CULTURE

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もうひとつの人気タレント発掘番組・X Factor

前回の音楽コラム「まもなく20周年を迎える若手タレント発掘番組・Amici(アミーチ)」に続いて、もうひとつの若手タレント発掘番組の雄「X Factor(エックス・ファクター)」について紹介いたしましょう。

オリジナルはイギリスの「The X Factor(意:未知の才能)」(2004~)で、今では世界各地で40ものヴァージョンが展開された実績を持つ巨大なムーヴメントとなっています。今回取り上げるのはそのイタリア版で、2008年から開始され、前出のアミーチと影響力を競い合う対抗馬となっています。

The X Factorの歴史

イギリスで2004年に始まった「The X Factor」ですが、その前身は2001年9月に開始された「Pop Idol(ポップ・アイドル)」です。この前身番組の時代に既に世界で30ヴァージョンが展開されて大ヒットを記録しており、最も有名なのがアメリカ版の「American Idol(アメリカン・アイドル)」です。

その後、アメリカでも「X Factor(アメリカ版)」が2011年に放映開始されましたが、依然と大人気で放映が継続していた「アメリカン・アイドル」の牙城を崩せずに、2013年に放映終了するという、不思議な因果関係が生じています。

奇しくも前回のコラムで取り上げたイタリアの「アミーチ」も2001年9月開始ですので、イギリス発祥の世界的なムーヴメントとなった番組と同じ歴史を持つ、イタリア・オリジナルのタレント発掘番組ということとなります。

ちなみに日本では、「ポップ・アイドル」も未展開で、「X ファクター」は、2013年~2014年に日本版が沖縄で開催されましたが、残念ながら1回限りの開催に留まりましたので、日本人はどちらの世界的なムーヴメントの知見も乏しい状況となっています。

X Factor(イタリア版)の誕生

イタリア版「X Factor」は2008年3月に始まり、2020年で14回まで回を重ねています。イタリア人たちの発音では“イクス・ファクトル”になります。

※3回目から9月開始に変更されています。

The X Factor ItaliaX Factorイタリア版の審査員と観客たち

「アミーチ」の1シーズンの放映期間6か月に対して、「X factor」の1シーズンは3か月。出場者は、男子(16歳~24歳)、女子(16歳~24歳)、25歳以上、グループ(第4回大会より新設)、の4つのグループに分かれて競い合い、最終的に総合順位が決められるという世界共通のルール。

そして第1回の出場者のうち2位に留まったGiusy Ferreri(ジュズィ・フェッレーリ / 当時28歳)が、同年夏に「Non ti scordar mai di me(ノン・ティ・スコルダール・マイ・ディ・メ / 意:私のことを決して忘れないで)」を放つと、12週間に渡ってヒットチャートの首位となり、年間チャートでも2位に輝く快挙となります。

このジュズィ・フェッレーリの大ヒットは実のところ、アミーチを含めたタレント発掘番組出身者として初めての現象で、彼女のブレイクを皮切りに、タレント発掘番組出身歌手たちがイタリア音楽界で新しくも強力な潮流となっていくこととなりました。

2008年夏のジュズィ・フェッレーリの大ブレイクが無ければ、同時期にアミーチで優勝したMarco Carta(マルコ・カルタ)が翌2009年のサンレモ音楽祭で優勝することに繋がらなかったかもしれません。

X Factor(イタリア版)をきっかけに成功した歌手

Giusy Ferreri

Giusy Ferreri(ジュズィ・フェッレーリ / 現:41歳)第1回大会(2008)2位

前出の通り、イタリア版X Factorの最初の回に出場して2位に留まるも、いきなり大ヒットを飛ばし、後進のタレント発掘番組出身歌手たちに道筋を作った功労者となった女性歌手。一度聴いたら忘れられない、人並外れたハスキーヴォイスが彼女最大の“timbro(ティンブロ / 意:特徴的な音や印)”となっています。下積み生活が長く、1998年にはインディーズで活動を始めていますが、音楽だけで食べていくことができず、X Factorの出場を機にブレイクするまでスーパーでレジ打ちして生計を立てていたという逸話が残っています。

今ではイタリアのタレント発掘番組出身者の中での一番のセールス、イタリアのシングルチャートで首位を続けた週間数でトップ(しかもマドンナの38週を抑えた47週)などの記録を保持しています。

