イタリアの戦後の災害史の中で史上最悪の地震
1980年11月のある日曜日、イタリア南部大地震は発生した。
震源地は、ナポリから約70km東へいったアヴェリーノ県。マグニチュード6.9の地震が約90秒続き、町や村が一気に倒壊した。
地震発生時刻は19時34分。南部であれば、日曜日の夕食前の散歩やミサの時間である。外にいた住民も多かっただろう。建物は、瞬く間に壊滅し、3000人近くの死者、8000人を超える怪我人、28万世帯が住居を失った。被害は、複数の州を含むイルピニア地方に集中していたため、イタリアではイルピニア地震と呼ばれている。被害は7,000㎢に及ぶ広範囲に及び、救助活動が遅れた。イタリアの戦後の災害史の中で、最悪の地震であった。
イルピニア地方の復興を辿ると、悲しい南イタリアの現実そのものである。経済的な復興能力のないイルピニアには、多くの震災復興金が集中した。しかし、行政組織内の混乱から工事が遅れるうちに、着服されてしまった支援金も多いという。マフィアである。スキャンダルの対象が市長という村もあった。
このスキャンダルは、イルピニア地方の再生を遅らせただけでなく、住民の希望までも奪った。産業は復興せず、人口は減少する一方である。その結果、廃村の危機のある自治体が増え、補助金が降りてもまた一部の人間のみが潤うことになり、負の連鎖が起きている。
イルピニア地方は、地震後の復興需要を反映して、建設関連会社が多く誕生した。現在のイルピニア地方の経済を支えているのは、金属製品製造業、石油コークス・石油製品、木材・家具産業、食品産業が中心である。その中でも、食品産業が、順調に伸び続けている。
食品の中で代表的なのは、ワインとチーズづくりである。ワイン生産用につくられているのは、ファランギーナ種、グレコ種、フィアーノ種などの土着のぶどう品種が中心である。
復興の兆しはD.O.C.Gワインから
アニアニコは、元々はギリシアから持ち込まれたという赤ぶどう種で、このアニアニコを使ってタウラージワインはつくられている。1993年には、ワインの品質の中で最高ランクのD.O.C.G(原産地呼称保証付き統制ワイン)の仲間入りを果たした。石灰質の肥沃な土壌と適度な標高という条件が、ぶどうをゆっくり熟させ、コクのある味となるそうである。それに続いて、他のぶどう種でできたワインもD.O.C.Gの認証を受け、イルピニア地方の名は海外でも知られるようになった。
これらのワイン目当てに、日帰り試飲ツアーの観光客が増加している。日本からは個人旅行客が多い。
イルピニア地方のワインづくりは、つい少し前までは昔ながらのやり方で生産されていた。地下や洞窟で熟成させる少量生産方式である。需要が増えるに連れて、新たに別の敷地にワイン生産工場をつくり、新しい設備を導入して効率化を実現した生産者も出てきた。さらにこの10年で、試飲ツアーができる体制を整えたところも随分と増えた。
ワインセラーではアメリカ人たちが寛いでいた
最近では、ぶどう狩りも体験でき、宿泊施設やレストランを備えるところも出てきた。行くたびに進化しており、観光客を集めるに、常に考えながら改善しているのだろう。
イタリアは、フランスに続いて、原産地呼称法に関する規制を1963年に公布しており、国を挙げて食品の品質や生産方法の基準を厳しく設定してきた。ワイン製造を文化として保護するこの認証制度がなければ、生産者だけの努力だけでは、ここまでイタリアワインの知名度は上がらなかったであろうし、輸出も伸びなかったはずである。
宿泊施設といえば、イルピニア地方は、行政が主導となって、地震で崩壊したままの城や塔を再生して宿泊施設にするプロジェクトを実践してきた地域である。空き家や空き建造物を再生し、村中に宿泊施設の機能を分散させるタイプの宿が取り入れられ、イタリアではアルベルゴ・ディフーゾ(分散した宿)と呼ばれている。
元々は、欧州連合の6年間に渡る援助プログラムの一環として、カンパニア州政府と各自治体によって改修が行われ、完成後に事業者を公募した。
