長年にわたりミラノを拠点にしているビジネスと文化のプランナー、安西洋之氏。ビジネスや商品のローカリゼーション、デザインマネジメント領域を得意としている氏が考える、デザインの「イタリアらしさ」とは。第2弾は、現在ミラノで開催中のフィオルッチ展からの考察です。
デザインと共生する都市ミラノ
とても大雑把なことから書き始める。
ヨーロッパの家のインテリアデザインはアジアのそれと比較するとおおむねお洒落だ。さらに一歩踏み込むと、北ヨーロッパは人々の装いがイマイチでもインテリアのセンスは良い。他方、イタリアはインテリアとファッションの両方ともレベルが高い。例外はあろうが、ここの読者はおおむね―つまり大いなる偏見も含め、そのように思っているに違いない。そう想定して書き進めても文句がでないだろう(と期待している)。
ミラノはデザインの街として誉れ高い。デザインとはクルマを除いたファッション、家具、雑貨、このあたりをすべてひっくるめている。だが、ファッションとインテリアプロダクトは業界としてはお互いに離れている。重要イベントを例にとれば、ファッションはミラノファッションウィーク、インテリアプロダクトはミラノデザインウィークと名称も時期も異なる。かぶらない。

ミラノの建築家がファッションの店舗の内装やウィンドウディスプレイを請け負う。しかし、ミラノにおいてインテリアとファッションがより近い証にはならない。どこの国のどこの地域においても建築家の業務として存在し、ミラノにおいて特別なことではない。

ミラノでエリオ・フィオルッチの回顧展が開催中
さて、ファッションとインテリアプロダクトの両デザインがお互いに強く影響を与え合うタイミングが時にある。1970年代とその前後は一例だ。
ミラノのトリエンナーレ美術館でエリオ・フィオルッチの回顧展が開催中である(3月16日まで)。フィオルッチは1960年代後半から80年代にかけてファッションビジネスの先端を走ったブランドである。1960年代のロンドンの音楽やポップアートに感化をうけ、家業を継いだエリオはファッション性の高いビニールの長靴を出した。後になりどのブランドも手をだすファッションジーンズも彼が先駆けた。1970年代、日刊紙に「ファッションを破壊した男」という刺激的な見出しで紹介されている。

エリオ・フィオルッチはプロダクトデザインとファッションデザインを繋いだ企業家の1人だ。どうして、そう言えるのか?
イタリアのプロダクトデザイン史を見ていて気づくことがある。1950-60年代、樹脂などの新しい素材の導入、合理的な形状と機能を優先する試みがイタリアデザインを国際的な舞台に押し上げた。その一方、1960年代後半から社会性の高いラディカルデザインが登場してくる。綺羅星のごとくの名作が生れたおよそ20年間である。それらをデザインした人間は後にマエストロと呼ばれる。
1970年代にも、もちろん新作はある。しかしながら、その多くは既に名のあるマエストロのデザインであり、新しい人が新しいアイデアをひっさげて新しい潮流をつくったものではない。
プロダクトデザインの現物だけでみると、ぽっかりと歴史に穴があいたような感じだ。
だが、この時期が「死んでいた」のではない。ニューヨーク近代美術館においてイタリアデザインが紹介される展覧展『The New Domestic Landscape』が開催され、イタリアデザインがインターナショナルに認知される契機となる。また、デザイナー、クリノ・カステッリが形状よりもCMF(カラー、マテリアル、フィニッシュ)が優先される時代の到来と説いたのも、このタイミングである。

他方、ファッションではアルタモーダ(高級注文服、フランスでいうオートクチュール)は1960年代後半には衰退していき、主流は既製服に移行していく。アルタモーダはフィレンツェやローマが主要都市であったが、プレタポルテとなってミラノがファッションの中心地に躍り出てくる。それもグローバルレベルにおいて、である。この文脈において、1970年代はミラノファッションの開花期だ。ジョルジョ・アルマーニの創立も1975年。

エリオ・フィオルッチは70年代のキーパーソンであったのだ。彼と付き合いが深かった1人の建築家・デザイナーがエットレ・ソットサスだった。アルファロメオよりジュリエッタ特別バージョンの提案を受けたフィオルッチは、ソットサスやアンドレア・ブランジにデザインを依頼している。ボディとタイヤが青を基調としているので、タイヤメーカーのピレッリは大いに難色を示した。また、ソットサスが自身の半生を描いた『夜ノ書』でもフィオルッチとのつきあいに触れている。

気の利いたデザイナーはフィオルッチと交流があったのだ。
フィオルッチが影響を与えたミラノのデザイン界
1980年代、エットレ・ソットサスが主宰したグループであるメンフィスは、これまでとは異なるデザイン言語を適用した作品の数々を発表した。そうして世界のデザイン風景をがらりと変え、その発信拠点としてのミラノに注目が集まる。ソットサスなどデザインの実務者を中核にして教員を揃えたドムスアカデミーには世界中から若い人たちが押し寄せた。
この時代の激烈な変遷がフィオルッチの回顧展でわかる。1960年代のプロダクトデザインとしてジャンカルロ・ピレッティのプリアチェアが展示され、その脇に1970年代をとばして1980年代のメンフィスの作品が並んでいるのだ。同展のキュレーターの言わんとするところは、プロダクトデザイン史の70年代の舵をとったのはファッション畑のエリオ・フィオルッチであったということなのだろう。
この回顧展と並行してトリエンナーレ美術館で開催中のイタリアデザイン史のコーナーは、これまでの展示とは大いに異なる。時間を軸としていない。ミラノデザインのエコシステムがメインテーマだ。プロダクトデザインとファッションデザインが密接な関係であり続けたことを語っている。
これまでのマエストロをコアに据えたイタリアデザイン史を見るだけでは不十分なのだ。視界を眺める眼鏡をかえないといけない。

\ミラノを旅して訪れたい/
エリオ・フィオルッチ
会期:3月16日(日)まで 10:30-20:00
休館日:毎週月曜日
会場:トリエンナーレ・ミラノ
Viale Emilio Alemagna, 6, 20121 Milano MI