CULTURE

CULTURE

イタリアの歴史に見る想像のチカラ

皆さんこんにちは。
2020年はコロナの大きな渦に国全体が巻き込まれ、現在もまだ感染が収まらないイタリアですが、それでも多くの方に記事を読んでいただけて大変光栄でした。今年もまだまだ状況が二転三転していきそうですが、そんな状況下であるからこそ、多くの引き出しを1つ1つ大切に開け、よりディープでリアルなイタリアを感じていただくために今年も頑張って書いていこうと思います。

ローマのシンボル的建造物の1つ、パンテオン

ちょうど一年前のこの時期、単身赴任中の旦那さんに会いにローマへ行っていたことに、仕事用の写真を整理していて気がつきました。美術館、路地、コロッセオにフォロ・ロマーノ。家族で楽しそうに写っている写真を見ながら、一年前はコロナという名前すらまだ知らなかったのだなあとそれらの写真を不思議な気持ちで眺めていました。

一年前から比べると随分と人間界には変化があったね、誰が一年後このような出来事が起こると想像していただろうね、とずっと在宅ワークで家にいる旦那さんも写真を見てポツリと一言。私たちは去年コロナで46歳の親友を失いました。

遺跡や彫刻、絵画など一枚一枚の写真をじっくり眺めていると、ふとこの国の美に対する飽くなき探求心のようなものが見えてきて、色々ともの思いにふけり始めました。過去の時代にも何度も疫病や感染病は起こり、昔はまだ科学的検証も情報もないまま命を落としていく人が私達の想像を遥かに超える規模でいた、という歴史があります。不安や恐怖に苛まれ、暗闇の時代を生き抜きながら、そんな状況の中で光を求めて美しいものを作ることを絶対に止めない人間たち。想像の原動力とは、どこからやって来るのだろう、と自分なりに考察するに至ったのです。

逆境は人間の想像力を奪えない

ラファエロの名画、ラ•フォルナリーナのモデルの腕に描かれた文字

ローマを周遊した時に撮影した写真を見ていると、ラファエロの絵が出てきました。ラファエロはウルビーノで生まれ、ルネッサンス全盛期に活躍したイタリアを代表する画家。ウルビーノは私のイタリアでの地元県でもあり、旦那さんが美学生時代に通った懐かしの地でもあります。ラファエロは若くして出世し、フィレンツエやローマでその才能を開花させて押しも押されぬ存在になったという歩みは有名ですが、不幸にも幼い頃に母を亡くし、少年時代には追い打ちをかけるように父親も亡くしたあと、ペルジーノの門下生として絵を学んだ話は、あまり語られません。彼は多くの作品に、自らの名前を”ウルビーノのラファエロ”とサインを入れていることからも、故郷ウルビーノが最後まで彼にとって大切な場所であったことが伺えます。

マルケ州の世界遺産、ウルビーノの街

宮廷画家だった父親のジョバンニ・サンティのもとに生まれ、ウルビーノの宮廷文化の華々しい空気を肌に感じながら育ったラファエロ。何もかもに恵まれていた状況から、両親を亡くしてウルビーノを離れなければいけなかった彼の心に、ウルビーノは小さな灯火のようにいつまでも残っていたのだろうか、と想像しました。

ウルビーノで生まれた画家、ラファエロの自画像

幼くして亡くした母への慕情から、多くの聖母子像を描いて、聖母の画家とも呼ばれていたことからも、彼の逆境が生んだ絵画への情熱が、作品に魂を吹き込んだのでしょうか。

そんなことを思いながら、ふと過去にイタリアの作家や画家がパンデミアを取り上げた作品を生んだのか、パンデミアによって命を落とした画家がいたのか、という考えが浮かびました。

闇の時代の創造性

ピーテル・ブリューゲルの筆による、”死の勝利”(1562年)

調べてみると1353年にはボッカチオがデカメロンの中でペストについて言及していたり、第16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリアス・アントニウスや、ルネッサンスの画家ティッツイアーノやジョルジョーネもペストで命を落としています。
イタリアの作家以外にも、フランドル地方の画家ピーテル・ブリューゲルがペストをテーマにした<死の勝利>という作品を同じルネッサンス期である1562年前後に描いていますが、これは彼が1445~1446年の間にイタリアを旅した時、パレルモのスクラファー二宮殿に見られるフレスコ画の様式の1つとしての”死の勝利”を観ており、その様式を参考にしたのではないかと考えられているそうです。この時代にすでに美術様式の1つとしてパンデミアの恐ろしさを語る死の概念があったことを考えると、新しい文化の開花を謳歌したように見える一見輝かしいルネッサンスの時代にもパンデミアの闇は存在していて、そんな時代においても人は創造することを止めずに美の可能性を信じて歩み続けたということに、大きな驚きと畏敬の念を感じずにはいられませんでした。

パレルモのフレスコ画”死の勝利”

生きるとは何なのか、創るということは何なのか。過去の偉人の生きる姿勢から今の私たちが学べることは意外に多いのかもしれません。

イタリアを色々な視点から眺める

様々な時代の立会い人であるローマのコロッセオ

多くの街角のスナップを眺めていると、イタリアが本当に古く歴史深い土地であることが実感として沸き上がってきます。
中世、ルネッサンス、バロックと長い歴史の中でもコレラ、チフス、結核と世界は止まることなく揺れていて、それでも人は創ることに意味を見い出すことを忘れませんでした。イタリアを闊歩するとぱっと分かるものだけでもロマネスク、ゴシック、ヴィザンチン、中世、ルネサンス、バロック…と全ての様式を網羅した建物なり教会なり美術品なりが次々に目に飛び込んできて、その歴史の厚みに気が遠くなるのですが、それと同時に、なぜこんなに様々な様式のものたちが混在しているのか、好奇をそそられた旅行者の方も多いのではないでしょうか。イタリアは長い歴史の中で、古い時代の建物を壊して新しいものを作ってきたわけではなく、常に古い町の上に新しい街を増築してきました。もちろん建材不足で古いものを崩しつつ、新しい建物に再利用しているパーツも多いのですが、大体どんな小さな村にも、ローマ帝国時代の門や外壁が残っていたり、その上にゴシック様式が隣在したり、場所によってはヴィザンチンの素晴らしいモザイクにバロックのキッチュともいえる金装飾が混在・・・などという辺鄙な組み合わせにも出会ってきました。
大きな街で地下鉄を作ろうと掘り始めると、遺跡が見つかり発掘調査で工事は中断。。なんていう話は日常茶飯事なイタリア。言ってみれば、1つの小さな村や町でも長い歴史を網羅できる稀有な国であると言えると思います。

歴史が地層のように重なるイタリアの無数の村々

そんな、美しいものを作るのが大好きで、色々な意味で長い歴史を背負ってきたこの国を、いつかまた安心して訪れることができる時が来たら、皆さんも是非いつもとは違うこんな視点でイタリアを旅してみてください。レンガの連なりの美しい色相や、鐘の音の響き渡る小さな村に吹く風の中に、歴史の深淵が見えるかも知れません。

イタリアの情報が満載のメールマガジン登録はこちらをクリック