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日本を愛するイタリア人翻訳家、Laura Testaverde(ラウラ・テスタヴェルデ)さんインタビュー

Dopo lo spettacolo(邦題マチネの終わりに)

福山雅治と石田ゆり子共演により、芥川賞作家・平野啓一郎の小説が初映像化。2019年11月に公開されるその映画の名は「マチネの終わりに」。日本・パリ・ニューヨークの3都市を舞台に、クラシック・ギタリストの主人公と海外通信社所属の女性ジャーナリストが、6年間でたった3度の出会いの中で惹かれ合い、人生で誰よりも愛した存在になるという、大人の恋愛小説。

この小説はイタリア語に翻訳され、「Dopo lo spettacolo」のタイトルで現地でも人気を呼んでいるといいます。それを翻訳した人物こそ、こちらのLaura Testaverde(ラウラ・テスタヴェルデ)さん。現在、ご主人の仕事の関係で日本に2017年から暮らしはじめたラウラさんにお話を訊きました。

ラウラさんがこれまで翻訳した本。右が「Dopo lo spettacolo」。

日本に興味をもった理由とは?

SHOP ITALIA ご出身はイタリアのどちらですか?
Laura Testaverde 私はローマで生まれ育ちました。しかし、生粋のローマっ子ではなく、父はナポリ、母は北イタリアのフリウリの出身です。家庭ではイタリアの標準語を話すのですが、両親それぞれの実家に行けば、それぞれの方言を聞く機会がありました。とうぜん習慣も料理も異なります。そんな異文化が一緒にいると面白い、と小さな頃から思っていました。

SHOP ITALIA 翻訳家というお仕事はご両親の影響からですか?
Laura Testaverde 父は軍隊の士官でした。おじいさんは違うのですが、ひいおじいさんも士官、当時のナポリのブルボン家に仕えていました。父は転属が多かったので、あちこちと引っ越し、ローマにやってきました。
ローマっ子、首都、永遠の都の純粋な子供である事を自慢に思う子に対しても、両親が同じ地方出身でローマへ引っ越してきた子に対しても、私はイタリアの北も南も(そして中央にあるローマも)身近に感じられる事は一つの些細な自慢だったと思います。それは、小さな子供の頭の中で、少しずつ、違う文化との交流の可能性への関心に変わっていったかもしれません。
さらに、元々言葉も通じない所から来る両親の子供たちとの文化交流に興味を持つようになりました。中学生の時、アメリカやアルジェリアからの転校生がやってきた時に、彼らの言葉を覚える能力にも、そして彼らの出身地についての話にも、他の同級生よりずっと興味を持っていた事をいまでもおぼえています。彼らの一人に惚れたのではないかと先生に思われたくらい、彼らの事が気になっていました。異なる文化への興味、好奇心が翻訳家の道を歩ませたのでしょうね。

SHOP ITALIA そこから日本に興味がわいた理由は?
Laura Testaverde 当時、私が小中学生のころ、まわりの友達には日本のアニメ「キャンディキャンディ」や「ゴールドレイク(邦名UFOロボ グレンダイザー」が人気でした。もちろん、地理や歴史の授業から日本という国があることは知っていましたが、それがそのまま日本への興味にはつながりませんでした。
高校生のころは、古代ギリシア語やラテン語を訳すことが好きでした。訳すことで当時の人たちの考えや行動を知れるのが楽しかった。異文化への好奇心がより強くなってきたのです。

SHOP ITALIA それでは日本との出会いは?
Laura Testaverde 高校の夏休みに、友達の田舎へ遊びに行きました。そこには小さな図書館があり、川端康成の「千羽鶴」をたまたま読んだのです。描かれている世界はイタリアとは異なりますが、登場人物の気持ちはわかり、美しい表現が気に入りました。それで、高校卒業後の進路相談のために、ローマにあった中東極東研究所へ行きました。そこでナポリ東洋大学を進められ、入学することにしたのです。
SHOP ITALIA そこで日本語を学んだんですね?
Laura Testaverde はい。4年間。在学中の1989年に渋谷の長沼スクール(東京日本語学校)で3ヶ月間学んだりもしました。それが初来日になります。そしてナポリ東洋大学を卒業後、日本の文部省の奨学金により1992年から1995年に学習院大学で学び、修士号を取得しました。卒論は三島由紀夫について書きました。帰国して、またナポリ東洋大学に戻り、そこでも文学博士号を取りました。
SHOP ITALIA そこから翻訳家としてスタートをきったのですね。
Laura Testaverde 文学では野坂昭如の処女作「エロ事師たち」、山田詠美の「こぎつねこん」を訳しました。あとは日本の企業からのオファーで治療機械のマニュアルを訳したり。その後、結婚を機に少し仕事としての翻訳は控えることになりました。

