「地獄の巨人」が見下ろす村
ルネサンス文化の先駆者として知られる詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)。2021年は没後700年にあたります。
彼の最高傑作『神曲』は、読んだことがなくても作品名を耳にした人は少なくないでしょう。ダンテ自身が主人公となって、地獄・煉獄そして天国を旅するという三篇の長編抒情詩です。
フィレンツェの小貴族の家に生まれた彼は、当時トスカーナ地方で話されていた口語を用いて『神曲』を執筆しています。書物といえば知識人の言語であるラテン語が常識だった時代に、一般市民にも理解できる言葉で綴ったダンテの試みは、画期的だったのです。
彼の作品の影響によって、トスカーナ語の公的地位は向上し、ひいては今日の標準イタリア語の源になったとされています。ダンテが“イタリア語の父”とも称される所以です。
イタリア人にとってダンテは、最も身近な歴史上の人物です。
実際に『神曲』はイタリアの公立学校では授業で必ず学びます。
「ライフ・イズ・ビューティフル」で知られる俳優兼映画監督ロベルト・ベニーニが催す『神曲』朗読イベントが、毎回満員となることからも人気ぶりが窺えます。
またイタリアの人気コミック雑誌は、今秋、ダンテ没後700年を記念して「ミッキーマウスの地獄 L’inforno di Topolino」を刊行しました。1949年〜1950年に出された復刻版です。『神曲』をパロディー化したストーリーで、なんとミッキーマウスがダンテを演じています。
ここに紹介するのは、ダンテが生きた時代の佇まいを残す村、モンテリッジョーニです。フィレンツェから自動車専用道路をシエナ方面に1時間ほど走ると、小高い丘に王冠を載せたようなその村は突然現れます。
14本の塔を城壁に備えた村の名を、ダンテは『神曲の地獄篇(第31歌)』のなかに登場させています。彼はそびえ立つ塔を、地獄の谷を見下ろす巨人にたとえたのです。
フィレンツェとシエナがそれぞれ共和国だった中世。両国が領地争いを繰り広げるなか、シエナは対フィレンツェの戦略的要衝として、1213年から6年をかけて丘の上に城塞を築きました。これこそがモンテリッジョーニの始まりでした。
城壁の全周は約570m、塔の全高は築城時にはもっと高いものでしたが、ダンテが見たより後の時代に大砲が発明されると、標的となるのを避けるべく切断されました。それでも、彼が塔を巨人になぞらえた気持ちは、今も十分に伝わってきます。
お金も中世スタイル
今日城壁の内側で暮らす住民は数十名です。しかし彼らは、周辺を含めた基礎自治体としてのモンテリッジョーニの約1万人の人たちとともに、毎年7月に「中世祭り」を催しています。
城塞の美しさを後世に伝えるべく、城壁内をまるごと舞台にしたイベントです。
ある年、私が訪れると、鎧をまとった若者が道を遮りました。「通行税は払ったか。さもなければ通すわけにいかないぞ」。税関吏役の彼らが言う通行税とは、入場券のことでした。観光客は門外で入場券を購入してから城塞内へと進みます。
そうして一歩入ると、一瞬にして中世の村に迷い込んだかのような光景が広がりました。響き渡る太鼓の音。中世装束に身を包んで踊り、またパレードする住民たち。衣装はすべて、シエナ大学の歴史学教授の監修のもと忠実に再現されたものなのだそうです。
見物の間にも、軒を連ねた屋台から美味しそうな香りが漂ってきます。豚の丸焼きを挟んだパニーニ、ピザ、ワインなどが売られていました。
中世人になりきった店主が「ユーロで買えないのは知ってるよな?」とひと言。実は屋台では祭り期間だけの「グロッソ」というトークンしか使うことができません。前述の“通行税”を購入する受付で、ユーロから両替しておきます。
700年前のスーパースター
さらに散策しようと迷い込んだ路地裏に、朗々とした声が響いています。立っていたのは、絵画に描かれてきた肖像同様、赤い洋服と帽子姿の“ダンテ・アリギエーリ”でした!
毎年この祭りでダンテ役を演じている俳優・ジョヴァンニ・テッレーニさんが、『神曲』をはじめとする詩の一説を、とうとうと詠み上げていたのです。
ジョヴァンニさんはその後も、家の軒先や木陰など村のあちこちに場所を移しながら朗読を続けました。そのたび大人のみならず子どもたちからも「あっ、ダンテだダンテ!」と声をかけられ、彼らとともにスマートフォンのカメラに収まっていました。
700年前の文学者がスーパースター!モンテリッジョーニは人々にとって、ダンテとその時代に思いを馳せる格好の舞台なのです。
INFORMATION
www.monteriggioniturismo.it
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