皆さんこんにちは。
イタリアは初秋を迎え、まだまだ暑い日差しの中にも秋の訪れが少しだけ感じられる季節となってまいりました。
今日は芸術の国イタリアらしい話題、色の世界に纏わるお話をしたいと思います。
色の世界・・・人間が自己表現を試みた遠い古代の昔から、土や炭などで何かを描きたいと思う衝動は存在し、文明の発展とともに色は社会的地位や階級を示すものへと変化してきましたが、その製造過程というものはヨーロッパでは長く極秘の技術であり、中世では錬金術の一つであり・・けれども色の世界が絵画、染色などの芸術を通してほんの一握りの人間だけが歩み寄ることを許されるものだったことはあまり語られて来なかったと言えるでしょう。
私がこの数年、夏になると必ず参加しているワークショップがあるのですが、それがまさにこの色の世界を垣間見るもので、染色植物から顔料を抽出し、絵の具を作る、というイタリアでも唯一のものなのです。
曲がりなりにも美術の世界で仕事をしてきた私にとって、画家でなくとも色が生まれる様子をじかに学べるというのはとても貴重な時間であり、長く古い色の歴史に触れることのできる稀有な体験です。仕事や生活を通して、植物に惹かれ、色の世界に惹かれてきた自分の中の1つの世界観が、ある意味丸く完結するテーマでもあります。
このワクワクがいっぱいのワークショップの様子をみなさんにもお伝えしながら1つの植物が顔料に変わるマジックを一緒に覗いていましょう。
天然色のミュージアム見学から始まるマルコのワークショップ
このワークショップが行われるのは、マルケ州北部のラモリという小さな村です。
ここには、年前に作られた”天然色のミュージアム”(Museo dei colori naturali)という小さな小さな美術館があり、人類の歴史、文明の中に関わってきた”色”の立ち位置が閲覧できる興味深い展示がされています。
色とひとくちに言っても、絵画、染色、修復と幅広い分野で利用されているため、その世界の広さも歴史の深さも無限です。恐らく人類が初めて使ったであろう炭の黒や土の茶や黄、植物から得られる顔料、鉱物から得られる顔料..と歴史を追いながら発見されてきた様々な色の起源を展示を見ながら遡ることが出来ます。
ワークショップの始まりは、まずこの美術館を観て色の歴史に触れることから。
このミュージアムのあるラモリには、聖ベネディクト教会が緑に聳え、古くからマルケ州からトスカーナ州をまたぐアペニン山脈沿いを通過点とする巡礼者が通ってきた歴史ある峠の麓で、沢山の人々の巡礼を見守ってきました。ラモリを含むここ一帯は、ルネッサンス時代にはホソバタイセイというヨーロッパの藍ともいえる染色植物が盛んに栽培されており、藍玉にするホソバタイセイの葉を挽くための石臼が50個近くも出土していたにも関わらず、長い間何のために使われていたものかが判らずに長年放置されてきたのが近年一部の学者により発見され、その用途もようやく解明されたといういきさつがあります。その歴史へのオマージュとして作られたこのミュージアムの展示に貢献したのがワークショップの先生でもあるマルコ・ファントゥッツイさん。美学生時代は油絵を志し、その後どんどん色の世界の魅力に取りつかれ研究を進めていった静かな情熱を持った方です。
彼は植物性顔料の持つ複雑な色合いに強く惹かれ、その特性を最大限に活かせる水彩絵の具とパステルを開発しFantuzzi Colori Naturaliというブランドを立ち上げ、現在では主にヨーロッパの画材店に絵の具を卸すのが彼の仕事。画家やアーティストにはもちろんのこと、シュタイナー教育での幼児向け絵画教室でとても人気があるそうです。
天然素材の絵の具を販売する会社は多々あれど、その製造方法をプロのレヴェルで学べるのはイタリアではここだけ。自分で作った絵の具で絵を描く、自分が抽出した顔料で染める・・・などそれぞれの参加者の夢がクロスする素晴らしいワークショップなのです。
いざ天然色を抽出!
この合宿は2日間で基本三原色の赤、青、黄の顔料を抽出し、天然素材の添加剤を加えて加工し絵の具に仕上げる、というもの。赤は茜から、青はホソバタイセイから、黄はレセダから抽出します。
それぞれが天然染色植物で中世からルネッサンスにかけてさかんに使われていたもの。ドライの状態の植物を煮出すところから始まり、色素の顔料化、顔料のラッカー化としばらく科学の実験のような工程が続き、沈殿した顔料を漉したり、すりつぶしたりとワクワクする作業で参加者は興奮状態。
今回は美術修復家、染色家、画家、カリグラフィー作家、染色植物農家さんなど、本当にバリエーションのあるメンバーで、同じ感動を共有することが出来ました。
作業の間にマルコが話ってくれる色の歴史の深さや彼の今までの研究、色の持つ可能性などを聞いていると、異次元の世界に引き込まれていきます。画材屋でチューブに入った絵の具を買い慣れた現代の私たちにとって、画家1人1人がそれぞれの秘伝の顔料があり、それはその画家の工房だけの秘密であったこと、さらに遡る中世では色の製造や管理は書物を読むことのできた修道士の仕事であったことなどを知ることは、価値観そのものが揺さぶられる貴重な体験です。
色は権力であり、錬金術であり、トップシークレットであった、その歴史を感じながら色が生まれる場面に立ち会う・・・これは色になんらかの形で関わられている人すべてに味わってほしい感動だ、と強く思う、そんな2日間です。
絵の具を紙にのせる喜び
こうして出来上がった絵の具を、細かく擦り、水で溶いて紙にのせていきます。この瞬間の楽しいことと言ったらありません。擦り方によっても、粒子の細かさが変わり、発色も変わるので、塗ってみて初めて上出来かどうかわかるのもサプライズの1つです、皆さん歓声を上げながらお互いの色を見せ合って喜び合うのはとても充実した時間でした。
そして、こうして初めて、マルコが彼の絵の具を作るのに、どれだけの時間と労力を割いて努力しているのかが分かります。全て手作業で作られる絵の具の貴重さ、作り手の情熱がそのまま色になって表れるような絵の具を作っているマルコに、さらに尊敬の念が湧き、すべての工程が終わると自然とマルコへの拍手が起きました。
全国津々浦々から集まり、昨日初めて会った人たちが、今日はもう仲間のようになる、そんな素敵な2日間のワークショップでした。
豊かな緑に囲まれて、植物の色の持つ不思議に触れる2日間。いつか、このワークショップを日本の方たちにも体験してもらいたい、という小さな夢も生まれました。
次回、色についてお話しする時は、きっとその夢が実現した、という報告になるといいな、とひそかに思っている私です。
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