絵画、陶器、家具、アクセサリーなど、多彩な分野の職人が一堂に会する『MIDA国際クラフト見本市』が、2025年4月25日から5月1日までフィレンツェで開催されました。同展は今回で第89回。その魅力を出展者へのインタビューを通じてさぐります。
MIDAの誕生は第二次世界大戦前のファシスト政権下に遡ります。当時文化政策を担当していたジュゼッペ・ボッタイは、国民意識の高揚と国威発揚を目指していました。彼は手工芸に特化した見本市を計画。その開催地として選んだのが、工芸の伝統が息づき、前身となる展覧会が職人たちによって自主的に開かれていたフィレンツェでした。こうして1931年、MIDAはスタートしました。
第二次世界大戦の中断を経て戦後再開されたMIDAは、技術の継承や地域資源の活用といった企画も強化されていきました。さらにワークショップや実演を通じて、子どもや若者が「モノづくりの現場」に触れられる企画も導入。未来の職人たちへのゲートウェイ役も果たすようになりました。




アイディアとパッションで
2025年のMIDAは32の国・地域から約500にのぼる出展者が参加。会場では、さまざまな工房が独自のストーリーを披露してくれました。
そのひとつ、地元フィレンツェから出展した『キアルージ(Chiarugi)』はペッパーミル、すなわち胡椒挽きの工房です。
現オーナーのシモーネ・カッペリさんが語る、工房の歴史は波乱万丈に富んだものでした。「会社は第二次大戦後に、キアルージ兄弟が創業したものです。彼らのひとりがホテルに勤務していたことから、観光産業の将来性にいち早く気づいたのです」。そこで宿泊施設からの引き合いが見込める製品分野を模索。「ただし、陶器にはリチャード・ジノリといった名門があり、カトラリーや食器、グラス類も先発メーカーが多数ありました」
そうしたなか彼が着目したのは胡椒挽きでした。メカニックだったもうひとりが機構を研究してくれたおかげで、美しくかつ頑丈な製品の製作に成功しました。かくして2人は1952年に工房を立ち上げます。
後年、塩や他のスパイス用ミルも加えて順風満帆だった工房ですが、2000年代に入ると後継者不足により廃業の危機に見舞われます。「しかし多くの顧客から、惜しむ声が寄せられました。そこで当時輸出マネジャーだった私が同僚と一念発起。2010年に事業を継承したのです」とシモーネさん。
シモーネさんたちは、木材をはじめ使用している材料がすべてメイドイン・イタリー(うち約90%はフィレンツェ産)であることをセールスで強調。その甲斐あって現在では、世界の五つ星レストランやホテル、著名料理人たちに愛される高級ミルブランドとしての地位を獲得しています。


同様に興味深い物語を聞かせてくれたのは、カッティングボード、すなわちまな板を手がけるイゴール・コトヴィッチさんです。
リミニ在住の彼が主宰する『イゴールズウッド(Igor’swood)』のまな板は、さまざまな木材を組み合わせてつくりだした立体模様が特徴です。仕上げには天然オイルと蜜蝋を使用しているため、木本来の質感や美しさが一層際立ちます。
1点あたり1〜2週間をかけて製作。カスタムメイドにも対応していることから、顧客は世界に一つだけのデザインを手に入れることも可能です。
会場で購入していた料理愛好家の男性は、「使うのがもったいないくらい美しい!」と絶賛するとともに「前菜やデザートを盛りつけたら、パーティー用のサービングボードとしても映えそうですね」と話していました。
見た目の美しさだけでなく、その厚みは食材を切る際の衝撃を吸収し、手首や腕への負担も軽減するという実用性も。
製作者のイゴールさん、実はわずか数年前まで木工は職業でなく趣味だったといいます。「まな板はコロナ禍の期間中に、思いつきで製作したものでした」。そして彼はこう続けました。「情熱とチャンスさえあれば、誰でもいつからでも、好きなことを仕事にできるのです」。


地域の恵みを活かす
実はMIDAには工芸品とは別に、もうひとつの人気カテゴリーが。それは食品です。
その専門フロアで見つけた『ノンナ・アンナ(Nonna Anna)』は、フェンネル(ウイキョウ)からつくるリキュールの製造元です。
南イタリア・サレルノからやってきて、スタンドに立っていたカルロ・ピポロさんは説明します。「フェンネルは標高1,000メートルの地元ピチェンティーニ山麓に自生しているものです。柔らかく、色鮮やかで香りの高い葉の部分だけを手摘みで収穫します。これに砂糖、水、アルコール、その他の材料を加えてじっくりと漬け込んでいきます」。今でも着色料や保存料は一切使わず、瓶詰めもすべて昔ながらの手作業といいます。
口に含むと、濃厚な舌触りのあとに、独特の清涼感とほのかな苦味が優しく広がりました。消化を助けるフェンネルと、アルコール度数32度の刺激のハーモニー。なんとも贅沢な食後酒です。
「Nonna Anna」とは、イタリア語でアンナおばあちゃんの意味。カルロさんによればレシピは、創業者が母親から伝授されたものとのことです。そのライムグリーンのボトルは、秘伝製法を継承する家族の情熱の結晶なのです。


食品フロアには、奮闘する若者たちの姿もありました。新興スイーツブランド『クリシェンティ(Criscenti)』を主宰するエツィオさんとステファノさんのスタンドには、美しい色合いのチョコレートや、クラッカーに塗られたスプレッドが並び、芳ばしい香りが立ちのぼっていました。その秘密は、彼らの故郷・南部シチリア島ブロンテ産のピスタチオでした。
エツィオさんは語ります。「ピスタチオは、私たちの製品づくりに欠かせない材料である以前に、郷土の誇りです」。火山性の土壌で育まれたその実は、ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富ですが希少。“緑の宝石”とも称される所以です。
EUが定めるDOP(保護指定原産地呼称)にも指定されているブロンテ産ピスタチオの魅力を多くの人に届けたい。そうした思いからエツィオさんは、パティシエのステファノさんとタッグを組んで2021年にブランドを立ち上げました。
エツィオさんは続けます。「私たちの焼き菓子は伝統製法にもとづいて天然酵母を使います。発酵には36時間、製品によっては48時間を要します。しかし、焼き上がりを食べれば違いが瞬時にわかります。工業的に培養された酵母には出せない風味、軽やかさ、しっとりとした口当たり、そして驚くほどの消化の良さが得られるのです」。
エツィオさんとステファノさんは古き良き製法を守るいっぽうで、その若い感覚を活かし、近年注目を集める“ドバイチョコレート”といった新しい製品にも果敢に挑戦しています。


エンディングレポートによると、MIDA2025は6万人以上の来場者で賑いました。
日頃からモノづくりに興味があっても、現場に足を運ぶきっかけが無かったり、ましてや工房訪問となると「強面の職人がいるかも」などと敷居を高く感じがちです。対して、MIDAはそうした垣根がなく、来場者はあらゆるジャンルの作り手と近い距離で対話することができます。
彼らの話に耳を傾けていると、次世代への技術の伝承はもとより、過去の歴史にとらわれず新たな市場を創出すること、常に知恵を絞ること、地域の特性を活かすことの大切さを自覚していることが伝わってきます。
同時に、彼らが歩んできた道を知った上で手に入れる製品は、より愛着が増し、味わいが深まります。これこそMIDAの魅力にほかなりません。