イタリアは今まさにクリスマスという年に一度の大行事のために、国民全体が買物だ何だと奔走する時期を迎えていますが、イタリア人の家族を持つ私も当然毎年この慌ただしさに巻き込まれており、はっきり言って12月は自分で自由に使える時間が皆無の月、と言ってもいいかもしれません。
今年は義父母が次々にインフルエンザでダウンしてしまったこともあり、いつもよりは比較的忙しさが抑制されてはいますが、それでも24日、25日と連日で準備している親戚一同を集めた食事会は、たとえインフルエンザ菌が飛び交おうとも、今年もいつも通りに実施されるのだそうです。
よそのイタリアのお宅も果たしてここまでやるのかどうかは知りませんが、義父母はクリスマス以外にも年に数回、このような家族や親戚一同を集めた大集会を催し、それぞれの古い家系図を辿って、今迄一度も会った事も無いという遠方在住の人にまで声を掛けたりします。ちなみにこれまでで一番遠方在住だったのは、ブラジルのサンパウロ在住の親族でした。姑の母系列のひとりが19世紀末にサンパウロの劇場付きのオペラ歌手としてブラジルに渡航したのをきっかけに、今ではイタリアから遠くはなれたその土地にも、同じ名字の人達が何人もいるのだそうです。声をかける方も凄いですが、その誘いを受けて遥々飛行機に乗ってやってくる親族のバイタリティも半端ではありません。
イタリア人達の家族・親族結束意識が世界においても比類ないものであることは、例えばいくつかの映画作品を通じて良く知られているところではあります。中にはもちろんそうではないイタリア家族もいるとは思いますが、まだまだマイノリティと言えるでしょう。基本的にこのような家族・親族結束メンタリティが育まれた理由のひとつとして、やはりイタリアという国を通り過ぎていった歴史的背景を無視することはできません。
地中海に突き出した長靴型のこの島国は、その立地条件も影響して古代から実に多様な文明・文化の交差路であり続け、海と陸の双方からやってくる他民族の入れ替わり立ち替わりが激しい土地でもありました。その中でもシチリア島は、カルタゴに継いでギリシャの植民地、そして古代ローマでその次はビザンチン、アラブにノルマン、ドイツのシュタウフェンにフランス、スペイン、オーストリア、そして再びスペイン、と書き出してもキリが無いくらい、外からやって来た人達に統治をされる歴史が長く続いた場所でもあります。そんなうやむやな環境の中であれば、土地の人々が自らのアイデンティティに対して執着を抱くのも当然のことであり、「マフィア」という家族組織の原型が生まれてしまったのも、ある意味やむを得ない顛末だったとも言えるかもしれません。
イタリアの人達といえば世界中の人が誰に対してもフレンドリーで開放的な民族、と思われがちですが、容易に知らない人を信頼しないという意味では世界の中でも突出しているように私には思われます。信じるのであれば国よりは地域、地域よりは家族。家族の中でも夫婦よりはマンマと子供、そして最後は自分、というように彼らが心を本当に許すのは、極々身近な人に限られているようです。
こういった家族至上主義的意識は当然社会にも様々な影響を及ぼし、例えば就職にしても外部のエリートよりは低学歴の親族を雇う方がいい、というイタリア人も未だに少なくはありません。私が暮らす北部の中小企業系の会社の多くは、私の知る限りその多くが家族や親族によって経営されています。ツテやコネという言葉がイタリアでは昔から横行していますが、それは何世紀も昔から普遍的に続いている傾向と言えるでしょう。
とはいえ、親族間でも容赦なくその関係性に亀裂が入る場合も多々あります。
一昨年のことですが、姑が自分の家系を辿る壮大な古い家系図をブックデザイナーに依頼して多額のお金をかけて作り直し、それを何十人もの親戚一同に売りつけたことがありました。立派な紙に印刷された小洒落た家系図の値段は1冊50ユーロ(約6,500円)。いくら親族とはいえ別に皆が欲しいと賛同したうえで作られたものでは無かったので、勿論購入を断る親族もいるわけで、それに対して姑は「なんなのよ、あんたたち血のつながりが大事じゃないわけ!? それでも親族なの!?」と猛反発。「家系図なんて無くたって家族は家族よ! 親族を口実にそんな高いもの押し売りしないでよ!」という有様の大騒ぎになりました。
今でもその購入を拒絶した親族たちと姑の間では仲直りが成立しておらず、去年のクリスマスの食事会に彼らは現れませんでした。今年は果たして彼らにクリスマスの挨拶をすることが叶うのかどうかが気になるところですが、こうして端から見ているだけでも、親族・家族の結束をメンテナンスしていくというのも、なかなか容易な事ではないのでありました。
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【初出:この記事は、2017年12月26日に初公開されました@AGARU ITALIA】