トップ画像:「ゴールドレイク」(写真:Anime Cels Cavazza Collection)
「日本のアニメ、ゴールドレイクは凄かったよね!」
5月末、仕事で一緒になったイタリア人が、目をキラキラ輝かせて話しはじめました。
日本からのお客様と私は「ゴールドレイク」と聞いてもピンとこなかったのですが、イタリア人の彼はYouTubeでテーマソングを検索し、車の中で大きな声で歌ってくれました。
そして、ゴールドレイクが頭の片隅にいはじめてから1週間後、知人から、ボローニャのとある銀行で、ご主人が日本のアニメの展覧会を開催するということで招待状をいただきました。添付されたチラシには、なんと、先日のイタリア人がノリノリで歌ってくれた「ゴールドレイク」が! これは「ゴールドレイクが私を呼んでいる!」ということで、早速、展覧会へ足を運んできましたので、前編と後編の2回に分けて、展覧会についてご報告します!
前編となる今回は、展覧会キュレーターのAlessandro Cavazza(アレッサンドロ・カヴァッツァ)さんへのインタビューを中心にお届けします。日本のアニメが好きになったきっかけや、日本アニメに対するイタリア社会の反応など、70年〜90年代のアニメ好きな方や、日本の文化が海外にどう受け入れられているのかを知りたい方、必読です!
日本アニメへの愛の芽生え
--日本のアニメが好きになったきっかけは何ですか?
アレッサンドロさん:ゴールドレイク*(伊題『UFO Robot Goldrake』、邦題『UFOロボ グレンダイザー』。以下「ゴールドレイク」)が僕の心を奪ったんです! ゴールドレイクがイタリアに入ってきたのは1978年。僕は11歳でした。祖父が映画館勤務で、小さい頃から僕を映画館に連れて行き、プロジェクターを見せたりするのが好きだったんです。僕のアニメへの愛は、その頃からすでに始まっていたのですが、1970年代当時のイタリアでは、アニメは小さい子どもが見るもの。つまり、ウォルトディズニーやPagot Filmが制作した『カリメロ(Calimero)』や『シニョール・ロッシ(Il Signor Rossi)』、『グリス・イル・ドラゲット(Grisù il Draghetto)』といったもの。ハッピーエンドの世界に慣れ親しんでいたんです。

そんなところに、突然、ゴールドレイクが登場したんです!

これまでとは全く違う、戦闘シーン満載のアニメで、とても衝撃を受けました。従来のアニメの枠をぶち壊した作品だったので、一気に日本のアニメの世界に引き込まれたんです。
*ゴールドレイク(邦題『UFOロボ グレンダイザー』):永井豪さん原作のロボットアニメ。『マジンガーZ(Mazinga Z)』や『グレートマジンガー(Il Grande Mazinga)』と世界設定を共有したマジンガーシリーズの第3弾。日本では1975年に放送。イタリアには『マジンガーZ』や『グレートマジンガー』よりも先に『ゴールドレイク』が入ってきたので、一番人気を博した。
スキャンダラスだった日本アニメ
--日本のアニメに対するイタリア社会の反応はどうでしたか?
アレッサンドロさん:『ゴールドレイク』や、80年代後半に放送された『北斗の拳(Ken il guerriero)』などは、これまでの子どもが見るアニメと違って暴力的だ、との声も多々上がりました。

また、多くのアニメが検閲にひっかかったりもしました。例えば、『ジョージィ!(Georgie)』(原作:井沢満さん、作画:いがらしゆみこさん)。当時、カトリックの影響が今より強く、タブー視されていた内容がカットされたりしました。
イタリアの青少年には刺激が強かった日本アニメ
--他には、どんなことが従来のアニメと違っていましたか?
アレッサンドロさん:『ガンダム』では、未成年の登場人物が、シャワーから裸で出てきたんです! 翌日、僕が通っていた高校では、「小さい子がシャワーから裸で出てきたよね! 7歳の妹がこのシーンを見ちゃったの! アニメでこんなシーンなんてあっていいの(恥)?」というようなコメントが、同級生からあがりました。当時のイタリア人にとっては、テレビに裸が映し出されるなんてことは御法度で、スキャンダラスだったんです。
また、『うる星やつら(Lamù)』の第一話では、ラムちゃんのブラが取れるシーンがあったのですが、それを見た時には「もーっ!!!」と興奮してしまいました。

同じ理由で、『セーラームーン(Sailor Moon)』も沢山のセクシーなシーンがイタリアではカットされて放映されました。

--様々な論争が起こったようですが、その後も多くの日本アニメがイタリアに入ってきたのですか?
アレッサンドロさん:90年代までは「侵略」といっていいほど、沢山の日本アニメがテレビで放映されました。当時は、アメリカのアニメより、日本のテレビアニメの放映権の方が安かったので、その影響もあったのだと思います。また、内容も刺激的で、人気も高かったので、日本アニメがどんどん放映されました。
--イタリアでは日本文化はどのように捉えられていますか?
アレッサンドロさん:今、日本文化はとても注目を集めています。そのことは、東洋に関する展覧会(例:Festival d’Oriente)などが開催されていることからも見てとれます。
現在、40〜50代となった日本のアニメを見て育った世代が、日本や、日本文化への情熱を持ち続けているのです。多くの人々が、アニメだけではなく、日本文化そのものに興味を持っていて、日本へ旅行する人も沢山います。イタリアで食べられる日本食は、イタリアに合うように味が変えられていたりするので、本場に行って、本当の日本の生活を体験しながら旅をしたいのです。
初の展覧会を開催するまでの経緯
今回、展覧会のキュレーターを務めるアレッサンドロさんは、セル画収集コンサルタントをしているCarlo Jervolino(カルロ・ジェルボリーノ)さんのアドバイスのもと、12年前から日本のセル画のコレクションを始め、現在、600点以上の作品を所有しています。

--どうやって作品を収集しているのですか?
アレッサンドロさん:コレクションを始めた12年前は、まだまだ、セル画が世の中に多く出回っていました。日本の「まんだらけ」やeBay経由で日本から購入することもできます。また、ある建築家が、日本に行くたびに購入して戻ってきて販売しています。
しかし、デジタル制作により終焉を迎えたセル画の収集は、今では容易ではありません。当時、セルは高価で、セル画が将来的に貴重なものになるとは想像しなかったため、フィルムに撮影した後は、描いたセルを洗って再利用していたのです。つまり、元々、セル画は長期間保存することを念頭に置いて作られるものではなかった、そして、太陽の光によっても劣化もしていきます。そのため、よい状態のセル画は、今では1枚で2000〜3000ユーロという高値がつくようになっています。
--今回、初の展覧会を開催しようと思ったきっかけは何ですか?
アレッサンドロさん:家に遊びに来た友達が、部屋の中に飾っている作品を見て「すごく素敵! どうして展覧会をしないの?」と、何人も、何人も言うので、「そこまで多くの人が興味を持ってくれているなら、一度展覧会をやってみよう」と思ったんです。
妻の協力を得ながら、パネル作りなどを行い、今回の開催にこぎつけることができました。
後編では展覧会の様子をご紹介!
それでは、次回の後編では、展覧会の様子をご紹介します。
どんな懐かしのアニメのセル画が展示されていたのか、また、宮崎駿監督の『紅の豚』の登場人物にまつわる面白いお話などもありますので、お楽しみに!
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