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ミラノにパリが殴り込み!? 宿命のライバルが手を組んだアートフェア「Paris Internationale」初上陸の裏側とは? 

Wakapedia

2026.05.01

 2月はファッション、4月はデザイン。街全体が巨大なショールームと化すミラノに、今年はパリのアート業界が「殴り込み」をかけた。宿命のライバル同士が、なぜ今ミラノで手を組むのか?イタリアにルーツを持ちつつ、人生の多感な20代をパリで過ごしたワカペディアチームが、イタリア政府のしたたかな国家戦略と、ミラノの街で今まさに決行されている「アート市場の大逆転マネーゲーム」を解き明かす。 



ミラネーゼの「イースター疲れ」と、アートへの熱狂

キリスト教文化が深く根付いたイタリアでは、イースター(復活祭)の大家族ランチは避けて通れない一大行事。溢れんばかりの料理で胃腸がもたれきったミラネーゼたちが、必死に体調を整えて照準を合わせるのが、世界最大級のデザインの祭典「Salone del Mobile Milano (ミラノサローネ)」と、アートウィークの核「miart(ミアート)」である。


しかし、今年のミラノ・アートウィークは例年とは空気が違っていた。パリで絶大な支持を誇るアバンギャルドなアートフェア「Paris Internationale」が、初の国外進出先としてミラノを選び、上陸を果たしたからだ。4月18日から21日までのわずか4日間。この強烈なパリの刺激は、サローネの熱気に沸くミラノにさらなる火をつけ、街全体をかつてないほどの高揚感で包み込んでいた。

2025年度Miartの展示
無機質な白い壁を背景に作品が展示されていたのは2025年度のMiart。草のベンチ『Pratone』やサボテン型の『Cactus 』といった伝説的アイコンは、誰もが一度は目にしたことがある「唇のソファ」で知られるGuframの作品だ。機能主義への強烈な皮肉とポップアートの精神を掲げるブランドとして知られている。写真はMiartのホームページより。

片想いのミラノと、眼中にないパリ

ファッション、食、アート、そしてサッカー。何かにつけて比較される両国だが、ヨーロッパでは「イタリア人とフランス人は犬猿の仲」というのが定説だ。だが、実はこのライバル意識、イタリア側の一方通行である感は否めない。


ファッション、食、アート、そしてサッカー。何かにつけて比較される両国だが、ヨーロッパでは「イタリア人とフランス人は犬猿の仲」というのが定説だ。だが、実はこのライバル意識、イタリア側の一方通行である感は否めない。

トレンドの発信力も業界のパワーも、現時点では圧倒的にパリが優っているというのが他国の印象だ。サッカーに至っては、三大会連続でW杯出場を逃し、かつてのサッカー大国としての名声を失ったイタリアを、フランス側はもはやライバルとも思っていないだろう。イタリア側はそれを認めず、いまだに、サッカー界のレジェンド・マラドーナがいたナポリの栄光を昨日のことのように語るのだが……。


それはさておき、ミラノはイタリアのどの街よりもパリに似ている。洗練された装い、効率とエレガンスを求める気質。ここだけの話、「イタリアの真の首都はミラノだ」と自負するミラネーゼにとって、パリは密かな憧れであり、いつか超えるべき高い壁なのかもしれない?!


Paris Internationaleのディレクターたち
共同創設者やディレクター陣ら、このフェアを牽引する顔ぶれ。従来の商業的なアートフェアとは一線を画し、歴史的な会場そのものを作品と一体化させる「Exposition」のような没入的展示を成功させた立役者たちだ。(左から:Alessia Volpe, Anissa Touati, Gregor Staiger, Nerina Ciaccia, Silvia Ammon, Alix Dionot-Morani, Marie Lusa, Axel Dibie, Cornelia Grassi, Antoine Levi)
© Margot Montigny

イタリアのアートを「富」に変える国家戦略

なぜ「アートのメッカ」パリが、今さらミラノへやってきたのか。その裏には、イタリア政府が仕掛けた「国を挙げた大逆転ホームラン」を狙う、極めてしたたかな戦略がある。かつては過去の遺産に頼っていたイタリアだが、今や減税という武器で、パリやロンドンから市場の主導権を奪い取ろうとしているのだ。


どん底から這い上がる生き残りをかけたマネーゲーム?!


そんな、国家のプライドを賭けた捨て身の勝負に、イタリアは減税という最強のカードを持って挑んでいる。


Paris Internationale2026展示作品
Paris Internationale2026展示作品。パリのAntoine LeviとミラノのNerina Ciacciaのコラボレーションにより、2020年に設立されたギャラリー、Ciaccia Leviより。1996年生まれ、武蔵野美術大学出身の日本人アーティスト・井上勇吹の最新作『Honeymoon, 2026』。写真はParis Internationaleのホームページより。

世界を寝返らせた、EU最低水準の「税率5%

最も具体的な対策は、美術品の販売・輸入にかかる付加価値税(VAT)の大幅な引き下げだ。


この劇的な転換の追い風となったのは、2022年4月に採択された「EU指令 2022/542」である。それまでEU加盟国は美術品への軽減税率適用に厳しい制約を受けていたが、米国や香港への流出に危機感を抱いたEU理事会がルールの柔軟化を決定。各国が独自に「最低5%」までの軽減税率を設定することを容認したのだ。


イタリア政府はこの好機を逃さなかった。2025年7月より、かつての22%からわずか5%へと一気にダウン。これはフランス(5.5%)をも下回るEU最低水準だ。イタリア経済誌『Il Sole 24 Ore』によれば、この「5%」という数字こそが、大物ギャラリストやコレクターをパリからミラノへ寝返らせる最強の武器となった。


