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初めてのミラノ|吉本ばななさんのイタリアエッセー

私が人生で初めて触れたイタリアは、パスタでもオーソレミオでもなく、ダリオ・アルジェント監督の怖い映画でだった。小学生のときに彼の映画のファンになり、私の知っているイタリアの街並みは全て彼の映画の中の世界だった。

生まれて初めてお仕事でミラノに行ったとき、なにを見てもこれから怖いことが起こりそうでどきどきしたのと同時に、こんなに怖いのになんて美しい風景だろうと思った。石造り石畳の路地世界の中に、急に教会や広場が現れる。

その大きさたるや、人類の偉大さを感じずにはおれない規模なのだ。

初めての夜、リストランテで出版社の社長のとなりに座った。今はその社長と路地裏のトラットリアの外の席に座って、社長が勝手に私の皿の肉を食べちゃって私が大声を出すというような気さくな関係だが、そのときは「何代も続いているイタリア一の出版社の社長なのだから、気難しいかも」と緊張した。

社長はしょっちゅう話しかけてくるし、ミラノ名物のおいしい食事のお皿が次々出てくるしで緊張している私に、優しくゆっくりした調子の日本語で話しかけてくれた右どなりの男性こそが、私の本を美しいイタリア語に訳してくれたジョルジョさんだった。

「訳しているあいだ、僕は主人公に恋をしているような気持ちでした」とにこにこして言ってくれたけれど、おせじではないと私は直感した。同じ小説を共有した匂いがしたからだ。

私たちは大の仲良しになり、次の日からいっしょに買い物に行ったり、おしゃべりしたりして過ごした。私のアシスタントの女の子が彼をちょっと好きになって、髪の毛をミラノで切って大変身するという冒険をした。彼は「とてもすてきだよ!」と心からほめてくれた。初めは怖いばかりだったミラノの街に、かっこいい髪型で立って頬を染める彼女が、私の初ミラノのいちばんの思い出だ。

イラスト:Rumi Hara
https://www.rumihara.com/

【初出:この記事は2018年2月28日、初公開されました@AGARU ITALIA】