震災から30年近くが過ぎ、家を失った人たちの住居や生活は落ち着いた。しかし、失業率は高まる一方であった。そこで、新たな復興支援として、観光業用に伝統的建造物を修復・再利用して、持続的な経済発展を構築しようとするプロジェクトであった。
アルベルゴ・ディフーゾは、イルピニア全体のいくつかの村で導入されたが、最初にスタートしたのが、カステルヴェーテレ・スル・カローレ村の元城を改修した宿泊施設である。
市が事業者を募集し、3度ほど経営者が変わったが、現在は近場の山岳リゾート地で観光業に携わる男性が経営者。実際に宿泊業務を担当するのは、この村に住む30代の女性、ガエターナさんである。
その前の経営者は、近隣の村出身の40代の男性であった。その時は、経営者である彼自身が丁寧にお客をもてなしていた。彼は、イルピニア地方に観光業を導こうと、展示会に出展したり、頻繁に会議を開いたり、観光資源開拓に活躍した最初の開拓者であったが、志半ばで急逝してしまった。
カステルヴェーテレ・スル・カローレ村に観光客がやって来た
アルベルゴ・ディフーゾの宿泊部屋として使われている部分の建物は、屋根が落ち、廃墟であった。地震前には住民が住んでいたが、空き家となっていた。外観は美しく改修されたが、残念ながら建物内部は必要最低限に改修されただけで、この土地の風習を感じさせるインテリア用品や飾りは一切ない。
美しい中庭から部屋に入ると、ガランとした室内は、過去と断絶された空間という感じがする。1980年の震災後は、建設需要を受け、とにかく多くの住宅を早くつくることに重点が置かれていた。観光施設の工事は慣れていなかったのかもしれない。
イルピニア地震で破壊的な被害を受けたカラブリットという村でも、アルベルゴ・ディフーゾをオープンしたばかりである。廃墟となっていた城を改修した宿泊施設であるが、不必要に大きい。こんな小さな村に300人も宿泊できる宿泊施設をつくり、メンテナンス費はどうするのだろうかという疑問が湧くが、何とか観光業で復興させようとする一歩は踏み出したようである。
実はガエターナさんは、行政、村外に住む経営者、住民との間に入ってどうやって観光業を定着させたらよいか悩んでいる。一番勇気付けられるのは、ガエターナさんのおもてなしがよかったと、リピーターが再訪してくれることだという。自分自身の利益を優先させるのではなく、地域住民、村の将来を真剣に考えている協力者を少しずつ増やせていることも自信に繋がっている。この村の住民は、以前は突然の宿泊施設の登場に戸惑い、関心を寄せない人が多かったからである。
イルピニア地方のワイン生産者には、海外輸出にも成功し、確実に成長しつづけ、大人数の試飲ツアーを行っていることが多い。ツアーは、よくオーガナイズされており、楽しく、無駄がなく気持ちがいい。
しかし、ガエターナさんがお客さんを連れていくのは、村の近くに位置するもっと小さな生産者だという。価値観がガエターナさんと共通しているからだ。有機栽培で少量生産のワインは、タウラージ、フィアーノ・アヴェリーノ共にD.O.C.Gの認証を受けている。ワインの見本市にも出展し、外へ向けての広報も欠かしていない。
「小さな規模のワインづくりで、少人数のお客さんを丁寧にもてなす方がこの村らしいと思うの。でもお客さんのリクエストがあれば、他のところも案内していますよ。」とガエターナさんはいう。
アルベルゴ・ディフーゾで出されるのは、地産地消の食材を使った朝食。イタリア風の甘いお菓子の朝食にこだわらず、外国人にはリクエストがあればハムやチーズを出してくれる。伝統的で安全な食材をつくる生産者とも、良い信頼関係が築くことができてきたという。
地元の小さな事業者たちが協力し合い、イルピニアのファンを増やしていくことが持続的な観光化、ローカル経済の復興に繋がると信じているからだ。
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