フィアット
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AUTOMOTIVE 27 Sep 2021

トリノ。再生しながら未来へ続く街


2021年、イタリアは国家統一160周年を迎えました。
今日イタリアの首都といえば、いうまでもなくローマ。しかし、共和国の前身である「イタリア王国」が誕生した1861年から最初の4年間、首都は北部の都市トリノでした。
日本では2006年トリノ冬季五輪で、街の名前はさらに知られるようになりました。サッカーファンは、強豪ユベントスの本拠地として記憶していることでしょう。
トリノの名所を紹介した本やウェブサイトは数々ありますので、今回は再生未来をキーワードに、街ゆかりの「自動車」を交えながら、とっておきのトリノ・ガイドをお届けしましょう。

17世紀築のセレクトショップ

国家統一後初のイタリア国王となったのは、トリノを治めていたサヴォイア家の当主ヴィットリオ・エマヌエーレ2世でした。
トリノと同家の歴史は16世紀後半、サヴォイア公国の首都がフランスのシャンベリーから遷都されたことに遡ります。サヴォイア家は、王宮や広場を含む華麗な建築を市内に次々と実現しました。
旧市街で建物の1階にみられる、柱で支えられた屋根付き回廊「ポルティコ」もそのひとつです。貴族たちが雨や雪を避けて歩けるように整備されたものでした。

“トリノの応接間”とも称されるサン・カルロ広場。周囲には、この地の貴族や政治家に愛されてきた優雅なカフェが並びます。“トリノの応接間”とも称されるサン・カルロ広場。周囲には、この地の貴族や政治家に愛されてきた優雅なカフェが並びます。

王宮からほど近いサン・カルロ広場にも、ポルティコを備えた当時の館が立ち並びます。
トリノを代表するその広場における、トレンディな話題といえば『San Carlo dal 1973』。17世紀後半に建設された旧ヴィッラ侯爵邸を、2年前見事にレストアしたセレクトショップです。
オーナーのジョルジーナ・シヴィエロは、アルマーニ、シャネル、グッチ、プラダなどビッグブランドとともに数々のショップを成功させてきた、トリノ・ファッション界におけるセレブリティです。
ある意味成功者である彼女が、あえて「新しい才能やトレンドを発掘し、同時に時を経ても持続するスタイルを提案する」というコンセプトに基づいて始めたのが、『San Carlo dal 1973』というわけです。
その舞台に選んだのが旧侯爵邸でした。

ポルティコから入ると、目の前に現れるのは緑に囲まれた中庭です。一角に張り出すようにある建物は、かつては馬小屋だったとか。
中庭を囲む2フロアの店内には、ジョルジーナの審美眼でセレクトされたドレス、シューズ、バック、ジュエリー、さらに美術品やアンティーク家具、書籍などまで並びます。
丹念に修復を繰り返しながら歴史的建築物を使い続ける文化と、持続性を意識したコレクション。ジョルジーナの館は、イタリア流サステナビリティを体現した最新例です。

17世紀後半の館を修復したセレクトショップ『San Carlo dal 1973』。中庭は都会のオアシス!書籍のプレゼンテーション、映画・芸術・料理などに関するミーティングやコンサートなども開催されるとか。(Photo: San Carlo dal 1973)17世紀後半の館を修復したセレクトショップ『San Carlo dal 1973』。中庭は都会のオアシス!書籍のプレゼンテーション、映画・芸術・料理などに関するミーティングやコンサートなども開催されるとか。(Photo: San Carlo dal 1973)

オーナーのジョルジーナ・シヴィエロのポートレイトが飾られたコーナー。(Photo: San Carlo dal 1973)オーナーのジョルジーナ・シヴィエロのポートレイトが飾られたコーナー。(Photo: San Carlo dal 1973)

思わず惹きつけられる季節感たっぷりのディスプレイ。センスと感性が光る秋のコーデの一例です。(Photo: San Carlo dal 1973)思わず惹きつけられる季節感たっぷりのディスプレイ。センスと感性が光る秋のコーデの一例です。(Photo: San Carlo dal 1973)

