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時代や環境が変わっても変わらない“徳吉流”イタリアン 「リストランテ TOKUYOSHI(トクヨシ)」オーナーシェフ・徳吉洋二<前編>

イタリア語も話せなかった青年が、片道きっぷでイタリアに渡り、飛び込みで仕事を得た「オステリア フランチェスカーナ」を世界一のレストランに押し上げ、独立して開店した自身の「リストランテ トクヨシ」は、日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得。料理人としてサクセスストーリーを歩んできた徳吉洋二さん。
ロックダウンと段階的制限措置を繰り返すロンバルディア州で、先行きがまったく見えない状況のなか、それでも歩みを止めない徳吉さんの思いをミラノからリモートで伺いました。

―――徳吉さんは三つ子なんですよね。双子はたまに会いますが、三つ子はめずらしいですね!ご兄弟とは似ていらっしゃいますか。ご家族に料理人はいらっしゃらなかったそうですが、なぜ徳吉さんだけが料理の道に進むことになったのでしょうか。
男の子ばかり一卵性の三つ子ですから、3人ともそっくりですよ(笑)。上に姉がひとりいて、僕は三つ子の真ん中。実家が薬局を経営しているので、自然と将来は薬剤師になるものという空気があり、姉も兄弟も薬学部に進学しました。みんなと同じことをやるのも嫌だなと、僕だけが違う道を選んだんです(笑)。
スポーツ(バスケットボール)が大好きな男の子でしたから、人並みに食べることは好きでしたが、ごく普通の家庭で育ちました。

ただ、ものづくりが好きだったので、建築やデザインなど、何かをつくる仕事に就きたいとは漠然と考えていました。その中のひとつに料理があった感じです。とはいえ当時は10代の若者ですから、将来のことを真剣に考えるより、まずは東京に行きたくて、その資金を貯めるために居酒屋でアルバイトを始めました。それが料理との出合いです。

―――居酒屋のアルバイトから、どうしてイタリア料理の道に進んだのですか。
ホールで入った居酒屋の仕事は、続けていくうちにドリンクをつくったり、冷凍食品を揚げたり、キャベツを刻んだり、調理場で任されることが増えるにつれて楽しくなりました。料理を仕事にするなら調理師免許を取らなければ。そう考えて調理師学校に進学しました。専攻はフランス料理です(笑)。
あの頃は、和食はなんだか古めかしく、フレンチなど西洋料理がカッコよくおしゃれに見えたのです。そんな時代に人気だったテレビ番組が『料理の鉄人』(フジテレビ系)。フレンチの鉄人・坂井宏行さん(ラ・ロシェル)もカッコよかったですが、イタリアンの鉄人として登場した故・神戸勝彦さん(リストランテ・マッサ)がカッコよかった。イタリア料理ってすごいなって思いました。

調理師専門学校では、レストランのアルバイトを学生に紹介してくれるのですが、そこで紹介されたのがイタリア料理店でした。ニョッキやアマトリチャーナ、サルティンボッカといった古典料理を出すイタリアンです。ここからイタリアンのキャリアが始まりました。学校で紹介された店が中華だったら、もしかして今ごろ中華料理人だったかもしれませんね(笑)。

アルバイト先が、イタリアンをいくつも手がけるグループ企業だったので、卒業後はそのままその店に就職して、グループ内のいくつかのレストランを異動しました。

―――何軒かのお店で研鑽を積み、「リストランテ ドンナ・ドーロ品川インターシティー店」で働いていた時に、当時お世話になっていた料理長の縁で、イタリアへ渡るきっかけを得られました。

あの頃は、イタリア帰りのシェフがスターダムを駆け上がった時代です。日本にもイタリア料理が普及して、州ごとに郷土料理や食文化が異なるといった細分化した情報も出回るようになりました。片岡護さん(アルポルト)、山田宏巳さん(リストランテ・ヒロ)、日高良実さん(アクアパッツァ)といったイタリアンのスターシェフも次々に誕生した時代です。

これはもうイタリアに行かなきゃだめだと、何のあてもなく、イタリア語もできないのに、パッと旅立ちました。とにかく行けば何とかなるだろうと、『ガンベロ・ロッソ』を見ながら40軒くらいのレストランに電話をかけ続けましたが、全部落ちて何ともなりませんでした(笑)。

帰国直前に、『ガンベロ・ロッソ』と並ぶ有名なレストランガイド『エスプレッソ』を記念に買い求めたところ、エミリア・ロマーニャ州が特集されていて、その巻頭で紹介されていたのが、マッシモ・ボットゥーラ率いる「オステリア・フランチェスカーナ」です。最後の望みをかけて電話をしてみたら、明日から来ていいと。そう言われても、こちらは飛行機に乗る直前で、今日の宿さえないわけです。とにかく行けば何とかなるだろうと行ってみたら、今度は何とかなって(笑)、それから9年間マッシモと共に働くことになりました。

