パラリンピックメダリストにしてサンレモ優勝歌手アンナリーザ・ミネッティ
MUSIC 31 Aug 2021

パラリンピックメダリストにしてサンレモ優勝歌手アンナリーザ・ミネッティ


パラリンピック東京2020真っ盛りですが、イタリアにはモデル、歌手、パラアスリートとして多方面で実績を残している盲目の女性がいます。しかもそれぞれの分野でミス・イタリア、サンレモ音楽祭優勝、パラリンピック2012ロンドン大会メダリストと確かな実績を記録しています。

残念ながら東京大会2020ではイタリア代表選手になりませんでしたが、40歳を超えた今もなお、世界レベルのパラアスリートとして記録を残し続けています。

いくつもの天賦の才を与えられた逸材アンナリーザ・ミネッティ

アンナリーザ・ミネッティ(1976年生まれ / 現44歳)は、モデル・歌手・パラアスリート・作家など幅広い分野で才能を発揮している女性で、それぞれの分野でもミス・イタリア、サンレモ音楽祭優勝、パラリンピックメダリスト(世界記録保持者でもある)と確かな実績を持つ、天から二物・三物を与えられた人物です。

もともとは健常者として生まれましたが、18歳の時に視力が失われていく不治の病に侵され、21歳で影が感じられるぐらいまでに視力が衰え、36歳でその影も感じられなくなるまで視力を失ってしまいました。

それ以前のアンナリーザは、5歳から12年間バレエに打ち込み、10代で音楽にも目覚め、ピアノバールで歌い始め、18歳の時にサンレモ音楽祭出場を目指してチャレンジするも叶いませんでした。

180cmの長身という恵まれた肢体と生来のブロンドへア&グリーンアイを活かして、1997年(20歳)にミス・コンテストに出場するとミス・ロンバルディアに輝き、全国大会であるミス・イタリアでは7位に留まったものの副賞を勝ち取り、事実上の優勝者と呼ばれました。

ミス・イタリア1997出場時(右から2番目がアンナリーザ)ミス・イタリア1997出場時(右から2番目がアンナリーザ)

同1997年、再びサンレモ音楽祭出場を目指し、登竜門となるサンレモ・ジョーヴァニに挑戦すると、マライア・キャリーの曲をカヴァーして優勝し、ついにサンレモ音楽祭出場権を勝ち取ります。

翌1998年(21歳)に念願のサンレモ音楽祭に「Senza te o con te(センツァ・テ・オ・コン・テ / 意:あなたがいてもいなくても)」で出場すると新人部門で優勝。同年は新人部門出場者も本選の大賞を狙えるルールになっていたことも彼女に味方し、大賞部門でも優勝にも輝き、同年に両方の部門を制した最初のアーティストとなりました。

サンレモ音楽祭1998でW優勝したアンナリーザサンレモ音楽祭1998でW優勝したアンナリーザ

もともとスポーツ好きであった彼女は1999年(22歳)からはパラスポーツにもチャレンジを始め、陸上競技を主体に、自転車競技、水泳、ボクシング、ボート、スキー、キックボクシング、登山など幅広いジャンルに挑み、2つのジャンルではコーチの資格も取得しています。

2010年(33歳)には中距離走のジャンルで3種目(1500m、屋内800m、屋外800m)のイタリア記録を樹立し、翌2011年には800m走の自己記録を更新して世界記録、400mのイタリア記録も樹立。

パラアスリートとしても才能を開花させたアンナリーザパラアスリートとしても才能を開花させたアンナリーザ

800m走では国内無敵が証明されましたが、この種目はパラリンピックで採用されていなかったため、1500mでパラリンピック2012ロンドン大会に出場すると、堂々の銅メダルを獲得し、ついにパラリンピックメダリストにもなりました。

パラリンピック2012ロンドン大会でメダリストに!パラリンピック2012ロンドン大会でメダリストに!