笑顔がキュートな常連客のレナータさん。鮮やかなダニエラ・グレジスのドレスに、ソフィー・ディガールのバッグを合わせて。 サン・カルロ広場はフォトシューティングにも最適です。(Photo: San Carlo dal 1973)笑顔がキュートな常連客のレナータさん。鮮やかなダニエラ・グレジスのドレスに、ソフィー・ディガールのバッグを合わせて。サン・カルロ広場はフォトシューティングにも最適です。(Photo: San Carlo dal 1973)/span>

アッレーグラさんもポテンシャルカスタマーのひとりです。 N8のシャツにデスティンのスカーフ、ドロゲリア・クリベリーニのシューズとイッセイ・ミヤケのバッグBAO BAOをアクセントに。 (Photo: San Carlo dal 1973)アッレーグラさんもポテンシャルカスタマーのひとりです。 N8のシャツにデスティンのスカーフ、ドロゲリア・クリベリーニのシューズとイッセイ・ミヤケのバッグBAO BAOをアクセントに。 (Photo: San Carlo dal 1973)

カスタマーの個性と魅力を引き立てるコーデを提案してくれる『San Carlo dal 1973』スタッフ。(Photo: San Carlo dal 1973)カスタマーの個性と魅力を引き立てるコーデを提案してくれる『San Carlo dal 1973』スタッフ。(Photo: San Carlo dal 1973)

クルマから冷蔵庫まで

トリノは、イタリアを代表する自動車都市としても知られています。
ときは19世紀末。トリノでは地元のジョヴァンニ・アニェッリをはじめとする企業家有志が街の未来を論じていました。彼らが注目していたのは、隣国フランスでいち早く勃興した自動車産業でした。
やがて彼らによって1899年7月、会社が設立されました。トリノ・イタリア・自動車工場(Fabbrica Italiana Automobili Torino)、つまり今日に続くフィアット(FIAT)でした。
創業時代の街区にある『フィアット歴史センター(Centro Storico Fiat)』は、1907年落成の2階建て元工場棟をレストアしたものです。今もリバティ(アール・ヌーヴォー)様式のファサードが迎えてくれます。

アール・ヌーヴォー様式の外観が美しい『フィアット歴史センター』。工場だった時代には約500人の従業員が働いていました。アール・ヌーヴォー様式の外観が美しい『フィアット歴史センター』。工場だった時代には約500人の従業員が働いていました。

館内には、フィアットが人々とともに歩んだ歴史が展開されています。
展示は自動車だけにとどまりません。たとえば、同社初の農業用トラクターである1919年「FIAT 702」は、耕作だけでなく運搬にも適したものでした。当時セールスマンはイタリア各地を巡り、実地デモを繰り返しては利便性をアピールしたといいます。さらに実際の飛行機までディスプレイされています。

1919年に登場したフィアット初の農業用トラクター「FIAT 702」(右)。左は第一次世界大戦中にイタリア軍のトラックとして活躍した「FIAT 18BL(1914年)」。1919年に登場したフィアット初の農業用トラクター「FIAT 702」(右)。左は第一次世界大戦中にイタリア軍のトラックとして活躍した「FIAT 18BL(1914年)」。

船舶や航空部門にも進出。こちらのG91型軽戦術戦闘爆撃機は、後にNATOに制式採用されています。船舶や航空部門にも進出。こちらのG91型軽戦術戦闘爆撃機は、後にNATOに制式採用されています。

既存の貨物船を自動車運搬船に改造した「イタルテッラ号(1957年)」。動力はフィアット製3600馬力エンジンでした。既存の貨物船を自動車運搬船に改造した「イタルテッラ号(1957年)」。動力はフィアット製3600馬力エンジンでした。

1938年からは米国ウェスティングハウス社とライセンス契約のもと家電の生産を開始。第二次世界大戦後の「ミラーコロ(奇跡)」と呼ばれた高度成長期に、フィアット製冷蔵庫や洗濯機は豊かさのシンボルとなりました。それらは、今日でもコレクターズ・アイテムとしてファンの間で珍重されています。

