INTERVIEW

INTERVIEW

自分の人生観を変えてくれた国、イタリアに恋した一人の女性

独占インタビュー|柿澤寿枝(d’amore(ダモーレ)代表)

アモーレの国、イタリア。ファッション、フード、カルチャーなど、イタリアに魅了されている方も多いでしょう。
そしてここにも、イタリアに恋した一人の女性がいます。その名は柿澤寿枝さん。
彼女はオペラ歌手としてイタリアへ、その後イタリアラグジュアリーブランドの社長秘書として活躍、そして現在は職人技の光るイタリアのアクセサリー、バッグを日本で販売しています。
そんな異色の経歴を持つ柿澤さんに、これまでの軌跡を伺いました。

オペラと歌舞伎

歌舞伎などの伝統音楽を演奏する家系に生まれた柿澤さんは、幼い頃から音楽に囲まれて育ち、小学生の頃から毎月歌舞伎座に通っていました。そして宝塚の大ファンでもあった彼女は、宝塚受験のために本格的に歌の勉強を始めたと言います。

「小学生の頃から歌舞伎座には毎月通っていましたね。総合的な演出が身近に感じられ、すっかり魅了されていました。それと宝塚が大好きで、受験のために本格的に歌を始めました。そこで先生に、もっと本格的な歌を目指したほうが良いとのアドバイスをもらったのが、オペラを始めたきっかけです。
実はオペラと歌舞伎は似ているのですよ。どちらも元々は庶民の娯楽であり、色恋沙汰やどろどろした人間関係など誰もが共感できる内容で、普段表面化されていない人間らしさが、数時間にぎゅっと濃縮されているのです。美しい音楽と舞台装置、衣装が組み合わさって一つのものができる点は映画とも似ていますが、オペラや歌舞伎ではライブの高揚感を感じられるのが大きな違いですね。」

オペラの舞台に立つため、いざイタリアへ

その後もオペラを続けた柿澤さんは、イタリアでオペラの舞台に立つという夢を叶えるため、イタリアへ行くことを決意しました。

「大学でイタリア語を専攻していましたが、その時はあまり身につきませんでしたね。(笑)なのでNHKラジオイタリア語講座を毎日聴いて、簡単なフレーズは全部覚えました。そしていざイタリアへ行きましたが、正直厳しい世界というのが最初の印象でした。なかなか受け入れてもらえなかったですね。オペラは見た目を重視し、主役は美しい白人がほとんどで、アジア人の主役は求められてないのです。日本人で出来るのは蝶々夫人か召使役で、日本で活躍している日本人オペラ歌手でさえ、ヨーロッパで挫折してしまうこともよくあるんですよ。」

厳しい世界を目の当たりにし、日本での地盤、人脈作りも必要であると感じた柿澤さんは、その後日本とイタリアを行ったり来たりしながら、約2年間を過ごしました。

オペラ歌手時代の柿澤さんオペラ歌手時代の柿澤さん

「イタリアのオペラの世界はとても厳しいのですが、普段のイタリア人はとてもオープンでフレンドリーな人々ですね。コーヒーを飲みにバールへ行くと、みんな気さくに話しかけてきます。他にも道端で道を聞いたことがきっかけで、井戸端会議が始まったり。こういったイタリア人の温かい人柄がとても好きなんです。
またイタリアでは職業による偏見が少なく、誰もが自分の仕事に誇りを持っていて、お互いを尊重していると感じました。日本では、ホワイトカラーとブルーカラーのように、職業による偏見がイタリアに比べて大きいと思います。歌を職業にしているというと、少し変な目で見られたり。
一方で、イタリアと日本の共通点も発見しました。伝統を大切にするところは、特に大きな共通点だと思います。日本では手紙などで”お変わりありませんか?”と聞きますが、これは変わらないことを良しとするとも言えますよね。イタリアも同じで、特に変化を求めていないのです。いつ行っても変わらない同じ街並みがそこにはあるのです。中には、いつ会っても全く同じ服装をしている友達もいましたよ。(笑)」

