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【Series】安西洋之の「新ラグジュアリー」論② 日本の伝統がイタリアの感性と響き合う

Hiroyuki Anzai 安西 洋之

2025.03.18

長年にわたりミラノを拠点にしているビジネスと文化のプランナー、安西洋之氏。ファッションウィーク中に開催された特別展示「Voyage to Japan」を通じて、日本のクラフトが織りなす新たなラグジュアリーを考察します。


暮らしの中にあるラグジュアリー

前回の記事ではフランスとイタリアではラグジュアリーの成り立ちや性格が異なると説明しました。フランスは貴族性や歴史が強く反映されるラグジュアリーを十八番にしてきました。他方、イタリアは日常生活にあるものが「浮上してくる」感があります。


レストランのフランス料理は王族の厨房から発展し、イタリアは巡礼の客の必要に応じて家庭料理であることが求められて進化したのと似ています。社会的階層構造の上で完成されたものが最初のモデルになるのがフランスなのですね。それに対してイタリアはボトムアップなのです。


具体的な事例を挙げましょう。


別の連載「デザイン考」で先月、フィオルッチの展覧会を紹介しました。1960年代、ビートルズやポップカルチャーに盛り上がったのがロンドンです。その文化に影響を受けてフィオルッチがまったく新しいファッションのあり方を提案したのが1970代以降でした。


デザイナー倉俣史朗の名を歴史に刻んだ「ミス・ブランチ」も展示されている(Photo©Ken Anzai/Biffi)

新たな才能を見出してきたBiffi

ちょうど同じ経緯を背景にミラノでスタートしたセレクトショップがあります。フィオルッチのようなテイストではないですが、常に新しい方向を探ることに軸をおいたのがBiffi(ビッフィ)です。ジェノバ通りやサンタンドレア通りなど複数店舗展開しているファッション関係者からトップレベルと評価されています。


センスの良いラグジュリーな店、とも称されます。ただ、ここにはフランスの定番的なラグジュアリー商品は並んでいません。今であればステラ・マッカートニーが挙げられます。こういったブランドを世間の評価が確立する前から扱ってきた自負がある店です。フィオルッチと同じ経緯と前述しましたが、60年代にハイカルチャーに穴があいてサブカルチャーが誕生したーその穴をどう活用するか?を当時の人々は試行錯誤したのです。


その試みの一つとして新しい息吹を表現するに精力を注いだのがBiffiです。


自らのブランドやディオールのアートディレクターとして活躍したジャンフランコ・フェレ(1944-2007)がミラノ工科大学の建築の学生だった頃、彼のジュエリー作品を展示したのがBiffiです。無名の才能を見いだす目利き力を物語ります。同様に、ケンゾー、ヨウジヤマモト、コムデギャルソン、イッセイミヤケなど、1970年代にパリを拠点に活動をはじめた日本人デザイナーたちを1980年代になってイタリアで紹介したのもBiffiです。ケンゾーにいたっては28年間、ミラノでケンゾーのショップを運営しました。彼らのファッションにはそれまでのヨーロッパにはないものが込められていたのです。


極めてボトムアップ的展開です。


日本の伝統紋様がミラノのセレクトショップを彩る(Photo©Ken Anzai/Biffi)

見る人の旅情を誘うVoyage to Japan

先月のファッションウイーク中、この店でVoyage to Japanという特別展示が行われました。日本のクラフト商品を展示し、カクテルパーティには大勢の人たちが参加しました。今、「日本」と「クラフト」が気の利いた人を惹きつけるキーワードになっているのがよく分かります。


Biffiの創業者の姪でアートディレクター兼チーフバイヤーのカーラ・チェレーダさん©Ken Anzai/Biffi

実は、これを企画したのはBiffiの創業者の姪でアートディレクター兼チーフバイヤーのカーラ・チェレーダさんです。彼女は日本の有松絞のブランド、スズサンの商品を気に入り、およそ10年前から取り扱っています。


スズサン CEO兼クリエイティブディレクターの村瀬弘行さん©Ken Anzai/Biffi

スズサンは名古屋にある明治時代から続く会社です。ドイツのデュッセルドルフの美大を卒業した5代目の村瀬弘行さんが、かの地でドイツ人の友人と家業を継承する現地法人を設立。ヨーロッパでまったく新しい市場を開拓していきます。伝統技術の世界にアーティストとして教育を受けた村瀬さんの挑戦です。これに真正面から答えたのが、チェレーダさんというわけです。


昨年、チェレーダさんは村瀬さんと日本各地のクラフトを共に訪ねる機会があり、そこで得た思いをミラノで多くの人を分け合おうとVoyage to Japanを企画したのでした。


なぜVoyage from JapanではなくVoyage to Japanなのだろうか、とぼくはふと考えました。見る人たちの旅情を誘うのはVoyage to Japanでしょう。でも、それだけではない意味を感じました。


どういうことでしょう?


前世紀、ラグジュリーはヨーロッパの限られた人たちのためのとの文化が強かった。よって、前述の日本人のデザイナーたちはラグジュアリーとの次元で勝負しようとは思っていなかったし、Biffiもそうです。しかし、今世紀になって状況が変わります。


スズサン CEO兼クリエイティブディレクター村瀬弘行さん©Ken Anzai/Biffi

マスマーケティングと同じ土俵に進出したラグジュリー企業が目立ち、日本人デザイナーたちのブランドが新しいタイプのラグジュリーに見えるようになるのです。そして、それらを扱ってきたBiffiに対しても、お客さんたちが新しい意味でのラグジュリーと眺め、Biffi自身もそう任じています。当然、村瀬さんのスズサンも同じジャンルと見なされています。


日本の伝統がイタリアで新たな風を吹かせる

江戸時代、有松絞の品は徳川家に高級品としておさめられていたとはいえ、その文化ヘリテージによってヨーロッパ市場でビジネスが成立しているわけでなく、あくまでも商品の良さが先行しているのでしょう。つまり、新しい方向性を示すことを追求していけば、結果的にラグジュリーとの認知をうける可能性があります。フランスのラグジュリーにある貴族的な背景とは無縁のボトムアップのラグジュリーが成立していくプロセスを知るに、ミラノのBiffiは好例ではないかと考えるのです。

Voyage to Japanは新しい領域を切り開いた日本人デザイナーたちへのオマージュも込められているのでしょう。もちろん、2025年の日本人デザイナーたちに対しても、です。