諸聖人の日に
皆さんは映画などで、欧米のお葬式シーンをたびたびご覧になったことがあると思います。でも、中世前期のそれを知る人は少ないのでは? まさに参列者の気持ちで学べる催しがあります。
場所はフィレンツェとシエナの間に位置する町・ポッジボンシの「考古学公園」です。そこは実際に人々が数世紀にわたり居住していた場所で、9〜10世紀の建物が実物大で屋外に再現されています。
監修しているシエナ大学のマルコ・ヴァレンティ教授によれば、中世前期の村を屋外で再現している、イタリア唯一の施設です。たしかに、中世盛期以降の面影を残した町はシエナをはじめイタリア各地にありますが、前期を等身大に体験できる場所は、私にとっても初めてです。
その考古学公園で毎年11月1日に催されているのが、「アヌロの葬儀 Il Funerale di Anulo」と題されたパフォーマンスです。

参考までに、イタリアでその日は「諸聖人の日 Ognissanti オニサンティ」とよばれています。すべての聖人や殉教者をたたえる国民の祝日です。人々は家族とともに墓参りをするのが一般的です。


中世の葬儀を再現
「アヌロの葬儀」の開始時刻になると、遠くから中世の村人に扮した男たちが現れました。彼らの顔には黒い染料が塗られ、担架には亡骸が横たわっています。
村の領主が人々の前に立ち、事の顛末を語り始めました。命を落とした青年の名はアヌロ。隣村で恋のもつれに巻き込まれ、非業の死を遂げたといいます。

悲しみに包まれる村で、葬送の儀式は粛々と進みます。しきたりにしたがい、遺体にはオリーブの枝が手向けられ、両の瞼にはそっと硬貨が置かれました。
やがて、アヌロの兄や仲間たちが別れの言葉を口にしていると、白煙とともに村の先祖の霊たちが姿を現しました。彼らは、かつてこの地でどのように暮らし、いかに命を落としたのかを語ります。
約1時間にわたり朗々と響く台詞、迫真の演技。そしてなによりも舞台ではなく、中世前期に人々が住んでいた場所であることから、いつしか私も参列者の一人であるかのような錯覚にとらわれていました。


交錯する文化と変わらぬ心
驚くべきことに、演じたのはプロ俳優ではなく、シエナ大学で日々研究に励む考古学者たちでした。そのひとり、村の領主役を務めたダリオ・チェッパテッリさんに話を伺いました。
「中世の葬儀をリアル、かつ身近に感じてもらうため、私たちは架空の登場人物を設定しました。彼らにはそれぞれ名前や職業があります。アヌロに起きた出来事も創作ですが、当時も似たような色恋沙汰があったかもしれませんね」と、ダリオさんは笑います。
劇中で私が理解しきれなかった一場面について尋ねると、彼は丁寧に説明してくれました。「葬儀の途中で『こんな儀式は許されない!』と割って入ってきた人物のことですね。彼はキリスト教の神父で、しきたりにそぐわない弔い方を咎めたのです。物語の舞台である9世紀の村人たちは、表向きこそキリスト教信者でしたが、暮らしの中にはまだ異教の名残が息づいていたのです」
8世紀後半、ザクセン戦争で知られ、敬虔なキリスト教徒でもあったカール大帝は、ローマの伝統を受け継ぎながら西ヨーロッパを統一していきました。ローマの遺産、ゲルマン民族の慣習、そしてキリスト教が混ざり合い、新たな世界観が形づくられていく転換期でした。
「アヌロの葬儀」は、そうした時代を背景としており、儀式にも各文化が入り混じっています。死者の目に置かれた硬貨は、冥界へ渡る際、“渡し守に支払う通行料”という、ローマ人が引き継いだ古代ギリシアのしきたり、遺体を運ぶ人々が顔に黒い染料を塗っていたのは、ゲルマン民族に由来する風習。オリーブの枝はキリスト教における祝福の象徴だったのです。


それらを知ると、イタリア半島の歴史や文化、そして人々の習慣を、単純に◯◯時代といった呼称や、地理的な区分で分類することの難しさをあらためて感じます。同時に、数世紀を越えても変わらないものがあります。死者を想い、先祖の声に耳を傾け、過ぎ去った命を敬う心です。中世人のお葬式は、さまざまなことを現代の私たちに教えてくれるのです。

そしてガエターノさん(アヌロ役)
INFORMATION:
ポッジボンシ考古学公園 Parco Archeologico di Poggibonsi