Marco Mengoni

Marco Mengoni(マルコ・メンゴーニ / 現:31歳)第3回大会(2009)優勝

彼もまた特徴的な声に定評があるロック系シンガーソングライターで、20歳でX Factor優勝後すぐにサンレモ音楽祭2010に「Credimi ancora(クレーディミ・アンコーラ / 意:もう一度僕を信じてくれ)」で出場するも惜しくも3位。同年の大会の優勝&準優勝曲は予選落ちしたものの敗者復活戦で蘇って決勝戦で1位&2位となる大番狂わせ(=その年のルールの落ち度)であったため、実質の優勝曲だったと言われています。2013年に晴れて同大会で「L’essenziale(レッセンツィアーレ / 意:不可欠なもの)」で正真正銘の優勝を勝ち取り、その実力がイタリア全国区に知られる名声を得ました。ヨーロッパでも2010年と2015年の2度に渡ってMTVヨーロッパでベスト・ヨーロピアン・アクト賞に輝き、アメリカでも2013年にビルボード・フィルム&TVでベスト・イタリアン・アーティスト賞を獲得しています。発売されたスタジオ録音アルバムの全5枚、ライヴアルバム2枚がチャート首位を獲得している、X Factorイタリア版出身者中で一番の成功者となっています。

Francesca Michielin

Francesca Michielin(フランチェスカ・ミキェリン / 現:25歳)第5回大会(2011-2012)優勝

弱冠16歳でX Factor優勝を勝ち取ったピアノとベースを弾く女性シンガーソングライター。デビュー曲「Distratto(ディストラット / 意:うわの空の)」でチャート1位を獲得し、年間でも10位に入る大ヒットとなる順調な音楽シーンへの登場を果たしました。英語ヴォーカルにも定評があり、2014年には映画『アメイジング・スパイダーマン2』の公式サントラに唯一のイタリア人アーティストとして採用されています。サンレモ音楽祭2016で「Nessun grado di separazione(ネッスン・グラード・ディ・セパラツィォーネ / 意:無次の隔たり)」で2位となり、同年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストにイタリア代表として参加しています。同曲はスモール・ワールド現象のひとつとして有名な理論“六次の隔たり”を逆手に取り、“あなたと私の間には隔たりなんて無い”と歌い、SNS時代の潮流にぴったり合ったテーマということもあってか、チャート首位を獲得するヒットを記録しています。今まで発表したオリジナルアルバムが全てベスト10入りを果たす躍進を続けています。

Chiara Galiazzo

Chiara Galiazzo(キァーラ・ガリアッツォ / 現:34歳)第6回大会(2012)優勝

2008年、2011年にもアミーチ出場のオーディションを受けるも出場が叶わず、3度目にしてようやくX Factor2012年大会出場の切符を得るとそのまま優勝を勝ち取りました(当時26歳)。デビュー曲「Due respiri(ドゥエ・レスピーリ / 意:2人の吐息)」がいきなりチャート1位となり、マルチ・プラチナ・ディスクに認定される大ヒットとなりました。無駄な力が抜けた発声ながら180cm近くの体躯を活かした、存在感のある安定したヴォーカルに定評があります。2013年にはレバノン出身の国際派歌手Mika(ミーカ / 当時X Factorイタリア版の審査員でもあります)に請われて実現したデュエットで「Stardust(スターダスト)」を歌い、こちらもチャート1位&プラチナ・ディスクに認定されました。サンレモ音楽祭には2013年、2015年、2017年の3回出場し、2015年の5位が最高位。2019年には初夏と晩秋に2回の来日公演を行っています。

Nathalie

Nathalie(ナタリー / 現:40歳)第4回大会(2010)優勝

イタリア人の父とベルギー人の母との間に生まれたハーフのシンガーソングライター。それ故、イタリア語・フランス語・英語の3か国語で歌詞を書き、歌える資質を持っています。彼女も下積み時代が長く、20代はインディーズ・シーンでゴシック・メタル・バンドと並行したソロ活動に明け暮れていました。ピアノとギターのマルチプレイヤーで、哀愁溢れるメロディーと憂いを含んだヴォーカルに定評があります。X Factor優勝後のメジャーデビュー曲「In punta di piedi(イン・プンタ・ディ・ピエディ / 意:つま先で)」はチャート1位&ゴールド・ディスクに認定されました。サンレモ音楽祭2011で「Vivo sospeso(ヴィーヴォ・ソスペーゾ / 意:不確かな生者)」を歌って7位に入りました。2019年に韓国でコンサートを行ったついでに突然来日し、シークレットライヴを行っています。

