世界最大級のメンズファッション見本市「第108回ピッティ・イマージネ・ウオモ」が、2025年6月17日から20日までフィレンツェで開催され、主に2026年春夏商品がバイヤーたちに公開されました。
銀輪に託したもの
会場の一角に設けられた特集パビリオンでは『PITTI BIKES(ピッティ・バイクス)』が展開されました。すなわち自転車です。伝統的モードのイベントでなぜ? それを説明するために、まずは主催者による“定義”を紹介しましょう。
「自転車が象徴するのは、単なるスピードや機能性だけではない。“自分のペースで生きる”という新時代のライフスタイルである」。そのうえで都市と自然、スポーツとファッション、ひとり時間と他者との交流など、相反すると思われていた価値観を自転車というキーワードで繋ぐ試み、と解説されています。特設パビリオンには自転車やサイクリングウェアなど計10ブランドが出展しました。

新型コロナ以降ファッション業界全体では、高価格化やインフレ、新しい世代の購買行動変化などが重なり、業績に陰りが出ています。そうした流れのなか、長年ピッティの核であったクラシコ・イタリア(クラシックな紳士服)も、“伝統の重さ”ゆえに若年層の間やグローバル市場で存在感が頭打ちです。
対して、「サイクリングウェア」や「自転車のあるライフスタイル」は、健康志向・環境意識・都市生活への適応といった「自然回帰」のトレンドを兼ね備えた、新しいファッションカテゴリーとして注目を集めています。
PITTI BIKESは、ピッティの主催者がこうした変化を敏感に読み取りながら、イベントを進化させようとしていることを示したといえましょう。

それぞれのブランド、それぞれの思い
今回はパビリオンに出展したブランドから4つをセレクト。そこで働く人たちのコメントも紹介します。
イタリアの『パッソーニ (Passoni)』は、フレームをハンドクラフトする高級バイクメーカーとして知られてきましたが、近年ロンドン発のウェアブランド『アシュメイ (Ashmei)』も傘下に収めました。
アシュメイの夏用サイクリングジャージ『ブルトン』は、リサイクル素材を使用するだけでなく、同社製品史上最も軽量かつ高い通気性とUV効果を備えているとのこと。パッソーニ製自転車の高性能にふさわしいスペックをアピールします。
営業担当のステファノさんは「自転車を愛する人々と働くことで、スポーツマンのように“限界を超える姿勢”、つまり困難にも前向きに取り組む強さを培いました」と語ります。この世界に携わる人は、違った意味でモティベーションが高そうです。


同じくイタリアの『Push Hard (プッシュハード)』は2015年創業。着ているだけでハッピーになれそうな、ポップなデザインで注目されているブランドです。Push Hardとは「粘り強く頑張る」の意味。日々の課題に立ち向かい、困難に耐え、決して諦めないといった姿勢の象徴といいます。
ブランドマネジャーのマルコ・コラーさんは解説します。「創業者はニットウェア会社を経営するかたわらで自転車好きでした。彼はスポンサーのロゴ入りだったり、奇抜な色使いの既製サイクリングウェアに辟易していました。そこで自ら理想とするウェアをつくるべく、ブランドを立ち上げてしまったのです」
製品はすべてメイドイン・イタリー。その大部分は彼らの本拠地であるパドヴァで生産しています。デザイン性に加え、生地の高い品質や縫製の細やかさは、さすがアパレル企業を母体としたレーベルです。


サイクリストのファッションを語るとき、ウェアと並んで欠かせないのがソックスです。何より足で漕ぐスポーツだからこそ、高い機能性が求められると同時に、おしゃれの演出にもってこい、と語るサイクリストも少なくないのです。
『ソックス・フットウェア (Sox Footwear)』は、南アフリカ共和国の若者2人の情熱から誕生したブランドです。
イタリア代理店のマルクス・アウアーさんが語るところによると、創業者の一人はプロのマウンテンバイク選手。「スポーツとデザインへの熱い想いを抱いていた彼は、ビジネスパートナーとともに、自分たちが本当に履きたいと思えるソックスを作ろうと決意。2016年に小さな工場を立ち上げたのです」
「サイクル用ソックスには通気性、履き心地、何度洗っても伸縮性を失わないことが求められます。縫い目のないシームレス加工によって、履いている時の違和感は最小限に抑えています。さらにシューズの中で滑らず、ペダルを踏み込んだときにしっかりフィットすることも重要なのです」とマルクスさん。それらとともに創業時から大切にしてきたのはユニークなデザインといいます。
ユニークさにこだわり抜いた彼らのソックスは、次第に地元アスリートやサイクリストの間で話題となりました。南アフリカの平和・正義そして団結の象徴であるネルソン・マンデラ柄ソックスの売上の一部は彼を記念する財団に寄付され、教育・社会正義・対話の推進といった活動の支援に使われています。


最後に紹介するのは、2014年に創業したデンマークのウェアブランド『Pas Normal Studios (パ・ノルマール・ストゥーディオ)』です。
マーケティングマネジャーのイーダ・ホルメンさんに話を聞くと、やはり自転車への思いと、既存製品への不満がありました。「創業者は二人ともサイクリストで、ひとりはファッションデザイナーです。従来製品に魅力を感じていなかった彼らが、高機能素材やデザイン性に北欧的な美しさを融合させたウェアを自ら作ろうとしたのが始まりです」
北欧デザインとは?との問いに、イーダさんはこう答えます。「ずばり、Less is more(少ないことは豊かである)でしょう。シンプルかつクリーンでありながら細部にも注意を払うことだと考えます」
ブランド名に選んだフランス語の「Pas Normal Studio」の由来についても教えてくれました。「その昔、とても強いサイクリストがいて『彼を抜いた人は普通ではない(パ・ノルマール)』と言われていました。“ひとりひとりが普通ではなく、自分らしく、自分の道を探そう”という願いを込めたのです」
話を聞いていると、ブランドがオーガナイズしたサイクリストたちが、フィレンツェのミケランジェロ広場からのライドを終えて続々と到着しました。アースカラーを基本とした落ち着いたウェアは、北欧デザインでありながら、ピッティの会場である16世紀フィレンツェの要塞にも違和感なく溶け込んでいました。


既存品を超えた世界感
こうして出展ブランドで話を聞いてみると、彼らのコレクションは創業者やブランドの価値観が予想以上に反映されていました。彼らのプロダクトを手に入れることは、既存の機能性のみを優先したサイクリングウェアとは異なる世界感を楽しめそうです。
ファッションが生き方の表現であるなら、サイクリングウェアはそれを実現するもうひとつのメソッドになります。一見、異彩を放っていた「ピッティ」と「自転車」は、ファッションの価値を新たな分野で認識する機会を私たちに提案してくれたのです。