オペラ歌手からイタリア某有名ブランド社長秘書へ

約2年間のイタリア滞在を終えて日本に帰国した柿澤さんは、イタリア語力を活かしてドルチェ&ガッバーナの社長秘書として新たなキャリアをスタートしました。

「日本人社長の秘書として、社長のサポートの他、イタリアからのビジター対応などを行っていました。日本人スタッフの中には、イタリア人のやり方を理解できない人もいましたが、その点についてはイタリア滞在経験が役立ちましたね。イタリア人に対して、いつも尊敬の念を持って働くことが出来ました。
実はドルチェ&ガッバーナは、オペラ界で最高峰とされるスカラ座のオフィシャルスポンサーを務めるなど、ファッションブランドでありながら文化をとても大切にするブランドなんですよ。ミラノ本社で工場見学に伺った際にも、メイドインイタリーへのこだわりをすごく感じました。」

シチリアで出逢ったレースショップ

ドルチェ&ガッバーナで働きながら、イタリアとの接点を持ち続けた柿澤さん。シチリアで復活祭の際に行われる聖行列をどうしても見たいと思い、初めてシチリアを訪れます。

「シチリアでは復活祭の際に、シチリア人にとっての正装であり、特別な意味を持つ黒い服をまとった人たちが、マリア様やイエス様の像を担いで教会から街中を行進する儀式があるのですが、それをどうしても自分の目で見てみたいと思い、一人シチリアに向かいました。血や涙を流した聖像を担ぐ行列の後ろには、もの悲しい音楽を奏でるバンドが付いていて、とても圧倒されました。
余談なのですが、シチリアではオペラで使われているような古いイタリア語を日常的に使っていて、とても感動しました。古いイタリア語を使うことは、イタリア語に対する誇りを表しています。イタリアでは、それぞれ独自の表現の仕方があって、言葉を通して自己個表現しているのです。」

こうして復活祭の聖行列を見るために初めて訪れたシチリアで、その後の転機となる出会いを果たします。

「シチリアにはたくさんのレースショップがあるのですが、そこでレースのピアスに出逢ったのです。一目ぼれでした。日本ではレースのピアスはあまりないですよね。他にも派手に装飾されたシチリアの伝統的カゴバックにも出会い、こちらも一目ぼれしてしまいました。」

日本に戻った後も、シチリアで出逢ったレースのピアスとカゴバックへの情熱を押さえきれなかった柿澤さん。ドルチェ&ガッバーナを離れ、自身で日本向けに販売することを決意。こうして「d’amore(ダモーレ)」が誕生しました。

「イタリアのショップに連絡をして、販売の話をしましたが最初は怪しまれたね。(笑)それでも少しずつ関係を築き、今ではパートナーのような存在です。現在はTità Bijoux(ティタ ビジュー)Vichi Handmade(ヴィーチ ハンドメイド)の2ブランドを扱っています。

イタリアでは大きめのピアスが多いのですが、日本では小さなピアスが好まれる傾向があります。バッグに関しては、イタリア人は美しさのみにこだわり、機能性は重視しないため、すごくおしゃれなんだけどすごく重い!というバッグもあるんです。(笑)そこでお客さんからの意見をもとにデザイナーと相談し、日本向けにデザインしたアイテムも展開しています。日本向けにデザインしたものが、イタリアでもラインナップになったものもあるんですよ。」

人生観を変えてくれた国、イタリア

オペラから始まり今に至るまで、柿澤さんの人生に大きな影響を与えたイタリア。そんなアモーレの国、イタリアについて彼女は「自分の人生観を変えてくれた国」と述べています。

「イタリアでは、ネガティブな部分を認めたうえでポジティブを考えていると思います。それは一筋の光は、暗闇がなければ認識できないのと同じことでしょう。そのベースには、人間として生まれた苦しみという、カトリックの国ならではの考えが影響しているのかもしれません。
私にとってイタリアは自分の人生観を変えてくれた国。場所も言語も文化も人も食べ物も、イタリアのすべてが大好きです。」

d'amore(ダモーレ)代表 柿澤寿枝さんd’amore(ダモーレ)代表 柿澤寿枝さん

d’amore(ダモーレ)ウェブサイト
https://www.damore.jp/

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