伊達男たちの足元を支えて
フィレンツェの紳士服見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。会場には、トレンドを絶妙に取り入れたインフルエンサーやブロガーたちが世界から集います。私がカメラを向けるたび、彼らは臆することなくポーズを決めてくれます。
そのたびハッとさせられるものといえば、シックなパンツの裾からチラリとのぞく、ポップなソックスです。ファッショニスタは洋服や靴と同様、ソックスにも強いこだわりを持っているのです。ガチガチにきめない抜け感あるコーデは、彼らの上級テクニックです。
ここに紹介する『デピオ DèPio』は、ピッティをはじめ各地のフェアで常に注目されてきたブレシアのレッグウェアブランドです。
秀逸なデザイン、絶妙な色の組み合わせ、凝った模様編みを特徴とするデピオのソックスは、モノトーンになりがちな冬のコーデのアクセントに欠かせません。
発明家でもあった創業者
彼らの本拠地である北部のブレシアは、イタリア屈指の靴下生産地です。なぜこの地で?
一帯は、近郊で採掘される良質な鉄鉱石により、古くから鉄の加工技術が発達しました。その流れで機械工業や兵器製造とともに、金属フレームをもつ紡績機の製造が始まり、それを用いた繊維産業も発展したのです。
デピオ創業家3代目のエリザベッタ・トライーニさんによると、本社があるブレシア近郊ボッティチーノにも19世紀末、2軒の紡績工場があったといいます。「ただし、蚕期(カイコを飼育する時期)のみ人々が働く小さなものでした」。
やがて地元カトリック司祭の主導で、人々が年間を通じて働ける近代的工場が設立されます。おかげで町は1920年代、シルクストッキングの生産で繁栄しました。
「そこで機械工として働いていた私の祖父ピオ・キアルッティーニが1949年に独立・創業したのが『デピオ』だったのです」。DèPioは、イタリア語の「di Pio=ピオの」にちなんだ造語でした。
自身の工場をもったピオ氏は、そこにイノベーションをもたらしました。
「従来の女性用ストッキングは直線状に編んでいましたが、祖父は筒状に編む機械を考案しました。また今日では一般的ですが、男性用ソックスの履き口にずれ落ち防止用ゴムを入れる加工を考えたのも祖父でした」
この2つの発明でピオ氏は1953年に2件の特許を取得。デピオの発展だけでなく、イタリアの量産靴下産業全体にも貢献しました。
オリジナリティの追求
ピオ氏の跡を継いで2代目となったのは、彼の娘であるマリーさん、つまりエリザベッタさんの母親でした。「母は美術学校とともに修復学校にも通ったほど、芸術に深い造詣がありました」とエリザベッタさんは解説します。
マリーさんが家業を継いだ当時のソックスは、ブラック、ブルー、グレーといったスタンダードな色が主流でした。そこに新風を吹き込むべく、彼女は自らデザインを手がけ、それを生産するため最新機も積極的に導入しました。
遊び心に溢れたデザインと、厳選した糸が生み出す上質な履き心地を備えたデピオのプロダクトは、ハイエンドのソックス市場で独自のポジションを形成してゆきました。その功績から2009年、ロンバルディア州から“優秀な職人”の称号を授与されます。
発明家気質の創業者、芸術家肌の2代目と、デピオは社会の潮流や顧客のニーズに柔軟に対応しながら成長を続けてきました。
そのバトンは今日、ミラノ工科大学で建築を専攻したエリザベッタさんと、彼女をサポートする弟ジョルダーノさんに託されようとしています。「ブランドの未来は、専門知識の蓄積と継続的な研究によってこそ拓かれていくと信じています。伝統を守りつつ、多くの皆さんにブランドが認知されるのが私たちの夢です」と彼女は結んでくれました。
私が手に入れたデピオの1足は、口ゴム部、レッグそして底に、それぞれ異なる編み方とデザインが施されたものでした。ポイントを押さえたフィット感と、心地よいルーズ感は高度な技術を匂わせます。色彩のコンポジションによる妙は、壁に飾ればコンテンポラリーアートになるかと思われるほどです。
ソックスをグレードアップしただけで、これほど気分が高揚するとは!以来、チラ見せしたいがために、ロールアップスタイルがつくれるボトムスばかり履くようになった私でした。
そして、その温もりからは、一家三代にわたるプロダクトへのパッシオーネ(情熱)がひしひしと伝わってくるのです。
Information / Photo
Calzificio DèPio https://depio.it