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没後50年、イタリアが語り続ける文化人 パゾリーニ

Wakapedia

2025.12.11


サッカーの試合結果、マンマの手料理、そしてちょっとした不満。これがイタリアの日常会話の三大トピック。でも、11月2日だけは空気が変わる。この日、注目されるのは詩人であり映画監督であり、社会批評家でもあったピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)だ。

彼の謎めいた死から50年。命日には特集番組や展示、パフォーマンスが各地で行われる。ボローニャでは事件の記録や未公開映像、ローマでは詩と映画を身体表現で再解釈する舞台、ミラノでは未完の小説『石油(Petrolio)』をもとにした朗読劇が披露された。


2025年11月1日、ローマ現代美術館MACROにて。エンツォ・コシミが振付・演出を手がけたダンスパフォーマンス『Una disperata vitalità』の上演風景。パゾリーニの詩的・政治的な世界観を探求する作品で、没後50年を記念する特別プログラムとして披露された。
2025年11月1日、ローマ現代美術館MACROにて。エンツォ・コシミが振付・演出を手がけたダンスパフォーマンス『Una disperata vitalità』の上演風景。パゾリーニの詩的・政治的な世界観を探求する作品で、没後50年を記念する特別プログラムとして披露された。

なぜ今も彼が語られるのか。それは、消費社会やメディア支配、政治の分断といった現代の問題を、半世紀前にすでに見抜いていたからだ。保守的な社会で同性愛者として生きた彼の存在そのものが挑戦であり、過激だと批判された挑発的な性の表現も、人間の欲望や暴力、支配の構造を暴くための手段だった。

彼の作品は、イタリアの光と影を同時に映し出す。ティラミスの甘さの奥に潜むビターなエスプレッソのように、文化の奥行きを味わわせてくれるのだ。もし彼が今も生きていたなら、ワカペディアが必ずインタビューしたい人物のひとりに選んでいただろう。(ワカペディアのインタビューはこちらから)

では、そんなパゾリーニはどんな人生を歩み、何をこの世界に残したのか?彼の人生と作品をたどりながら、50年以上前に彼が見ていた未来と、今の私たちの現実を照らし合わせてみよう。きっと、これまでとは違うイタリアが見えてくるはず!



パゾリーニってどんな人?


1922年にイタリア・ボローニャで生まれたピエロ・パオロ・パゾリーニ。父は陸軍の将校、母は教師という知的な家庭に育った彼は、幼い頃から詩に親しみ、言葉への鋭い感受性を育んでいった。

戦争中、パゾリーニは教師として働きながら貧困や不平等に直面し、政治への関心を深めていった。さらに、弟がパルチザン内部抗争で命を落としたことも彼の思想に大きな影響を与える。こうした経験から弱者への共感を強め、戦後はイタリア共産党に入党し農民運動にも関わった。

しかし1949年、未成年との関係を理由に告発され、教師職を失い党からも除名される。裁判では一度有罪となったが後に無罪が確定している。当時の保守的な社会における同性愛への偏見が強く影響した事件であり、彼を社会の外側へと追いやった。

孤立の中でも創作への情熱は衰えず、1955年には小説『生命ある若者 (Ragazzi di vita)』を発表。ローマの貧しい若者たちの荒々しくも純粋な日常を描き、社会の底辺に生きる人々への深いまなざしを示した。その後、映画監督フェデリコ・フェリーニの『カビリアの夜(Le Notti di Cabiria)』の脚本に参加したことをきっかけに映画界へ。言葉だけでは届かない社会の深層を映像で描く力に魅了された彼は、詩人の感性を活かしながら、映画を通じてより直接的な社会批評を展開していくことになる。



パゾリーニは何を見ていたのか


パゾリーニが描いたのは、テレビや新聞では決して映らない「もうひとつのイタリア」だった。貧困に苦しむ若者、声を持たない人々、社会の片隅にいる存在に光を当てた。『アッカトーネ(Accattone)』ではローマ郊外の下層社会に生きる若者を描き、荒々しい日常の中に人間の尊厳を見出した。『テオレマ(Teorema)』では、訪問者との肉体的関係を通じて裕福な家庭の均衡が崩れ、物質的豊かさの裏に潜む空虚が露わになる。遺作となった『ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma)』は、フランス作家マルキ・ド・サドの小説を元に、舞台を第二次世界大戦期のファシズムへと置き換え、権力者による残酷な性的支配を通じて政治的抑圧の構造を描き出した。これらの作品に通底するのは、「豊かさの中で心を失ってはいないか」といこと。それこそがパゾリーニの問い続けた「人間らしさとは何か」というテーマに通じているのだ。