結婚を機に、日本とのつながりがさらに増します

SHOP ITALIA ご主人は、東京・九段下にあるイタリア文化会館館長のパオロ・カルヴェッティさんですね。
Laura Testaverde パオロと出会ったのはナポリ東洋大学に入学した時です。彼は同校で先生をはじめたばかりでした。
SHOP ITALIA 日本がお二人のコミュニケーションに役立ったというわけですか?
Laura Testaverde そうかもしれませんね。結婚してナポリに引っ越して、その後パオロが文化担当官として駐日イタリア大使館へ勤務することとなり2003年から4年間、日本に住んでいました。
SHOP ITALIA 日本で暮らしてみていかがでしたか?
Laura Testaverde 大好きな日本の文学の中で登場した場所や、作家が暮らしたところが実際に見られたりするのはワクワクしますね。食べ物は世界中にある寿司だけではなくて、しゃぶしゃぶや鉄板焼き、懐石など、和食のすべてがあるのも嬉しいです

Laura Testaverde 翻訳を本格的に再開したのは、2011年からです。
SHOP ITALIA その理由は?
Laura Testaverde 東日本大震災です。心を痛めました。何か日本の役に立てればと考えていたところ、知人に頼まれて、「早稲田文学記録増刊 震災とフィクションの”距離”」の短編集の中の二編の翻訳をしました。翻訳者は無料で働き、本の販売の収入は日本の赤十字に寄付されました。イタリア語版のURLはhttps://www.atmospherelibri.it/prodotto/scrivere-per-fukushima/です。
それからイタリアの出版社から小川洋子さん、横山秀夫さんの作品の翻訳依頼がありました。2019年2月に発行された平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」が最近の仕事となります。

SHOP ITALIA 日本語の表現をイタリア語にする際に、難しいところはどこですか?
Laura Testaverde たくさんありますが、代表的なのは動詞。現在・過去・未来形の使い方です。イタリア語は現在形ならすべてがそれにならいますが、日本語は3つが混在するときがあります。
現在、茶道の本を翻訳しているのですが、ひとつの文章の中に「お茶」という単語が複数回出てきます。イタリア語では同じ単語を繰り返し使うことは美しい文章とはされません。
また、茶碗はtazza(英語のcup)となりますが、読者の頭には紅茶やコーヒーを飲む柄のついた容器となってしまい、茶碗の特徴的な美しさや茶道の特別な雰囲気が伝わりにくいと思いました。だから、“chawan”と書いて、単語リストに入れて説明を加えました。
SHOP ITALIA 非常に繊細な仕事なんですね。これまでたくさんの日本の小説をイタリアへ紹介されてきましたが、翻訳を通して伝えたいことはなんですか?
Laura Testaverde 小説を読みながら異なる文化に共感をおぼえてもらいたい。そして住む場所は違えど、人間はみんな同じなんだと思ってもらえればうれしいです。

過日、平野啓一郎さんのtwitterで「イタリア語版の『マチネの終わりに』、刊行ですー!」とのつぶやきがありました。そのポストに「イタリア語勉強中ですので、日本語版と比べて拝読します。」とのコメントが。すると、平野さんは「素晴らしい翻訳者なので、言い回しなど、きっと勉強になると思いますー。」と返信されていました。また、ローリング・ストーン誌イタリア版の「今月の一番良い本」欄(3月4日)に「Dopo lo spettacolo」は掲載されたともいいます。
ラウラさんの根底に流れるのは、好奇心。そして他者を思いやる気持ちだと、インタビューを経て筆者は感じました。その心が、翻訳をとおして表現されているのではないでしょうか。イタリア語がわかる方、勉強中の方、ぜひラウラさんが翻訳した日本の文学を読んでみてください。

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