アルピニズムとは?
アルピニズムとは、ロープやアプザイレンなどのクライミング装置を使って傾斜の大きい斜面や絶壁、氷山を制覇して楽しむスポーツのことです。語源はアルプス山脈からきており、アルプスやヒマラヤなど、高い技術を必要とする標高の高い山々へ登ることを意味します。
2019年11月、このアルピニズムが、ユネスコの世界遺産の無形文化遺産に認定されました。「身体能力、登山技術、知性を集合させて難しい山々を超える芸術である」と評価されました。一つの国に限定されない、複数の国にまたがるテリトリーの文化遺産として認められたこと、自然と人間とのバランスについても評価されたことは、世界の関心がより国境を超えた共存や環境保護へと向かっている証拠です。
アルピニズムへの第一歩
イタリアでアルピニズムをグループで楽しむには、イタリア山岳会というアソシエーションの会員になるか、アルプス山岳ガイド連盟などが主催する登山に参加するなどします。もちろん友人同士で自由に入山することができます。海外からの旅人も、登山ツアーを利用すると安心です。
イタリア山岳会は、1863年トリノで発足しました。3,500人の会員でスタートし、現在は合計30万人もの会員からなる大きな組織です。支部は、北から南まで450支部に分散しており、複数支部の合同のイベントなども頻繁にあります。全国ネットワークがとてもしっかりしているのです。会員数が最も多いのはアルプス周辺の支部。例えば、ロンバルディア州には4,000人もの会員がいます。日本山岳会の全体の会員数は5,000人とのことですから、イタリア山岳会の規模の大きさが分かります。
アルプス山岳会は、単に登山を楽しむためだけの会ではなく、トレッキングコースの敷設、清掃・メンテナンス、コース標識の設置、ロッククライミング用のボルダリングボルトのメンテナンス、ヘリコプターで接近不可能な場所で起きた事故の際に、徒歩による救出作業も行います。
筆者の私は、10年前にイタリア山岳会に加入しました。若手へのアルピニズム入門コースを受講し、トレッキングからスペレオロジーという洞窟を探検するケーヴィング、ロッククライミングなど、基礎的なテクニックや装置の使用方法を学びました。
山と人との関わり
人がいつから山へ登るようになったか、はっきりしたことは分かりませんが、ローマ時代ぐらいまでは、人が山へ入るのは放牧や狩猟のためだけでした。3〜4世紀になると、キリスト教の普及と共に、山の中の洞窟や岩肌に祈祷目的のために小さな信仰空間をつくるようになりました。このような聖なる空間は、山間部のアクセスしにくい場所に点在しており、現在はトレッキングに人気のスポットです。
山頂からの風景を楽しむことを初めて書物に記したのは、14世紀の詩人かつ学者のペトラルカでした。南フランスのモン・ヴァントゥ(Mont Ventoux)への登頂の感想を「周辺で最も高いこの山からの風景を以前からずっと眺めてみたかった。」と綴っています。しかし、ペトラルカのような人はこの時代には稀で、17世紀後半までは、山々は狩猟や木材調達、鉱物や金属の採掘の場でした。
アルプスの山が注目されはじめたのは、18世紀半ば。モンブランがアルプスで最も高い山と正式に認められた1745年以降、山に魅了されたイギリス人がまずは登りはじめました。スイスに登山電車がつくられ山岳観光国なると、それまでは貴族やブルジョワジーたちの娯楽であった登山が一気に大衆化します。イタリアのドロミテの魅力を開拓したのもイギリス人でした。ドロミテ山塊の初めてのガイドブックは、1864年にイギリス人によって出版されています。
忘れてならないのは、複数の国境が隣接するアルプス山脈は、常に戦争の舞台の場であったこと。アルプスの山々には、軍隊の駐屯地や要塞跡が保存されています。第一次世界大戦期のアルプス山脈を舞台にした物語は、ヘミングウェイの『武器よさらば』、トーマス・マンの『魔の山』、マリオ・リゴーリの数々の著作に登場しているほどです。
登山を楽しむ
トレッキングをしていると、ロープやヘルメットを抱えた20〜30代の若いイタリア人グループに度々追い抜かれます。イタリアの10〜20代の層に、ここ数年スポーツメーカーの服が普段着にも流行しています。イタリアには、フェリーノ(Ferrino)、サレワ(Salewa)などの登山ブランドがありますが、ドイツのドイター(deuter)やスイスのマムート(Mammut)の登山ウェア・グッズも人気です。もっと安い登山用品も量販店で購入でき、登山初心者は少しずつ買い揃えます。
アルピニズムの楽しみは、自然のなかで山岳景観をじっくり堪能すること。平地ではみることのないような珍しい植物や石を観察するのも楽しいものです。「自然」と書きましたが、このような景観や植物をいつまでも楽しめるように、多くの規制を設けて保護しています。
全ての人が3000mの山頂まで登頂できませんから、途中にある山小屋ではどの年代の人も、ゆっくり楽しめるように計画されています。運ばれてくる食事はとてもシンプルですが、その地域の歴史や地理を語ってくれているようです。
山小屋をコーヒーやトイレ休憩だけに利用して、ピクニックをする人もいます。実は山岳会のイタリア人のほとんどは、ピクニック派。座り心地のよい場所を譲りあい、それぞれが持ってきたアンティパストやドルチェを分けあいます。好きな料理の話など、たわいのない会話をするのはレストランとは違った楽しさがあります。
プライベートの山岳ガイドが主催する登山ツアーには、外国人もよく参加しています。ドイツ人やオランダ人はイタリア人を遠巻きに眺めながらついてくるだけですが、下山する頃にはすっかり打ち解けて、プライベートの話やアモーレの話にも参加している様子をみるのは面白いものです。皆で登るのを楽しむ、それがイタリア側のアルピニズモの特徴でしょうか。
アルピニズムと観光化
スイスは、標高の高い山々に山小屋とリフトを建設して観光化を進め、フランスやイタリアもそれに続いてきました。その結果、現代のアルピニズムはとても大衆化しています。観光化が一人歩きせず、アルピニズムの誕生と共にイタリア山岳会のような組織が発足されたのは幸いでした。国中に大きなネットワークを網羅させて、山岳文化の啓蒙だけでなく、科学的研究や環境保護に貢献し、事故の際には行政や消防団と協力して救出活動する。アルプス三国間で知見も共有しあっています。
アルプス地方の人たちが歩んできた自然と人間とのバランス、これからの山岳地帯の進むべき姿、イタリアのその他の中間山地はどうあるべきでしょうか。引きつづき、山仲間と討論しながらイタリアの山々を登っていきたいと思います。