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バレンタイン発祥の街テルニに行ってみたら、意外な歴史を持つ街だった

バレンタイン発祥の国はイタリアということはご存知でしょうか。本国よりも盛り上がりを見せている日本ですが、その発祥地や起源などは意外と知られていないかもしれません。

由来には色んな諸説があるようですが、そのひとつがローマ皇帝から迫害を受けて2月14日に殉教した聖ウァレンティヌス(バレンタイン)が由来となっている説。ローマ皇帝が兵士の士気を保つために兵士の結婚を禁止したところ、聖バレンタインはこの禁令に背いて兵士の恋人たちの結婚式を執り行ったために処刑されたとされています。このため聖バレンタインは恋人たちから守護聖人として崇められてきたと言われています。

バレンタイン教会の祭壇の聖バレンタイン像 出典Wikipediaバレンタイン教会の祭壇の聖バレンタイン像 出典Wikipedia

この聖バレンタインを守護聖人とするのが、イタリア中部にあるテルニ(Terni)という街でバレンタイン発祥の街とされ、聖バレンタインにちなんで「恋人たちの町」(Città degli Innamorati)というニックネームでも呼ばれています。

バレンタイン発祥のバレンタイン教会に行ってみた

イタリアでもバレンタインデーは商業化しており、恋人同士で祝う日となっていますが、フィレンツェの友人たちにイタリアのバレンタインデーについて聞いたところ、「バレンタインデー発祥の地のテルニに行ったことがあるわ」と言った友人がいました。そのためテルニという街の存在を知ったのですが、「日本ならバレンタイン発祥の地といったら、恋愛成就の神様がいる街とか言われて観光地になりそうなものだな」と思い、テルニという街はどんな街なのか気になるようになりました。

昨年の夏はコロナ禍でのバカンスとなり、海外からの観光客がほとんどいないイタリアだったのでイタリア中を旅したのですが、そのひとつが中部イタリアの旅。連載「二度目のイタリア、次に行くならこんな街」としてこのItalianityでご紹介したのですが、テルニは最後に紹介したマルモレの滝から車で15分ほどのところにありました。

マルモレの滝からの帰りにテルニへ立ち寄ってみることに。ちなみにテルニのすぐ近くにナルニという街もあるのですが、この街のラテン名ナルニアは人気小説&映画「ナルニア国物語」の由来になっています。

イタリア、テルニ、バレンタイン教会

テルニの中心街から3キロほど離れたところに「バレンタイン教会(Basilica di San Valentino)」があり、先に訪れることにしました。日本でなら「バレンタイン発祥の教会」などとして、恋愛おみくじやお守りなどがありそうなものですが、びっくりするくらい何もない教会でした。コロナ禍であり、なおかつ時期もバレンタインとは全く関係ない夏だったためか、周辺には誰一人おらずひっそり静まり返っていました。

バレンタイン教会

「本当にここなのか?」と疑うほど静まりかえったこじんまりした教会で、ごくごく控えめにバレンタイン教会と書かれており、おそらく夜には点灯するであろうハート型のイルミネーションが教会脇に気持ち程度に飾られていました。

説明には「Protettore degli innamorati=恋人の守護者」と書かれている説明には「Protettore degli innamorati=恋人の守護者」と書かれている

中に入ると、特にアモーレ(愛)が主張されるようなものもなく、こじんまりとしていました。この教会の起源は4世紀にまで遡り、聖バレンタインのお墓の上に建てられたそうで、その後17世紀になって現在の教会が建てられたとされています。

イタリア、テルニ、バレンタイン教会

特筆する何かがある教会ではありませんが、個人的にはバレンタイン教会が商業化されていないことを好ましく思いました。

バレンタイン発祥の街は重要な工業都市、戦時中108回も空襲を受けた過去を持つ

バレンタイン教会を後にし、テルニの街の中心地へ向かいましたが、不思議な感覚になる街でした。かつて繁栄したであろうという雰囲気は随所に感じられるものの、どことなく寂しさが街全体に漂っているような印象を受けました。

テルニ市役所テルニ市役所

確かにこの時期はコロナ禍ではありましたが、「まだロックダウン中なのか?」と思えるほど人もほとんど歩いておらず、開いている店もほとんどない状態でした。同じウンブリア州のアッシジやグッビオ、スポレートなどの街を周ってきましたが、どこでもそれなりに人がいたにも関わらず、テルニの中心地は比較にならないほど人がいませんでした。街自体はそれなりに大きいため、街の砂漠化がより一層強調されて感じました。

サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂

2月のバレンタインの時期なら雰囲気は違うのかも知れませんが、夏のテルニは「バレンタイン発祥の街」や「恋人たちの町」の面影は微塵もありません。少しぐらいは何か「バレンタイン発祥の街」を感じられるモニュメントなどがあるかとイメージしていただけに、そのギャップの大きさには驚きました。

コッラド・ヴィニの噴水コッラド・ヴィニの噴水

逆にこの街にいっそう興味をそそられ、このどことなく漂う寂しさは一体何なのだろうかと気になりテルニの歴史を調べることにしました。

テルニの街の起源は紀元前7世紀ごろまで遡るとされていて非常に長い歴史を持つ街であり、ローマ帝国時代には野外劇場や、神殿、橋などの建物が建設されたとされています。3世紀には聖バレンタインが殉教し、この街の守護聖人に。

19世紀には産業革命において鉄鋼業を中心に、兵器製造や各産業の工場が立ち並ぶ重要な工業都市へと成長し、「イタリアのマンチェスター(Manchester italiana)と呼ばれることに。しかし、重要な工業都市だったゆえに第二次世界大戦において連合国軍から108回にも及ぶ空襲を受けることとなりました。しかし、戦後は産業復興を遂げ、現在はまた重要な産業都市になっています。

この歴史を知って、これほど大きい街なのにどことなく寂しさが漂っていることが理解出来た気がしました。しかし、バレンタイン発祥の街が工業都市だったというのは、なかなか面白い発見でした。テルニを訪れる前は、「バレンタイン発祥の街のバレンタイン事情」といったようなテーマで何か書けたらと思っていたため、当初の思惑が外れたわけではありますが、こういった意外性を楽しめることこそ旅の醍醐味。実際に自分の足で訪れてみないとわからないものだなと、改めて旅の魅力を再発見したわけでもありました。

右手の赤い建物は公立図書館右手の赤い建物は公立図書館

ところで、帰宅してからバレンタインデー時期のテルニについて調べてみたのですが、2月のバレンタインデー時期には街をあげてのバレンタインデーイベントをやっぱり行なっていました!メイン通りにはハートのイルミネーションが大きく飾り付けられ、ハートのモニュメントやバレンタインにちなんだ展示会などが開催され多くの人でにぎわうようです。いつか、そんなバレンタインデーの雰囲気に包まれたテルニの街も見てみたい気がします。