Paris Internationale2026展示作品
Paris Internationale2026展示作品。チューリッヒのギャラリー Oskar Weiss が提示した、Alex Bagの『Untitled, 2020』。ビデオアートの先駆者であり、アート界の虚飾を皮肉る作風で知られている。写真はParis Internationaleのホームページより。

「富裕層の楽園」を創り出す、魔法の税制

さらに強力なのが、2017年に導入された「代替定額税(フラットタックス)」だ。国外所得がいくら あっても、イタリアに住めば年間一律の税金を払うだけで済む。2018年、クリスティアーノ・ロナウドがレアル・マドリードからユヴェントスへ移籍したことを機に注目されたこの制度は、今やミラノに4,000人以上のミリオネアを集結させているのだとか。


税額は年々引き上げられているものの(日本の国税庁にあたるイタリア歳入庁(Agenzia delle Entrate)の規定によれば、代替課税額は導入時の10万ユーロから、2024年8月に20万ユーロ、 2026年1月からは30万ユーロへと引き上げられた。)、依然として超富裕層には圧倒的なインセンティブだ。彼らがミラノで不動産を買い、高級車に乗り、巨額のアートを買う。現代アート界の重鎮、Thaddaeus Ropac(タデウス・ロパック)のようなギャラリストが続々とミラノに拠点を構えるのも、この「富が富を呼ぶ」再構築されたパトロン文化の熱気を感じ取っているからに他ならない。


Benni BosettoとNick Maussの展示
ギャラリーCampoli Presti (Paris/Milan)による、ミラノを拠点とするBenni Bosettoと、ニューヨークとベルリンを拠点とするNick Maussの展示。剥き出しのコンクリートが天井から溢れ出すパリのアバンギャルドな感性がミラノの伝統を揺さぶる。
© Sebastiano Pellion Di Persano

伝統を「再定義」するパリの型破りな美学

そんなイタリアの「捨て身の戦略」に乗って上陸したのが、Paris Internationaleだ。2015年にパリの若手ギャラリーが立ち上げたこのフェアは、「単に売るだけの商業主義」に真っ向からNOを突きつける、まさにアート界の異端児である。


濃密な対話が溢れていた。歴史に名を刻む巨匠から、まだ何者でもない新進気鋭の若手まで が、同じ目線で横並びに展示されている。そのフラットで力強い光景は、見る者の価値観を激しく揺さぶる。


さらに、創設以来の「入場無料・非営利」という極めてオープンな仕組みが、世界的キュレーターから若手コレクターまでを対等に結びつけ、目の肥えたミラネーゼたちを熱狂させた。


見た目や振る舞いを美しく保ち、状況にふさわしい最良のあり方を選ぶという、イタリア特有の美意識「Bella figura(ベッラ・フィグーラ)」。その価値観と歴史への深い敬意を併せ持つイタリア人にとって、歴史あるパラッツォにスチールやコンクリートのような現代素材を持ち込む光景は、一見すると伝統を壊す行為に映るかもしれない。だが、イタリアの美学はその衝突にこそ価値を見いだす。完成された過去の遺産に、あえて未完成のエネルギーを重ねることで、新しい美を引き出す。歴史を保存するのではなく、現代の素材を通して再び「今」へと呼び戻す。この大胆な姿勢こそ Bella figura の精神であり、イタリア人の創造性のDNAに深く響いたのである。


Lou Masduraudの展示
南仏の都市、モンペリエ出身の注目の若手、Lou Masduraud(1990年生まれ)による『Self-portrait as a fountain of you (identity crisis), 2024』。彼女は2024年にスイス・アート・アワードを受賞している。作品はジュネーブのGalerie Mezzaninより出展。

境界線の向こう側

ワカペディアチームの多くは、20代をパリで過ごした。あの頃、時に鼻につくほどのエレガンスと、型にはまることを拒む反骨精神に私たちは揉まれてきた。そんなパリの空気を知る私たちが立ち会った今回のフェアは、単なる「フランス文化の輸出」などではなかった。


ミラノという街が持つ「実行力と資金力」、そしてパリが持つ「斬新な遊び心とコンセプト」。この二つが歴史的なパラッツォの中で混ざり合ったとき、私たちはイタリアにいながらにして、最高に贅沢で独創性と少し毒のある「パリの視点」を手に入れることができた。これは新しい投資と感性が交差する、今のミラノのリアルな姿でもある。


歴史的なパラッツォという、いわば「完成され、止まった過去」。そこに新しい投資の熱気と、あえて未完成なエネルギーをぶつけるパリ特有の感性が流れ込む。私たちはイタリアにいながらにして、最高に贅沢で独創的、そして少しの毒を含んだ「パリの視点」を手にすることができた。この

「古き良き伝統」と「容赦ない新しさ」が正面衝突する光景こそが、今のミラノのリアルな姿でもある。


「今回のミラノ開催は、独立性、協力、発見という価値観を共有する都市と芸術コミュニティ間のヨーロッパ対話を継続することを意味します」と語ったミラノ市文化担当評議員トマソ・サッキ氏の言葉通り、ミラノは今、強固なネットワークを持つ現代アートの国際的な基準点へと成長している。


正直に言えば、この舞台を創り出したのは、イタリア政府による泥臭いまでの生存戦略であり、計算ずくのマネーゲームだ。けれど、そんな真っ直ぐな欲望が、図らずも今の世界が必要としている「境界線を越えた対話」の場をミラノに生み出した。この皮肉で人間味のある矛盾こそが、今のこの街を何よりも輝かせている。