綿菓子、りんご飴、カルメ焼き…日本における祭りの記憶は、風に乗ってやってくるお菓子の香りと結びついています。実はトスカーナ地方の村祭りにも、人々を惹きつけてやまない香りがあります。長きにわたって愛されてきた、ある伝統菓子のルーツをひもときます。
うっかりから誕生?
その名は「ブリジディーニ(Brigidini)」。触れるだけでぽろりと割れてしまいそうな薄さの、直径約7〜10センチのお菓子です。鼻に近づければアニスの香りが漂い、口に含むと優しい甘味が広がります。
イタリア人の間では世代を超えて懐かしさを呼び起こすこのブリジディーニ、名前の由来にはふたつの説があります。
第一は16世紀、ピサ県の小さな村ランポレッキオにあったとされる修道院に由来するものです。修道女がミサに用いるオスティア(小麦粉と水だけで作る薄い聖餅)を焼く準備をしていたときのこと。脇にあった砂糖を誤って生地の中へこぼしてしまったので、無駄にしないようにと卵とアニスを加えて焼いてみたところ、お菓子が完成。その修道院が聖女ブリジダに奉献された施設だったことから、「Brigidini(=ブリジダのもの)」と呼ばれるようになった、という説です。

聖女ブリジダとは14世紀のスウェーデンに生きた聖職者で、彼女の名を冠した修道会はヨーロッパ各地へ広まりました。しかし近年の研究ではランポレッキオに修道院が存在した確証が得られないことから、物語はあくまで民間伝承ではないかという見解が有力になってきました。
第二は言語学的見地によるもので、イタリア北部から中部にみられる庶民菓子「ブラザデル(Brazadel)」がトスカーナで形を変えて、「ブリジディーニ」 と呼ばれるようになったという説です。
とはいえ、名前が伝説の聖女と重なることが人々の想像力を刺激し、ひいては愛着を育んできたことは間違いないでしょう。

つい「おじさんもう一袋」!
ブリジディーニの普及に関していえば、はじめはランポレッキオの祭りで親しまれていましたが、やがて行商人によってトスカーナ全域へ広まったと考えられています。

製法はといえば、もともとは厚い鉄製の専用型に生地を流し込み、ワッフルの要領で挟んで焼くものでした。やがて電動の時代になると、屋台向けの小型から量産用の大型まで、さまざまな製造機がつくられるようになりました。屋台の店先で機械からポンポンと跳ねるようにブリジディーニが飛び出してくる様子は見ていて飽きません。

私が暮らすシエナの祭りで、毎年見かける屋台の主に声をかけてみると、やはりランポレッキオからやって来た行商人でした。工房でブリジディーニをはじめとする菓子を毎日手作りし、それらをトラックに積んで各地の祭りを巡っているといいます。
工房の創業はなんと1872年。現在は5代目のルイージさんと、その甥であるサンドロさんが店を切り盛りしています。「時代と共に変わったことといえば、初代の頃は馬車だったのがトラックになったことくらいです。原材料にこだわった菓子作り、そして家族だけで力を合わせて店を続けること。そこは昔からずっと同じです」とルイージさん。

ルイージさんは店先を通る人々に「どうぞ、味見してって」と焼きたてのブリジディーニを差し出します。その手から受け取ったおじいさんとおばあさん、そして孫が顔を見合わせながら頬張る姿には、小さな幸福があふれています。彼はそうした光景を見守りながら、「祭りという非日常を楽しむ人々の笑顔は、いつ見てもいいものです」と目を細めます。
試食を楽しませてもらった後は、屋台の脇にずらりと積まれた大袋につい手が伸びてしまうというもの。「これだけあれば、しばらくは楽しめるぞ」と思っていても、歩きながらつまみ始めたが最後。「あと一枚だけ」と食べ重ねているうちに、気がつけば袋はすっかり軽くなり、「おじさん、お土産用にもう一袋!」と、再び屋台へ戻ってしまうのがオチです。