フィアットは、ライセンス生産による冷蔵庫や洗濯機の生産を行っていました。フィアットは、ライセンス生産による冷蔵庫や洗濯機の生産を行っていました。

イタリアを変えたブランド

トリノには有名な「映画博物館」「エジプト博物館」とともに、もうひとつトリネーゼが誇るミュージアムがあります。
ポー川沿いに立つ『トリノ自動車博物館』です。近年はIl Museo Nazionale dell’Automobile di Torinoの頭文字をとってMAUTOの愛称で親しまれているこの施設は、80ブランド・200以上の車両がコレクションされています。
博物館の構想は1932年まで遡ります。トリノの自動車文化を後世に語り継ぐ重要性を唱え、設立に貢献したのは、フィアット創業メンバーのひとりであるロベルト・ビスカレッティ・ディ・ルッフィアと子息カルロでした。現在の建物はトリノで開催されたイタリア統一100年記念博覧会「Italia’61」に合わせて1960年に完成したものです。

自動車文化を学べる『トリノ自動車博物館』。クルマの誕生から、開発、普及の歴史を辿ることができます。自動車文化を学べる『トリノ自動車博物館』。クルマの誕生から、開発、普及の歴史を辿ることができます。

第二次世界大戦後、イタリアの所得向上は一般市民にも自動車をもたらしました。
彼らの足となったのは、フィアット製大衆車でした。公共交通機関が発達しておらず、それまで隣村にさえ移動できなかった人々の生活を、フィアットは一変させたのです。

同時に長靴型半島にアウトストラーダ(高速道路)が整備されていったことに伴い、フィアット車はヴァカンスという新たなライフスタイルも生み出しました。
1955年のFIAT600、1956年FIAT600ムルティプラ、そして“チンクエチェント”の呼び名で愛されたFIAT500(1957年)などに家族や仲間と乗り込む姿は、館内のポスターで楽しむことができます。

時代背景や、自動車と人との関わりを知りながら館内を巡ると、半世紀以上も前のクルマたちが、より親しみを持って感じられます。

FIAT600ムルティプラ。全長約3.5メートルの中に3列シート・6人乗りを実現しようと奮闘したデザイナーの熱意が伝わってきます。FIAT600ムルティプラ。全長約3.5メートルの中に3列シート・6人乗りを実現しようと奮闘したデザイナーの熱意が伝わってきます。

手前はアニメ「ルパン三世」の愛車としても知られるFIAT500F(1968年)。ドアは先代までは逆ヒンジ(前開き)でしたが、安全性向上のため今日の一般車にみられる開き方になりました。奥はFIAT600(1955年)。手前はアニメ「ルパン三世」の愛車としても知られるFIAT500F(1968年)。ドアは先代までは逆ヒンジ(前開き)でしたが、安全性向上のため今日の一般車にみられる開き方になりました。奥はFIAT600(1955年)。

トリノのランドマーク「アントネッリの塔」を載せたFIAT500(1962年)は、イタリア第7代大統領サンドロ・ペルティーニが所有していたもの。フロアには航空写真が敷き詰められ、市内各地にあった歴史的カロッツェリア(車体制作工房)の所在地が記されています。トリノのランドマーク「アントネッリの塔」を載せたFIAT500(1962年)は、イタリア第7代大統領サンドロ・ペルティーニが所有していたもの。フロアには航空写真が敷き詰められ、市内各地にあった歴史的カロッツェリア(車体制作工房)の所在地が記されています。

往年のFIAT500のポスターを復刻した万年カレンダー。併設のミュージアムショップにて。往年のFIAT500のポスターを復刻した万年カレンダー。併設のミュージアムショップにて。

