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イタリアには熱心なサッカーママがいない?

息子の無事を祈るイタリアの“マンマ”

イタリアの少年サッカーのグラウンドに集まるのは父親ばかり。たくさんの母親が見守る日本とは、だいぶ雰囲気が違います。例えば私の息子が所属していたフローリアでは、練習上がりの子どもを迎えに来る“マンマ(お母さん)”はクリスティアンの母親サマンタだけ。リーグ戦を観に来るのは多くて2、3人といったところです。


イタリアのパパは「自己犠牲」しない〜子どものサッカーへの関わり方
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イタリアのパパは「自己犠牲」しない〜子どものサッカーへの関わり方

宮崎 隆司 / 2022.11.30


では試合に来る数少ない母親たちは、どんなふうに子どもを応援しているのでしょうか。彼女たちは「行け! 決めろ! キャー!」などと金切り声で叫ぶことはありません。ましてや戦術論をぶったりするようなこともありません。イタリアでは「サッカーは男のもの」と相場が決まっているからです。彼女たちは、ひたすら子どもたちの無事を祈っています。ほとんどサッカーに興味がない彼女たちも、このスポーツがとても激しいことだけは十二分に知っているのです。


ただフローリアの母親には、一人だけ例外がいます。クリスティアンのマンマ、サマンタです。ナポリ生まれの彼女は、まるでオペラ歌手のようによく通る大声で、「ちょっとあんたたちー、うちの子をケガさせたら、ただじゃおかないからね!」と、対戦相手の子どもたちを“威嚇”しては笑いを取っています。


イタリアの子どもたちにとって、母親は“ブレーキ”役にもなっています。「たくさんゴールを決めて、ついでに可愛い彼女も見つけてこい!」と息子の背中を押すアクセルが父親なら、「サッカーに行くなら、その前にちゃんと宿題しなさい!」とブレーキを踏むのが母親です。そんなうるさい母親の監視の目をかいくぐり、子どもたちは仲間たちが待つ公園を目指す。イタリアの家庭では今日も母と子の果てしない駆け引きが繰り広げられています。


洗濯物の“臭い自慢”


イタリアの母親たちは日本と違って朝練に合わせて早朝に起き、お弁当を作るようなことはありません。そもそもイタリアには朝練がありませんし、学校の授業も昼過ぎに終わるため、子どもたちは家庭でお昼を食べるからです。とはいえ、サボれない仕事もあります。洗濯です。



夏のプレシーズン合宿が終わると、ママ友の間では「洗濯」が井戸端会議の話題となります。


「息子の洗濯物がすごいことになってたの…」
「うちのバカ息子もそう。丸々10日分の汗にまみれた汚れ物をバッグに詰め込んで帰ってきたのよ。しかもご丁寧にスーパーのレジ袋に入れて!」
「うちのバカも同じよ。家中に匂いが充満して、もう死ぬかと思ったわ…」


洗濯物の“臭い自慢”で大いに盛り上がるのです。臭いくさいと文句を言いながら、「これをいつか、誰か別の女が洗うことになるのかしら…」と想像しては、ぽろりと涙をこぼす。これが人情味あふれるイタリアのマンマです。


子どもを抱きしめるということ

私の息子は練習場や試合会場で、クリスティアンのマンマ、サマンタに会うたびに、彼女の“むぎゅー”と“ぶちゅー”の餌食になります。


むぎゅーとはハグ、ぶちゅーはキスのことです。イタリアでは誰もが挨拶がわりにこれをしますが、ナポリ人のサマンタのそれは、とにかく強烈にして熱烈! うちの息子のほっぺにはいつも真っ赤なキスマークがつきますが、もうすっかり慣れたものです。


これはコーチと子どもの間でも、よく見られる光景です。例えば、簡単なシュートを外した子どもを、コーチはハーフタイムにぎゅっと抱きしめながら、「気にしなくていいぞ。次、決めればいいんだから」と励まします。背中をポーンと叩いて送り出してあげれば、さっきまで泣きべそをかいていた子どももキリッとした表情を取り戻してグラウンドへ走っていきます。


イタリアのグラウンドには子どもを肩車したり、お姫様抱っこをして走りまわるコーチの姿があります。コーチは怖くて偉い人ではなく、一緒にサッカーをする優しくて楽しいお兄ちゃん。懐の大きなコーチに見守られて、イタリアの子どもたちは成長していきます。


そして、グラウンドの脇では、お爺ちゃんたちが可愛い孫の姿に目を細めています。私の息子が7歳のころに通っていたグラウンドでは、あるお爺ちゃんが子どもを近くに呼び、膝の上で抱っこしながらこんなふうに語りかけていました。



「中盤じゃなくて前線の左でプレーしてごらん」



子どもたちに最も適したポジションを一発で見抜くその人の名は、クルト・ハムリン(*)。1958年のワールドカップで、あの偉大なるペレのブラジルと決勝を戦ったスウェーデン代表のエース。彼の優しい言葉は、多くの子どもたちの心の中に大切な宝物として残り続けています。


(*)フィオレンティーナで208(キャリア通算317)ゴールを記録した往年のストライカー。その小柄な身体と軽やかなプレースタイルから、イタリアでは“ウッチェッリーノ(小鳥)”の愛称で呼ばれた。引退後もフィレンツェに居住し、筆者の息子が通うクラブで特別コーチを務めていた。イタリアには一つひとつのグラウンドに名をつける慣習があり、本文中にあるグラウンドの名が、まさに「Campo Hamrin(ハムリン・グラウンド)」。今年87歳の名伯楽にはミヤザキ君もよく可愛がってもらったのです。