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イタリア田舎暮らしから見るコロナウイルス雑感<Andrà tutto bene>

皆さんこんにちは。
4月が始まり、サマータイム開始とともにイタリアは本格的な春に突入しましたが、イタリアでは皆さんが既にご存知のとおり、コロナウイルスの蔓延による自宅でのお籠り生活はまだまだ続いています。
1月末にヨーロッパで最初の感染者が発見されてからあれよあれよという間に拡散し、3月13日に始まった国の完全閉鎖。
残念ながら、現時点で世界で一番犠牲者の多い国となったイタリアですが、私たち一般市民はとにかく外部の人と接触しないようにするため、必要最低限の買い物など以外は自宅から外出しないため、テレビやラジオで絶え間なく流れてくるニュースを非現実的な気持ちで眺めることしか出来ず、はじめのうちはとても切ない気持ちで過ごしてきました。

20年間イタリアで生活してきて、今回は本当に歴史に残るパンデミアに立ち会ってしまった初めての体験。それは目に見えないものと漠然と戦う恐怖もありますが、統計や数字だけではない多くの現場の方々の生の声を聞くことで、私たち市民にできることは何だろう、前向きにどんなことが出来るだろう、と考えさせられました。

そこで今回は、普段の田舎暮らし日記を一時中断し、この非常事態での暮らしから感じたこと、学んだことなどをお伝えしようと思います。

身近な感染者がいないと危機感の持てない危険さ

ウイルスをブロックすると言われるマスクFFP2

瞬く間の勢いで感染者が増えたコロナウイルス。イタリアが政府による国の閉鎖を始める前までは、感染者が少ない地域ではまだまだ他人事、という空気が漂っていました。私はマスクが足りなくなっている日本の身内に送るため、マスクを購入し始めたのが2月中旬。まだお店の棚にはマスクが並び、マスクをして買い物に行けば変な目で見られるくらい、私が住むような小さな町でも危機感は少なかったのを覚えています。
閉鎖が始まっても、すでに広がっていた感染が静かに、しかし確実に増え続け、そのうち友人の友人、職場の同僚やその知り合い、身内やその身内などに感染者がいるという状況がだんだんと日常化していったイタリア。
小さな町の病院だと、毎日医者や看護婦の誰かしらの友人や知人が、感染者として救急に運ばれてくるのも当たり前になってしまうのです。
ここで皆さんにお伝えしたいのは、まず自分が保菌者であるかもしれない可能性を除かないこと。自覚症状がないからと言ってたくさんの人が出歩いていれば、それだけ保菌者が周りの人たちに感染の可能性を作ることになります。家にいることに飽きてしまったと言って「自分はきっと大丈夫」と人ごみに出かけてしまえば、他の人も皆そうするようになります。みんながやっているからきっと大丈夫、という共同幻想はウイルスには効きません。
マスクをしていると言っても、医師や看護婦の感染を防ぎきれていない事例も、イタリアではたくさんあります。
中途半端に自粛、ではこの負のサイクルは断ち切れません。一度皆が協力し立ち止まることが、最短の方法なのです。
イタリアでは厳しい安全規制のもと、生活に必要最低限の物資や食材の流通、製品の生産などは続いています。でも、どうしても、という理由のない場合は、自分のためにも、大切な家族のためにも、今は人との接触のある場所へ出かけていくのはじっとこらえなければいけないことを、各自が自覚する必要があると言えます。

「備える」ことは、「買い占める」ことではない

このウイルスの影響で、イタリア北部の大型スーパーでは一時的に商品の買い占めが発生しました。
いつまで家に籠らなければいけないのかわからない状況で、食材やトイレットペーパーなどが商品棚から姿を消したのは、もはや世界中で見られる現象ですが、それゆえに迅速に動けない社会的弱者の方たちの物資不足や、流通全体のパニックも発生してきます。そのような問題に迅速に対応するため、私の住む地域では生産者らが集結していろいろな食材を配達したり、薬局から薬を届けたりと、ボランティアの方々の協力を得て社会的弱者の買い物代行などを行っており、必要最低限の物資に困らないようオーガナイスがされています。
自分だけを満たすことを考える社会から、全体にまんべんなく行きわたるように努めることは、国民全体の安心感、信頼感を生み、お互いを助け合おうという気持ちを生みます。こんな非常事態だからこそ、少しずつでもいろいろなものが沢山の人に行き渡るように、1人1人が心掛けるのは大切なことだと思います。理想論だと言われそうですが、今イタリアで起こっている連帯感、共有感は、そんな1人1人の責任感から生まれてきていると言えると思います。

ないものは作ろう!


イタリアではとりあえずパンがあればなんとかなる!まとめて焼いて冷凍します

長い家籠り生活で、色々なものが普段は買っているものでも家で作るようになります。乾麺がなければパスタを打ち、パンがなくなればパンを焼く。
私は田舎暮らしですが、幸いにも周りが自然に囲まれているので、野菜が冷蔵庫になければ食べられる野草を摘んでサラダにしたりソテーにしたり。日々まわりに生えている野草を勉強しているので、いざというときに食べるものに困りません。お味噌汁、混ぜご飯、卵焼き・・・どこにでも工夫さえすれば野草は入れられます。

敷地内で採れる野草を最大限に活かす

春の野草はビタミンや解毒作用もたっぷり。この機会に、裏庭に生えている「食べられる草たち」にスポットを当ててみてはいかがでしょう。

渦中のイタリアにいて強く思うことは、これだけの非常事態にも関わらず、国民の多くはパニックに至らず極力穏やかに過ごしていることです。
これは医療機関も同じ、過酷ですが静かな戦いが続き、それぞれが出来ることをベストを尽くしながら遂行しています。
実際、医療現場の方達が目の当たりにしている過酷な現実に比べ、籠っていればいいだけの我々は、なんと恵まれているのでしょう。時間を有効活用し、沢山のことを家の中でもすることは出来ます。壊れて放っておかれていたものの修理、時間がなくて読めていなかった本..いくらでもやることはあります。

我が家でも出来ることを実行中!

イタリアのスローガン”Andrà tutto bene”

テレビでは24時間体制でコロナに関するニュースや統計、 デクレート(Decreto)と呼ばれる国の条例の発表が放送される番組があり、いつでもリアルタイムに今現在の状況を知る事が出来ます。国の情報を毎日きちんと得られるというのは、どんなに悲しい統計でも正しい情報を知れる、という安心感を生みます。様々な音楽家が自宅からの演奏をチャリティーコンサートとしてビデオ配信し、心の痛みを癒したり励ましたりして、コロナそのものは悲劇であるのにきちんと希望を感じるのです。
国全体の空気感の中に、「イタリアはきっと大丈夫、乗り越えて立ち上がれる」と思わせてくれるものがあるのは、心理的にとても大きいです。
誰かれの責任だと、否定的な意見で怒りや不安を煽ったり、数字的なものだけを見て崩壊だなんだと騒ぐより、ただじっと耐えて団結し、まずは断ち切ることを最優先している今のイタリアはとても頼もしく、今この国に居て良かった、とまで思わせてくれるものがあります。

パンデミアの中にあっても、今後多くの問題を抱えるのは目に見えているとしても、次に繋ぐ力があれば国も人も倒れませんし、倒れればまた立ち上がればいいのですよね。
私もこの国の1人の住人としてこれからの自分やイタリアにエールを送りたいと思います。
Andrà tutto bene“(きっと全ては良い方に向かう)と。

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