食堂までフィアット愛

知識を詰め込んだ後は、ペコペコになったお腹も満たしましょう!
それには自動車博物館から歩いて約5分、後述するフィアット旧リンゴット工場からも目と鼻の先にある、オステリア(食堂)がおすすめです。店名は、ずばり『F.I.AT.』。ただし「Fate In fretta A Tavola(早くテーブルについて)!」の略、というジョークです。
店主カルロ・ブリージさんは若い頃フィアット工場で働いた経験がありました。ところが30代で人員整理の対象になってしまいます。その後別の仕事を経て、1997年に開業したのがオステリアでした。
人生の再出発を飾る店に、なぜ過去の、それも解雇された勤務先にちなんだ屋号を?その質問に「私の父親もフィアット工場の従業員でした。我が家のように、多くのトリノ人はフィアットで働かせてもらったお陰で生活することができたのです」とカルロさん。そしてこう結びました。「つまりフィアットへの感謝の念だったのですよ」

旧フィアット工場社屋を改装した商業施設「リンゴット」の向かいにある食堂。店名のF.I.AT.とは、早くテーブルについて!のイタリア語を略したものです。旧フィアット工場社屋を改装した商業施設「リンゴット」の向かいにある食堂。店名のF.I.AT.とは、早くテーブルについて!のイタリア語を略したものです。

カルロさんのフィアット愛はこれだけに留まりません。店内は往年のポスターや写真、ミニカーなどフィアット関連グッズで溢れています。もちろん例の冷蔵庫も。
その店内で出されるのは、トリノがあるピエモンテ州の定番パスタなど、気取らない味の数々です。
親しいイタリア人家庭にお邪魔したような気分になってしまうのは、私だけではありませんでした。「この方にも贔屓にしてもらっていますよ」。カルロさんが指差す先には、フィアット創業家出身で、イタリアを代表するファッショニスタとして知られるラポ・エルカン氏とのスナップ写真が飾られていました。

店内のいたるところに、フィアット関連グッズやポスターなどが散りばめられています。店内のいたるところに、フィアット関連グッズやポスターなどが散りばめられています。

ピエモンテ州の伝統的パスタ「アニョロッティ・デル・プリン」。プリンとは“つまむ”を意味する地元方言で、生地に肉を詰めて、つまんで閉じることから名付けられたものです。ピエモンテ州の伝統的パスタ「アニョロッティ・デル・プリン」。プリンとは“つまむ”を意味する地元方言で、生地に肉を詰めて、つまんで閉じることから名付けられたものです。

今日、古いフィアット製冷蔵庫はコレクターズアイテムです。赤いバッジは後付け。今日、古いフィアット製冷蔵庫はコレクターズアイテムです。赤いバッジは後付け。

元フィアットの工場従業員だったオーナーのカルロ・ブリージさん(右)とスタッフ。フィアットをこよなく愛するトリネーゼ(トリノ人)です。元フィアットの工場従業員だったオーナーのカルロ・ブリージさん(右)とスタッフ。フィアットをこよなく愛するトリネーゼ(トリノ人)です。

まだまだ変わり続ける

冒頭で紹介したトリノの再生建築を語るうえで、欠かせないもうひとつの建物が「リンゴット」です。
20世紀初頭、大西洋の向こう側のアメリカでは、流れ作業による自動車造りが始まっていました。それに追いつくべく1922年、フィアットはトリノ南郊に新たな生産拠点「リンゴット」を計画します。
建築家ジャコモ・マッテ=トゥルッコ設計による工場は、鉄筋コンクリート5階建てはともかく、全長が500メートルという巨大な施設でした。
屋上にはバンク(傾斜)を備えた全周1kmを超えるテストコースも設けられました。性能テストを終えた完成車は、建物の端にあるスロープを下って地上へと降ろす仕組みでした。操業開始以来80モデルを超えるフィアット車が、リンゴットから世界の街角へと送り出されていきました。

旧リンゴット工場(右)は、複合商業施設として再開発されました。左は旧フィアット本社棟。旧リンゴット工場(右)は、複合商業施設として再開発されました。左は旧フィアット本社棟。