彼が生きた時代、イタリアは高度経済成長の真っ只中にあり、テレビや広告が人々の欲望を操作する消費社会が急速に広がっていた。パゾリーニはそれを「新しいファシズム」と呼び、地方の文化や言葉、貧しい人々の暮らしが失われていく過程に、自由の喪失と精神の荒廃を見ていたのである。


ミラノのブルジョア家庭に現れた訪問者が、静かに均衡を崩していく。『テオレマ』(1968年)より。


その視線は死後も途切れることなく、映画や文学を越えて現代アートや社会運動に影響を与え続けている。映画監督アベル・フェラーラ(『パゾリーニ』)やナンニ・モレッティ(『息子の部屋』)は、彼の思想に影響を受けたと公言している。2022年のヴェネチア・ビエンナーレ・イタリア館では、「我々の国家が絶え間ない闘争、力不足、官僚主義で自らを失っている間、我々は蛍が消えていくことに気づいていない」という彼の言葉が展示の着想源となった。

こうしてパゾリーニの警告は、半世紀を経た今日においてもなお、私たちの社会に鋭く突き刺さり続けている。


『キング・オブ・ニューヨーク』の監督アベル・フェラーラが、2014年にパゾリーニの最期を描いた伝記映画『Pasolini』を発表。主演はウィレム・デフォー。未完の小説『Petrolio』や戯曲『Porno-Teo-Kolossal』をモチーフに、パゾリーニの創作と思想を映像化した。


沈黙に隠された真実


1975年11月2日、ピエロ・パオロ・パゾリーニはローマ郊外のオスティアで遺体となって発見された。文化人として知られていた彼の突然の死は、イタリア中に衝撃を与えた。犯人として逮捕されたのは当時17歳の少年ピーノ・ペロージ。彼は当初、「正当防衛だった」と主張し、パゾリーニに迫られたことへの抵抗だったと供述したが、その証言は何度も変わり、2005年には「複数の人物が関与していた」と語っている。


イタリアを代表する全国紙『Corriere della Sera』が報じた、パゾリーニ殺害の衝撃的な一面。

事件には今も多くの謎が残る。政治的背景や、彼の社会的活動が関係していた可能性も指摘されている。特に注目されたのが、彼が執筆中だった長編小説『石油(Petrolio)』との関係。この作品には、石油利権や政界の裏側を描いた章があり、国営石油会社Eniの総裁マッテイの謎の墜落死にも触れていたという説がある。

1974年の新聞エッセイ「Io so(私は知っている)」では、「証拠はないが、真実は見えている」と語り、亡くなる直前には「私は未来を見ている。だが、その未来は、私を殺すだろう」と残している。

彼が見ていた未来とは何だったのか。消費社会の暴力か、言論の自由の限界か、それとも人間の欲望の深淵か。それは、今の私たちが生きているこの世界そのものかもしれない。パゾリーニの死は、社会の奥に潜む力の存在を示すと同時に、未来への警鐘でもあった。


国営石油会社Eni総裁マッテイの謎の墜落死。フランチェスコ・ロージ監督が映画『黒い砂漠(Il caso Mattei)』で描く衝撃の真相とは?


パゾリーニが見た未来と私たちの今


パゾリーニの作品は、社会の周縁に追いやられた「声なき声」に光を当て、ブルジョア社会の偽善や制度に組み込まれた暴力の構造を描いた。彼が問い続けたのは「人間らしさとは何か」「文化とは誰のものか」「真実はどこにあるのか」という根源的なテーマであり、それは「豊かさの中で心を失ってはいないか」という問いへと結びついていく。

では現代社会はどうだろうか。SNSは自由な言葉の場に見えるが、実際には広告や「いいね」によって行動が左右される。AIは人間の欲望を映し返す鏡となり、YouTubeやInstagramのおすすめは過去の行動をもとに繰り返し提示される。視野は狭まり、似たような意見ばかりが並び、やがて「流行」は国境を越えて世界を一律化していく。文化の多様性は失われ、同じ価値観が拡散される構造が現実となった。

彼はまた、消費社会が人間らしさを奪うことを警告した。ファストファッションや使い捨て文化はその典型であり、物質的な豊かさの裏で心の豊かさが失われている。さらに情報はアルゴリズムやメディアの裁量によって選別され、真実は覆い隠されていく。欲望はやがて支配の衝動へと変わり、その延長線上に暴力や戦争が生まれる。こうした危機はもはやイタリアに限らず、世界全体に広がっている。パゾリーニはその未来をすでに見抜いていたのかもしれない。

では、私たちは今どこに立っているのだろうか。豊かさの中で心を失い、均質化された未来を受け入れるのか。それとも、人間らしさを取り戻す道を選ぶのか。世界が揺らぐこの時代に、私たちはどのような声を残し、どのような文化を育むのだろうか。