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CULTURE 24 Sep 2021

生家を訪ねてわかる “人間”レオナルド・ダ・ヴィンチ


トスカーナ特集KV

500年前の「空への憧れ」

昨今のドローン技術の進歩により、「空飛ぶクルマ」は、そう遠くない未来に実現しそうです。

今から500年以上も前、同じように空へ情熱を注いだ人物がいました。イタリア・ルネサンスを代表する巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチです。
彼が遺した手稿には、鳥の飛翔をはじめとする、飛行への飽くなき探究を示す概念図やスケッチが記されています。スクリュー型のプロペラをもつ飛行機具もそのひとつです。レオナルド自身の手で立体化するには至らなかったものの、今日のヘリコプターの原型といわれています。

レオナルドの概念をもとに、近年作られた模型。布製による螺旋形の帆のようなものを柱に取り付け、それを人力で回転させることによって宙に浮く=上昇させるという構想でした。(取材協力: Museo Leonardino)レオナルドの概念をもとに、近年作られた模型。布製による螺旋形の帆のようなものを柱に取り付け、それを人力で回転させることによって宙に浮く=上昇させるという構想でした。(取材協力: Museo Leonardino)

絵画、彫刻、建築、さらには科学や医学など、広い領域に精通していたレオナルド。多彩な才能はいかにして育まれたのでしょうか。それを探るべく、彼の生まれ故郷を皆さんと一緒に巡ってみましょう。

名前の由来となった村

1452年、レオナルドはフィレンツェから西へ約40km離れた田舎で生を受けています。
村の名前は、ずばり「ヴィンチ」。イタリア語学習経験がある人なら、前置詞のda+地名で、出身地を意味する場合があるのを学んだことでしょう。彼の名前Leonardo da Vinciとは、つまり「ヴィンチ村で生まれたレオナルド」という意味なのです。

ヴィンチ村中心部のサンタ・クローチェ教会内部には、レオナルドが洗礼を受けた当時の洗礼盤が残されています。ヴィンチ村中心部のサンタ・クローチェ教会内部には、レオナルドが洗礼を受けた当時の洗礼盤が残されています。

今日ヴィンチ村にある『レオナルド博物館 Museo Leonardino』には、前述の飛行機具をはじめ、レオナルドの概念図をもとに作られた模型が数々展示されています。戦車、飛行機、自転車、さらには潜水服など、あらゆる物に発想を巡らせたことに驚かざるを得ません。

多岐にわたる研究に取り組んだ天才の偉業を垣間見ることができる『レオナルド博物館』。概念図をもとに作られた模型が展示されています。 (取材協力: Museo Leonardino)多岐にわたる研究に取り組んだ天才の偉業を垣間見ることができる『レオナルド博物館』。概念図をもとに作られた模型が展示されています。 (取材協力: Museo Leonardino)

レオナルドは人体の比率に高い関心を抱いていました。村の広場に置かれた巨大オブジェは、彼の有名なデッサン「ウィトルウィウス的人体図」をもとにしています。レオナルドは人体の比率に高い関心を抱いていました。村の広場に置かれた巨大オブジェは、彼の有名なデッサン「ウィトルウィウス的人体図」をもとにしています。

左の建物がレオナルド博物館の入口。奥に見えるサンタ・クローチェ教会の鐘の音が、村中に響き渡ります。左の建物がレオナルド博物館の入口。奥に見えるサンタ・クローチェ教会の鐘の音が、村中に響き渡ります。

館内を巡ったあとは、併設の展望台がおすすめです。
南側には、レオナルドが洗礼を受けたサンタ・クローチェ教会をはじめ、煉瓦色のヴィンチ村を一望することができます(トップ写真)。

北に目を向けると、オリーブの木が生い茂る小高い丘が広がります。アンキアーノと呼ばれる地区です。実はレオナルドが生まれ、幼少期を過ごしたのは、ヴィンチ村中心部から北へおよそ3kmにある、このアンキアーノなのです。

その感性は自然が育んだ

ここで彼の生い立ちに触れておきましょう。
ヴィンチ家は代々公証人の家系で、レオナルドの父セル・ピエーロもフィレンツェ政府の公証人でした。いっぽうで母カテリーナは、その家に出入りしていた農民の娘だったとされます。

セル・ピエーロの父(レオナルドの祖父)は、社会階級の異なる二人の婚姻を許しませんでした。そこでカテリーナが身籠ると、彼女を衆目から遠ざけるべく、ヴィンチ家の所有するアンキアーノの納屋へと追いやりました。
その質素な石造りの建物こそが、今日も現存するレオナルドの生家です。

ヴィンチ村から3kmほど離れたアンキアーノにあるレオナルドの生家入口。ヴィンチ村から3kmほど離れたアンキアーノにあるレオナルドの生家入口。

オリーブの小径を抜けると、石造りの家が。オリーブの小径を抜けると、石造りの家が。

居間には当時使用されていた暖炉が残されています。居間には当時使用されていた暖炉が残されています。

その後まもなくセル・ピエーロはフィレンツェの富豪の娘と結婚します。仕事で家は不在がちになりました。いっぽうカテリーナも別の人の元へ嫁がされたといわれています。
両親から十分な愛情を受けられなかった少年レオナルドの、哀しさが胸に迫ってきます。

そうした思いとともに生家の庭を歩いていると、オリーブの木の間に息を呑むような光景が広がりました。眼下に開けたのは、夕暮れ時でパステル色に染まったヴィンチ村でした。
空を見上げれば、谷間から吹き上げる上昇気流に乗った鳥たちが、翼を広げて滑空を続けています。そして振り返れば、家の壁からトカゲが顔を覗かせています。

故郷の自然はレオナルドの寂しさを癒やすと同時に、彼の好奇心や洞察力を育んだに違いありません。事実、レオナルドが晩年に描いた洪水のスケッチは、幼少期の暴風雨の体験が基になったといわれています。
驚くほどの正確さを持って見る者を圧倒させる彼の描写力は、まさにこの生まれ故郷で養われたものといえるでしょう。

レオナルドの功績に触れることができる博物館や展示は世界各地に多々あります。しかし、実際に彼が生まれた地に立てば、複雑な生い立ちを抱えながらも、超人的感性で人生を切り拓いていった彼が、より身近に感じられてくるのです。

レオナルドの生家から望む景色。オリーブの木々の向こうに見えるのがヴィンチ村です。レオナルドの生家から望む景色。オリーブの木々の向こうに見えるのがヴィンチ村です。

INFORMATION  
Museo Leonardiano www.museoleonardiano.it

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WRITER PROFILE
大矢 麻里 Mari Oya

イタリアコラムニスト。東京生まれ。短大卒業後、幼稚園教諭、大手総合商社勤務を経て1996年からトスカーナ州シエナ在住。現地料理学校での通訳・アシスタント経験をもとに執筆活動を開始。NHKテキスト『まいにちイタリア語』『朝日新聞デジタル』などに連載多数。NHK『マイあさラジオ』をはじめラジオでも活躍中。著書に『イタリアの小さな工房めぐり』(新潮社)、『意大利工坊』(馬云雷訳 華中科技大学出版社)、『ガイドブックでは分からない 現地発!イタリア「街グルメ」美味しい話』(世界文化社)がある。