―――当時は、だいたい3年間くらい海外のレストランで修業して、帰国して日本でレストランを開くシェフが多かったと思います。9年の海外修業はずいぶん長いですし、最終的には日本ではなく、イタリアで独立して「リストランテ トクヨシ」をオープンしました。早く帰国して日本でレストランをやろうとは思わなかったのですか

イタリアに滞在して、イタリア料理を知れば知るほど奥が深く、3年くらいで学べるものではないと気付かされました。南北に長く、州ごとに特徴があるイタリアを北から南まで回り、有名なレストランで名物料理を食べれば、それでイタリア料理を学んだことになるという風潮に、僕は違和感を覚えたのです。僕がいたエミリア・ロマーニャ州だけでも、たくさんの郷土料理があります。それぞれの歴史や伝統文化を学び、古来の家庭料理を知るおばあちゃんから作り方を習う。そこにたどり着くだけでも、長い時間が必要です。さらにマッシモが生み出すレシピは無限にあり、それを習得するのにも時間がかかりました。

マッシモと過ごした9年間は、学びの多い時間でした。特に僕が感銘を受けたのは、料理人はアーティストであるべきだという彼の考え方です。単にお客様のお腹を満たすおいしい料理をつくればよいのではない。アーティストとして、自分の作品である料理の背景には、どんなストーリーやメッセージがあるのか。シェフはそれを言語化してお客様に説明できなければならない、というのが彼のスタンスでした。だから説明がもう長い長い(笑)。でも、そのおかげで、料理を言葉にできるように、ひとつひとつ考えるようになりました。

「オステリア・フランチェスカーナ」で働いている間に、マッシモが紹介状を書いてくれて、当時料理界に革命を起こした「エル・ブリ」でも、6ヵ月間フェラン・アドリアに師事しました。「エル・ブリ」の厨房には、68人もの料理人がいて、すべてがオーガナイズされ、組織としてレストランを機能的に運営していました。

一方、「オステリア・フランチェスカーナ」は、スタッフを増員したとはいえ、キッチンにはたった8人しかいませんでした。「エル・ブリ」で見たものをもとに、マッシモと共に「オステリア・フランチェスカーナ」をオーガナイズした経験は、後に自分の店づくりにも大変役に立ちました。

―――徳吉さんの勤務中に「オステリア・フランチェスカーナ」はミシュラン二ツ星、さらに三ツ星を獲得しました。後には「世界のベストレストラン50」で世界一にもなっています。そんな素晴らしい体験をして、満を持しての独立の地として、日本ではなくミラノを選びました。それからずっとミラノを本拠地として、料理人としてのキャリアの半分以上をイタリアで過ごしています。イタリアの魅力は何でしょうか。

まずひとつは、イタリアの食材です。「オステリア・フランチェスカーナ」に勤務していた時も、わりと休みをもらって日本に帰国していたので、日本でもイタリア料理をつくる機会がありました。けれども日本の食材を使うと、自分が思い描いていた味にならないのです。アーティチョーク、なす、羊、鶏、パスタ、オリーブオイル…。当時の日本の食材は、イタリアのものとはまったく異なりました。自分が目指すイタリア料理には、イタリアの食材が必要だ。だからイタリアでレストランをやろう。そんなシンプルな理由で、イタリアで開業することを決めました。

それから、イタリアには料理人をリスペクトしてくれる伝統文化があることも理由のひとつです。当時の僕は、イタリアにおける料理人の社会的ポジションは、日本のそれとは違うように感じていました。僕がいまやっていることは価値があり、正しいことだ。イタリアでは、そんな風に自己肯定感を持つことができたのです。

―――独立後、わずか10カ月で、日本人として初めてイタリアのミシュラン一ツ星を得た徳吉さん。ミラノを代表するファインダイニングのオーナーシェフになったわけですが、現在はカジュアルな「BENTOTECA(ベントーテカ)」に業態を変換しています。
いまのミラノで徳吉さんが目指すものとは。続きは後編をどうぞ。

<プロフィール>
徳吉洋二
1977年、鳥取県出身。高校卒業後、上京して調理師学校に進学。都内の複数のイタリアンレストランで経験を積み、2005年イタリアに渡る。最初の勤務先となった、マッシモ・ボットゥーラ氏が率いるモデナの名店「オステリア フランチェスカーナ」で9年間スーシェフを務め、在職中にミシュラン二ツ星および三ツ星の獲得に貢献する。
2015年、独立してミラノに「Ristorante TOKUYOSHI(リストランテ トクヨシ)」をオープン。開店からわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得する。
2019年2月、“分身”を意味する「Alter Ego(アルテレーゴ)」を東京・神保町にオープン。現在ミラノ在住。

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