Michele Bravi

Michele Bravi(ミケーレ・ブラーヴィ / 現:25歳)第7回大会(2013)優勝

幼少時代には聖歌隊で歌っていた実績を持ち、18歳で応募した初めてのX Factorでいきなり優勝を勝ち取った若き逸材。デビュー曲「La vita e la felicità(ラ・ヴィータ・エ・ラ・フェリチタ / 意:人生と幸福)」はチャート1位&ゴールド・ディスクを記録しました。サンレモ音楽祭2017で「Il diario degli errori(イル・ディアリオ・デッリ・エッローリ / 意:過ちの日記)」を歌って4位につき、ヒットチャートでも最高4位に入るヒットとなりました。

Lorenzo Fragola

Lorenzo Fragola(ロレンツォ・フラーゴラ / 現:25歳)第8回大会(2014)優勝

2013年にX Factor出場のオーディションに挑戦するも叶わず、翌2014年大会への出場権を得るとそのまま優勝したシンガーソングライター(当時19歳)。英語詞のデビュー曲はチャート1位&プラチナ・ディスク、1stアルバムも2ndアルバムもチャート1位を記録しています。サンレモ音楽祭には2015年と2016年と2年連続で出場し、2016年の5位が最高位となっています。

Måneskin

Måneskin(マネスキン / 現:19歳~21歳)第11回大会(2017)2位

ローマ出身の4人組バンド(Vo+Gt+B+Ds)で、変わった綴りのバンド名は、紅一点のベーシストVictoria(ヴィクトリア)の血筋であるデンマークの言葉で、“月光”を意味するそうです。デンマーク語では“モーネスゲン”に近い発音をするようですが、イタリアではそのままローマ字読みで“マネスキン”と呼ばれています。X Factor優勝時には16歳から19歳というティーンエイジバンドでしたが、全く未熟さのない、円熟味さえ感じられる彼らの技量に、誰しもが度肝を抜かれました。2018年の1stアルバムはチャート1位&ダブル・プラチナ・ディスクに認定される大ヒットとなりました。

Enrico Nigiotti

Enrico Nigiotti(エンリコ・ニジォッティ / 現:33歳)第11回大会(2017)3位

キャリア10年超の実力派シンガーソングライターながら、長い間脚光を浴びることなく下積み生活を余儀なくされており、過去にはアミーチにも出場したことがありましたが、途中で自ら降板したり、28歳の時にはサンレモ音楽祭2015新人部門に出場したりしていますが、大きな脚光を浴びずに終わっていました。このX Factorで3位(当時30歳)になったのを機にようやく彼の人生が開き始め、2018年になると、大物歌手たちから声がかかるようになり、Laura Pausini(ラウラ・パウジーニ)、Eros Ramazzotti(エロス・ラマツォッティ/エロス・ラマゾッティ)らに楽曲を提供し、まずは作曲家として評価され、サンレモ音楽祭2019に自作の「Nonno Hollywood(ノンノ・ハリウッド / 意:ハリウッド爺ちゃん)」を披露し、栄誉あるルネツィア賞(歌詞の文学性を評価)を獲得して大きな注目を浴びました。サンレモ2020にも出場。

Anastasio

Anastasio(アナスタージォ / 現:23歳)第12回大会(2018)優勝

18歳からYouTubeでヒップホップ・パフォーマンスを披露し始め、21歳の時にX Factorに初挑戦してそのまま優勝。「La fine del mondo(ラ・フィーネ・デル・モンド / 意:世界の終わり)」でメジャーデビューすると、ダブル・プラチナ・ディスクに認定されるヒットを記録しました。サンレモ音楽祭2019年には突然ゲストに呼ばれて出演するという、大幸運を射止め、翌2020年の同大会には堂々と大賞部門に出場を果たし、ようやく1stアルバムをリリースしたばかりです。

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