前出のとおり36歳でほぼ視力を失いましたが、その後も国内外のパラスポーツ大会で大活躍を続けており、パラ世界大会2012で金メダル(800m)、ヨーロッパ大会2012で銅メダル(1500m)、イタリア国内大会ではなんと25個もの金メダルを獲得しており、直近でも2017年からはフルマラソン、5000m(2019・2020)、1500m(2021)で全て金メダルに輝くという40歳を超えた今でも世界レベルのパラアスリートであり続けています。

伴走者と共に金メダルを手にするアンナリーザ伴走者と共に金メダルを手にするアンナリーザ

アンナリーザはインタビューの中で以下のように語っています。

“Non vedere per me è stata un’opportunità(見えないことは私にとってはチャンスでした)”

“目が見えて当たり前の人たちは見ることしかしません。それは往々にして気を散らす原因になります。見えているだけで、注視はせず、観察しないのです。目の前にあるものから他へ気を逸らせてはなりません”

“私の強さとは、毎日自分自身をやる気にさせる能力ですね。間違いなく私に与えられた最高のギフトなんです。”

2021年のパラリンピック東京大会への出場も充分にあり得る実績を残していますが、残念ながら選手団に名前が入っていませんでした。

パラリンピック2012ロンドン大会出場の年にリリースしたアルバムは、メダリストでもあることを象徴するジャケットに! パラリンピック2012ロンドン大会出場の年にリリースしたアルバムは、メダリストでもあることを象徴するジャケットに!

プレイリスト収録曲詳細

パラスポーツに主軸を置く生活になったアンナリーザ・ミネッティですが、歌手活動も継続しており、直近の10年間ぐらいは、毎年のようにシングル曲をリリースし続けています。そこで今回はもっとも有名なサンレモ音楽祭優勝曲の他、歴代のシングル曲のうち、Spotify登録のある曲をプレイリストにしました。

1. 「Senza te o con te(センツァ・テ・オ・コン・テ / 意:あなたがいてもいなくても)」(1998)
新人として初出場したサンレモ音楽祭1998で、いきなりW優勝の栄冠に輝いたアンナリーザ・ミネッティの大ヒット曲にして代表曲です。

♪ あなたなしで私は感じるの、私の人生は困難だけど終わった訳じゃない。上り坂の中でも私はやり遂げるわ。あなたがいてもいなくても私は翔んでいくわ ♪

というサビの歌詞が、前年に自分の厳しい運命に直面した彼女の境遇と重なります。

サンレモ音楽祭で歌うアンナリーザサンレモ音楽祭で歌うアンナリーザ

2. 「Metti un lento(メッティ・ウン・レント / 意:レントをひとつ置いて)」(1995)
アンナリーザ・ミネッティのデビュー曲。Perro Negro(ペッロ・ネグロ / 意:黒い犬)というグループとの共演でサンレモ・ジョーヴァニに参加するも、翌年のサンレモ音楽祭への出場権は勝ち取れずに終わってしまいました。ようやく2009年のアルバムに収録された幻の楽曲です。

3. 「La prima notte(ラ・プリマ・ノッテ / 意:初めての夜)」(2000)
当時、既にヨーロッパを代表するスターとなっていたエロス・ラマゾッティが中心になって書き下ろした楽曲。

4. 「Vita vera(ヴィータ・ヴェラ / 意:本当の人生)」(2005)
ロックギターで始まる楽曲ですが、歌い出しがクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」にそっくりなのはご愛敬。

5. 「Stelle sulla terra(ステッレ・スッラ・テッラ / 意:地上の星々)」(2006)
大きな人間愛の視線で書かれている楽曲。アンナリーザがところどころで聴かせるフェイクにも味があります。

6. 「Il cielo dentro me(イル・チエーロ・デントロ・メ / 意:私の中の空)」(2006)
もういなくなってしまった人を“私の中の空”に例えた楽曲。

7. 「Mordimi(モルディミ / 意:私を噛んで)」(2011)
アグレッシヴなラヴソング。自分の意志のまま自由に、エネルギッシュに生き生きと人生を謳歌することを歌っています。

8. 「L’amore non cambia(ラモーレ・ノン・カンビア / 意:愛は変わらない)」(2015)
アンナリーザ自身も歌詞作りに参加した楽曲で、これも力強いラヴソング。

9. 「Dove il cuore batte(ド―ヴェ・イル・クォーレ・バッテ / 意:心が踊る場所)」(2018)
2016年に再婚した相手との間に生まれた娘エレーナ・フランチェスカに捧げた楽曲で、アンナリーザ自身がメイン作詞を担当しています。

