CULTURE

CULTURE

【連載】大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ第三回「世界最古の職業演劇誕生秘話」

この連載第3回は第2回の続きになるので、未読の方はぜひ第2回をお読みいただいてから、今回をお楽しみいただきたい。

「世界最古の職業演劇はどのようにして誕生したのか?」

一躍大人気になった元召使いたちの劇団コメディア・デラルテは一転「王様からの禁止令」により大ピンチに陥った。しかしピンチはチャンス!そこで彼らがとった対策法がのちにコメディア・デラルテを大きく発展させることとなる。 

コメディア・デラルテ芝居の一部

その対策法とは「幌馬車(ほろばしゃ)を移動劇場にする」という方法だった。今でいうトラックの荷台を劇場にして、移動可能の劇場を作ったのだ。そして、広場に向かいながら「コメディア・デラルテが来たぞ! コメディア・デラルテが始まるぞー!」と人を広場に集める。パッと幌を開くとそこは劇場。パッとお芝居をして、パッとお客様を笑わせて、パッとおひねりを集めて、取り締まりが来る前にパッと幌を閉じて逃げてしまう。なんとも単純明快だが、これがコメディア・デラルテに機動力を与えた。

そして、台本があると取り締まりにあった時に、王様を揶揄しているお芝居の証拠になってしまうので、お芝居は即興で行うようになった。

しかし、即興のお芝居には二つの側面がある。「うまくかみ合い台本がある時よりも爆発力のある内容になる面」と「グダグダになり目も当てられないものになってしまう面」だ。チケット代をとってやる今の演劇とは違い、おひねり制は面白くなかったら一銭にもならないシビアな演劇だ。なので絶対に後者は避けたい。そのために彼らは二つの解決策を考え出した。

実は臆病者の自称大将軍「カピターノ」

一つ目は「一人の役者は一つの役を一生やり続ける」という方法だ。例えば、実は臆病者の自称大将軍「カピターノ」をやる役者は、舞台を終えてバーで飲む時も、トイレに行く時もカピターノとして過ごすのだ。すると舞台上で何かトラブルに巻き込まれた時も役者が困っているのではなく、カピターノというキャラクターが困っているようになり、余計おかしく見えてくる。

一生問題を抱え続けている召使いの「ザンニ」

そして、持ち前の機転ですぐに問題を解決するが、その解決方法が次の問題を連れてきてしまうので、一生問題を抱え続けている召使いの「ザンニ」。お金と若い女の人が何よりも好きというどケチの大富豪「パンタローネ」。恋に恋する16歳の世界一ピュアな男女「インナモラーティ」などの定番のストックキャラクターを生んで行った。

お金と若い女の人が何よりも好きというどケチの大富豪「パンタローネ」

二つ目は「Lazzoと呼ばれる言わば『鉄板ギャグ』をソロ、コンビ、トリオ等で沢山生み出した」のだ。これらは話の筋には関係なく、ここでひと笑い欲しいなという時にいつでもはさめるものであり、これがあればお客様の笑いは保証される。すなわちおひねりも保証されたのだ。補足として、人からおひねりをもらうには喜ばせなければならないが、喜怒哀楽のどれをした時におひねりが弾むのかを考えたら、なぜコメディア・デラルテが喜劇になっていったかは言わずもがなであろう。

恋に恋する16歳のナルシスト「インナモラーティ」

こうして、「幌馬車」という機動力、そして「ストックキャラクター」と「Lazzo」を武器に、大笑い確定の内容を手に入れたコメディア・デラルテは、苦しい生活を強いられていた当時の人々の心をわしづかみしていった。そして、彼らは言葉も文化も違う国に行っても困らぬよう「人間の笑いの本質」を突き詰めて、ヨーロッパ中に広がり大人気になっていった!!

なぜコメディア・デラルテの知名度は低いのか?

ではなぜ、そんなに大人気だった「コメディア・デラルテ」という名前を私たちは知らないのか?

それは、台本がなかったからに他ならない。台本のなかったコメディア・デラルテの個性豊かなストックキャラクターやストーリー展開は皆盗まれていってしまった。
シェイクスピア、モリエールや現代のアニメを見ても、コメディア・デラルテの要素は散見できる。むしろそのままというようなことも多々ある。そうして、色々なエッセンスや要素としては現代まで残ってはいるが、コメディア・デラルテ自体は衰退してしまったのだ。

しかし、コメディア・デラルテは人間の笑いの本質を極めた、「わかる人だけ分かればいい」のではなく「人種や文化、言語を飛び越え、お客様全員が楽しめる問答無用の喜劇」だから、現代の日本人が見てもなぜかいつの間には夢中になって大笑いしてしまうのだと私は思う。(僕がコメディア・デラルテと出会った時はまさにこの状況だった。詳しくは連載第一回を是非読んでみてください。)

コメディア・デラルテは「日常を芸術の域まで大袈裟にした超視覚的舞台芸術である」

この演劇には特別なことは何も出てこない。核爆弾や猟奇的殺人、ゾンビではなく、「喉が渇いて渇いてしょうがない」とか「落ちてるものをみんなにバレずに拾いたい」とか「好きな人がいるのに誰かが邪魔をする」とか「格好よく思われたい」とか、人間なら誰でも経験したことがあるような事をとにかく大袈裟に全身全霊でやるのだ。

私の公演に来てくれるお客様も初めは誰もコメディア・デラルテを知らなかったが、今では客席の半分が手を上げてくれるようになった。 一度見ればまた見たくなる、そんな力がこの演劇にはあると私は思っている。そして、見たいだけでなく、やってみたいと思う人が多いのもコメディア・デラルテの特徴で、興味をもってくれた方は是非私が毎月開催しているワークショップにも参加してほしい(詳細はこちらまで tcd1.com>) 。

2019年10月本公演の集合写真

連載第3回締めくくるにあたって、皆さまに年末のキーノートシアターでの公演が満員のお客様と素晴らしい形で幕を閉じることができたご報告と、感謝を申し上げます。 本当に素晴らしい時間をありがとうございました。

大塚ヒロタとイタリアと、コメディア・デラルテ連載記事はこちら

イタリアの情報が満載のメールマガジン登録はこちらをクリック