リンゴットのシンボルである、地上と屋上テストコースを結ぶスロープを見上げます。リンゴットのシンボルである、地上と屋上テストコースを結ぶスロープを見上げます。

1982年、リンゴットは工場としての役目を終えますが、フィアット社は建物の解体を選びませんでした。再開発をイタリア生まれの世界的建築家レンゾ・ピアノに託したのです。
21年がかりの大規模リノベーションを終えたのは2003年のことでした。
今日では、ショッピングモール、オフィス、ホテル、美術館やコンサートホールなどを包括した複合商業施設となっています。こちらもファサードは、いにしえの面影を残しています。
ショッピングモールの1階と2階との間は、今も建物のアイコンであるスロープをつたって歩けます。日頃は楽をしてエスカレーターを利用する私も、ここでは自分がクルマになった気分で上り下りしたくなります。
宿泊には、リンゴット施設内にある2軒のホテル、『NHトリノ・リンゴット・コングレス』または『ダブルツリー byヒルトン・トゥーリン・リンゴット』がおすすめです。
客室の大きな窓、どこまでも高い天井は、そこが自動車工場であったことを静かに物語っています。

リンゴットの屋上には今もテストコースが残されています。中央に見えるドームは、レンゾ・ピアノが付け加えた会議室とヘリポートです。リンゴットの屋上には今もテストコースが残されています。中央に見えるドームは、レンゾ・ピアノが付け加えた会議室とヘリポートです。

特別なイベント時にはスロープが開放されます。1階―2階の間は普段からアクセスできるので、ぜひ歩いてみて!特別なイベント時にはスロープが開放されます。1階―2階の間は普段からアクセスできるので、ぜひ歩いてみて!

レンゾ・ピアノがホテルとして甦らせた『ダブルツリー byヒルトン・トゥーリン・リンゴット』の客室。(Photo:  DoubleTree by Hilton Turin Lingotto)レンゾ・ピアノがホテルとして甦らせた『ダブルツリー byヒルトン・トゥーリン・リンゴット』の客室。(Photo: DoubleTree by Hilton Turin Lingotto)

最後に、歴史と糸を織りなすように歩んできたトリノの、最新ニュースを。

FIATは2021年9月22日、リンゴット内のアニエッリ絵画館4階に、『CASA 500』と名付けた展示室をオープンしました。
2020年7月からwebで公開してきたバーチャル版をリアルで展開した約700平方メートルの施設です。1957年、2007年そして最新型「FIAT500エレクトリック」まで、500がいかに社会に変化をもたらしたかを辿ることができます。

先人が遺した偉大な足跡を、未来の姿へと次々と蘇らせながら発展してゆくトリノに、これからも目が離せません。

展示室『CASA 500』。手前は、FIAT500エレクトリックの特別仕様『(500)RED』。ロックバンドU2のBono氏のチャリティプログラムに協力するもので、販売収益の一部が寄付されます。 奥は、初代FIAT500の試作用原寸大モックアップ。(Photo: Stellantis)展示室『CASA 500』。手前は、FIAT500エレクトリックの特別仕様『(500)RED』。ロックバンドU2のBono氏のチャリティプログラムに協力するもので、販売収益の一部が寄付されます。奥は、初代FIAT500の試作用原寸大モックアップ。(Photo: Stellantis)

<INFORMATION>

San Carlo dal 1973
www.sancarlodal1973.com

Centro Storico Fiat
www.facebook.com/centrostoricofiat/

Museo Nazionale dell’Automobile di Torino
www.museoauto.com

Osteria Del Fate Infretta A Tavola
www.facebook.com/osteriadelfiat

DoubleTree by Hilton Turin Lingotto
www.facebook.com/doubletreebyhiltonturinlingotto/

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WRITER PROFILE
大矢 麻里 Mari Oya

イタリアコラムニスト。東京生まれ。短大卒業後、幼稚園教諭、大手総合商社勤務を経て1996年からトスカーナ州シエナ在住。現地料理学校での通訳・アシスタント経験をもとに執筆活動を開始。NHKテキスト『まいにちイタリア語』『朝日新聞デジタル』などに連載多数。NHK『マイあさラジオ』をはじめラジオでも活躍中。著書に『イタリアの小さな工房めぐり』(新潮社)、『意大利工坊』(馬云雷訳 華中科技大学出版社)、『ガイドブックでは分からない 現地発!イタリア「街グルメ」美味しい話』(世界文化社)がある。