CULTURE

CULTURE

【新連載】大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ第二回「世界最古の職業演劇はどのようにして誕生したのか?」

コメディア・デラルテはどのようにして誕生したのか?

世界最古の職業演劇「コメディア・デラルテ」
そう聞いてピンと来た方がどれくらいいるだろうか?このイタリア語を直訳すると「職業の演劇」。もう少し内容に触れると「伊古典仮面即興喜劇」とでも訳すのが適当だろうか。 世界初の職業演劇がなぜ即興の喜劇という形だったのか? 実はそうならざるを得なかった歴史が非常に興味深い。
連載第2回はそんな「コメディア・デラルテとは何か?」について書きたいと思う。

コメディア・デラルテを演じる大塚ヒロタ自称大将軍カピターノと召し使いパッカンティーノ

この演劇自体、日本ではほとんど知られていない。現に私が初めて日本でコメディア・デラルテの一人芝居を始めた頃は「この中でコメディア・デラルテって聞いたことがある人?」と客席に投げかけ、誰も手を上げないのでそれをイジる。というのを掴みのネタにしていた。一般的な知名度は1%にも満たないはずだ。
だがなぜか見ればいつの間にかその世界に入り込んで子供の頃に戻った様に大笑いしてしまう。それはなぜなのか? 今回はその理由を紐解いていきたい。

コメディア・デラルテを演じる大塚ヒロタ自分の名前がどうしても思い出せないヴァレンティーノ

16世紀に王様をもてなすために生まれた即興劇

時は16世紀半ば、イタリアの北部でコメディア・デラルテは生まれたと言われている。当時のイタリアは隣の都市に行けば政府、権力者、文化、言語まで違う都市国家。その中、とある国の王様が自分の誕生日パーティーを盛大に開くことにした。近隣の国からもゲストを招く一大イベント、王様は召使い達に何かパーティーが盛り上がる余興をするよう命令した。

普段は庭師やコック、メイド等をしていた彼らはそんな王様直々の命令に恐縮し、重圧の中、どんな余興が良いか大いに悩んだ。そこで一人が「芝居はどうか?」という案を出した。しかし、「どんな演目をやれば良いのだ?」と頭を抱えていると、別の一人が「王様の功績を讃えたお芝居はどうか?」と言った。「それは良さそうだ!」と盛り上がる一同。
彼らは仕事の合間や後に時間を作り、お芝居の稽古を重ねた。そして、遂にパーティー当日が来て、彼らのお芝居は大成功した。大勢の近隣諸国からのゲストの前で自分の功績をアピールすることに成功し、鼻高々の王様は大いに喜び、召使い達におひねりを奮発した。もちろん大喜びしたのは召使い達、王様直々のおひねりは普段の給料の何倍もあった。そして気を良くした王様は誕生パーティーでのお芝居を毎年恒例のものにした。

コメディア・デラルテを演じる大塚ヒロタ落ちてるお金がなかなか拾えないパンタローネ

そこは職人気質のイタリア人でなくても、何度もやれば上手にもなるし趣向も凝らしたくなるもの。召使い達のお芝居のクオリティは毎年上がり評判になっていった。そして数年が経ったある日、一人の召使いが仲間に言った。「もう召使いなんかやめて、お芝居で暮らしたい!」と。
芝居の楽しさを味わってしまった彼らは、すぐにその話に飛びつきたい気持ちだったが大きな問題があった。王様の誕生日パーティーは残念ながら年に一度しかないのだ。年に一度のおひねりだけではさすがに暮らしていけない。そこで彼らは「そうだ、一般大衆相手にお芝居をして、一人一人の金額は小さくても、もっと多くの人たちから頻繁におひねりを貰えば、それで暮らしていけるのではないか?」と考え、思い切って召使いを辞めてしまった。

ゴシップが大衆の心をつかんだが……

しかし、そこで彼らはまたも大きな問題に直面する。彼らの持ちネタは「うちの王様ってこんなにすごいんだぞ!」という内容のものしかなかった。大衆からしたら、そんなことはわかっているし、こっちはきつい生活をしているのに偉そうにして、いい生活をしてる人たちの話など聞きたくもなかった。では、どんな内容が一般人にはウケるのか?

そう、一般大衆の興味は今も昔も変わらず「ゴシップ」であった。どんなに大変なことが世の中で起きていても、ワイドショーの大半は有名人の下世話な話や失敗談ばかり。当時のイタリアでもそれは変わらなかった。では当時の有名人とは誰なのか?

コメディア・デラルテのワークショップの風景

コメディア・デラルテのワークショップの風景月に一度のワークショップ参加者は老若男女、国籍も様々

それは王様や貴族だった。元々はお城に使えていて、貴族の裏話には誰よりも詳しかった彼らは、今までとは真逆の貴族や王様を揶揄する内容のお芝居を始めた。「あの人あんなに威張ってるけど、実はこうですよ」とか「誰々と誰々は実はこういう仲なんですよ」なんてお話に人々は大喜びし、コメディア・デラルテはあっという間に大人気になっていった。そして、その噂はついに王様の耳にまで入ってしまう。自分の城下町で、自分をバカにしている芝居が大流行りしていると知って、当然大激怒した王様は即刻コメディア・デラルテを禁止にしてしまった。

またもや困ったのは元召使い達。禁止になったからって、「じゃあ、すいませんまた召使いとして雇ってください。」とは言えない状況になってしまったし、沢山の人たちを喜ばせてお金と人気を得ていた彼らはもうそれを手放したくない。

そこで彼らが思いついたのが画期的であり、のちのコメディア・デラルテの繁栄に大きな影響を与える解決方法だった。

続きを読む
大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ第一回「私が即興演劇をはじめた理由」はこちら

イタリアの情報が満載のメールマガジン登録はこちらをクリック