黒い。ほろ苦い。でも、なぜかクセになる——イタリアには、ちょっと不思議な飲み物があります。その名は「キノット(Chinotto)」。日本ではほとんど知られていないのに、イタリア人の間ではおなじみの炭酸飲料です。知れば知るほど気になるソーダの秘密をひもときます。
始まりは船乗りの果実から
私がイタリアに住み始めて間もないころ、知り合った現地の人の家で「冷たいものでも飲む?」とグラスを差し出されました。そこには黒い炭酸飲料が注がれていました。
「あ、コーラね」と何気なく口にすると、何かが違いました。甘さは控えめでほろ苦く、ハーブを思わせるエキゾチックな香りがふわりと漂ったのです。一度飲んだらクセになりそうな、その不思議な味わいの飲み物こそ「キノット」でした。
Chinottという言葉の意味を知るには、大航海時代までさかのぼる必要があります。柑橘類は長い船旅によるビタミン不足(壊血病)から船員を守る大切な食料でした。伝承によれば、16世紀に当時リグーリア地方の航海士が、中国からミカンに似た小さな果物を持ち帰ります。その果実の名は、中国を意味する古いイタリア語「China(キーナ)」に、小さいものを表す接尾辞「-otto」が加わったことに由来し、やがて「Chinotto(キノット)」と呼ばれるようになりました。
キノットの木はリグーリア西部の海岸に根付き、特にサヴォーナ周辺で盛んに栽培されるようになります。この地の気候と土壌に育まれた実は、やがて「他地域に比べて小ぶりながらも、皮が厚く、香りが際立つ」という独自の個性を宿すようになりました。しかし、独特の苦みは変わらず、そのまま口にできる人は限られました。
キノットの果実に新たな活路を見出したのは19世紀後半、フランスからサヴォーナに進出した菓子業者シルヴェストル=アルマンです。彼が母国から携えた伝統技法により、キノットの果実は砂糖漬け菓子の原料として用いられるようになったのです。
19世紀末にはキノットの砂糖漬けをサクランボからつくられるリキュール「マラスキーノ」に浸す食べ方も生まれました。それは20世紀初頭にかけて、イタリアやフランスの高級カフェでコーヒーと楽しむデザートとしてブルジョワジーに親しまれました。

万民のソーダへ
1930年代初頭になると、砂糖漬けとは別の方法でキノットの果実を活用できないかと考えた人物が現れます。ミラノにあった香料研究所の調香師コスタンティーノ・リガモンティです。彼はキノットの実にスパイスやハーブのエキスを調合し、今日に続くキノット飲料の原点となるレシピを考案しました。以来「キノット」といえば、徐々に飲み物を指すようになっていきます。
さらに第二次大戦後は、いくつものメーカーがキノット飲料市場に本格参入。なかでも1949年にローマのピエトロ・ネーリ社が発売した炭酸入りの「キノット・ネーリ(Chin8 Neri)」は大胆な宣伝カーなどを用いたプロモーションが奏功し、瞬く間に知名度を上げました。1950年代には、ミネラルウォーターのブランドとして名高いサンペレグリノ社もキノットのソーダを商品化しました。彼らの製品はいずれも、バールやイタリア各地のスーパーマーケットを通じて広く普及しました。



コーラにない懐かしさ
今日、炭酸飲料としてのキノットは、定番商品からオーガニック(Bio)、素材にこだわったプレミアム系まで、さまざまなバリエーションが商品として展開されています。
イタリアのバールでは氷を入れ、レモンスライスを添えるのが定番です。ピッツァやパスタ、揚げ物などのカジュアルな食事とも相性がよく、料理の脂っぽさをさっぱりと流してくれる一杯です。

シエナのカンポ広場に面した「バール・イル・パリオ (Bar Il Palio)」の店主グイードさんによれば、「年配の方たちは、今もコーラの代わりにキノットをオーダーされる方が少なくないよ」と証言します。彼らがメニューに並べているのは、戦後いちはやく登場した前述の「キノット・ネーリ」です。「彼らにとってキノットは、外国由来の清涼飲料が普及していなかった子ども時代の懐かしい味だからね。ひと口飲めば、昔の記憶がよみがえるんだよ」と彼は話します。
はるか16世紀に海を渡ってきた小さな柑橘が高級デザートを経て、イタリアを代表するソーダへ。カウンターで無数にはじける炭酸の粒の向こうに、百年にわたる物語を見たのでした。
