヒット作となり、ブランドの知名度を飛躍的に向上させました。

後日、私の知人のお年寄りに聞くと「当時の若い女の子は、誰もが恋人からこのペンダントをプレゼントされたいと思ったものよ」と教えてくれました。


今日、ウノアエレのゴールドジュエリーは、イタリア国内のマリッジ関連宝飾品市場で70%のシェアを誇ります。


「愛のメダル」は、先にそれを手がけていたフランスのジュエリーメゾン「オジス」からイタリア国内ライセンスを取得したのが始まりでした。これは1961年と1963年の広告写真。(photo: UNOAERRE)
「愛のメダル」は、先にそれを手がけていたフランスのジュエリーメゾン「オジス」からイタリア国内ライセンスを取得したのが始まりでした。これは1961年と1963年の広告写真。(photo: UNOAERRE)

見学のあと、私が立ち寄ったのは建物内にある工場直営のショップです。ブランドの歩みを知ったうえで目にした彼らのジュエリーは、これまで以上に尊く輝いて私の目に映りました。


ふと傍に目をやると、初々しいカップルが指輪を選んでいる最中でした。

恋人たちの愛の証を作り続けてきたウノアエレのブライダルジュエリーは、その歴史をもって、二人を輝かせ続けることでしょう。


伝統的なオーバル型チェーン・ネックレスには、1930年代のアールデコ様式からインスピレーションを受けたバングルを組み合わせて。(photo: UNOAERRE)
伝統的なオーバル型チェーン・ネックレスには、1930年代のアールデコ様式からインスピレーションを受けたバングルを組み合わせて。(photo: UNOAERRE)
コーディネイトを引き締めてくれるモード系のフォルムが印象的。中空構造のため、そのボリューム感から想像できないほど着け心地は軽やかです。(photo: UNOAERRE)
シンプルでありながら秀逸なデザイン性を感じる、シルバー素材のペンダントネックレス。(photo: UNOAERRE)

Informationウノアエレ UNOAERRE  

https://unoaerre.jp

*ミュージアムおよび直営ショップの営業日・時間は以下を確認

https://www.unoaerre.it/it/museo-arte-orafa/