10. 「Più in alto(ピュー・イン・アルト / 意:もっと高く)」(2019)
人気TV番組『Ora o mai più(オーラ・オ・マイ・ピュー / 意:今かもうナシか)』出場時に披露した楽曲。同番組は過去に成功を収めたものの、近年はシーンから遠ざかってしまったイタリア人歌手たち8組の間で勝敗を競う番組。アンナリーザは6位に終わったものの、その衰え知らずの歌唱力を多くのイタリア人に示す絶好の機会となりました。

TV番組『Ora o mai più』に出場し、歌手としての再起にも挑戦TV番組『Ora o mai più』に出場し、歌手としての再起にも挑戦

11. 「Diamanti unici(ディアマンテ・ウニチ / 意:比類なきダイアモンド)」(2020)
シンガーソングライターのGiancarlo Casella(ジャンカルロ・カゼッラ)とのデュエットでリリースされた楽曲。

12. 「Karol(カロル)」(2020)
“空飛ぶ聖座”の異名をとったローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1920-2005)の生誕100年を記念してリリースされた楽曲で、タイトルのKarolとは、ヨハネ・パウロ2世の本名のファーストネームです。

アンナリーザは2000年にバチカンで行われた『il Giubileo dei disabili(イル・ジュビレオ・デイ・ディザービリ / 意:障がい者のユビレウム「大赦の年」』で3人の司会者のひとりを務め(歌手としてもステージを披露)、その際にヨハネ・パウロ2世に直接謁見したエピソードを持っています。

13. 「L’italiano(リタリアーノ / 意:イタリア男)」(2021)
テノール歌手Jonathan Cilia(ジョナサン・チーリア)とのデュエット。この曲は、アンナリーザの敬愛するToto Cutugno(トト・クトゥーニョ)の大ヒット曲カヴァー。

アンナリーザはオリジナルの歌詞を女性版に替え、2人が一緒に歌っている部分は“私たち”と複数形に歌い替えているのも聴きどころ。歌い手の性別や人数によって歌詞が変わるところもイタリア語曲の醍醐味のひとつです。

14. 「L’italiano(リタリアーノ / 意:イタリア男)」(1983)
こちらがトト・クトゥーニョのオリジナル歌唱。彼はサンレモ音楽祭優勝歴もユーロヴィジョン・ソング・コンテスト優勝歴も持つ逸材。ちなみにマネスキンのユーロヴィジョン2021優勝が31年ぶりのイタリア勢の優勝者となりましたが、その31年前の優勝者がトト・クトゥーニョです。

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この楽曲はサンレモ音楽祭1983で5位に留まったものの、80年代を代表する大ヒット曲となり、イタリア男気質を端的に表現した楽曲として、今もなお広く愛唱され続けているエヴァーグリーン楽曲です。

サンレモ音楽祭2005でトト・クトゥーニョはアンナリーザとのデュエットで「Come noi nessuno al mondo(コメ・ノイ・ネッスーノ・アル・モンド / 意:私たちのような人は世界中で誰もいない)」を歌って出場し、惜しくも2位の成績を残しました。(残念ながらSpotifyに同曲の登録がありませんでした)

敬愛する師匠トト・クトゥーニョと敬愛する師匠トト・クトゥーニョと

その後もトト・クトゥーニョとの師弟関係は続き、前出の10曲目で紹介したTV番組『Ora o mai più』では、トト・クトゥーニョはアンナリーザのマエストロを務めています。

TV番組『Ora o mai più』に出場中のアンナリーザを指導するトト・クトゥーニョTV番組『Ora o mai più』に出場中のアンナリーザを指導するトト・クトゥーニョ

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WRITER PROFILE
よしお アントニオ

音楽ジャーナリスト。イタリア音楽専門誌『MusicaVita Italia(ムジカヴィータ イタリア)』 http://musicavitaitalia.com/ 編集人。 イタリア音楽普及促進グループPiccola RADIO-ITALIA(ピッコラ・ラディオ・イタリア) http://piccola-radio-italia.com 主宰。 毎月開催のイタリアPOPSフェスタも15年を超えている。イタリアン・ポップス出版物(CD等)の歌詞監修・対訳多数。日本の伝統も重んじる剣道家(四段)でもあり、少年剣道教室の指導役も務めている。