夏になるとチーズの生産量が増え、イタリア人のチーズ消費量が増加します。暑い夏には、肉類や魚介類よりも軽く、簡単に切って食べられるチーズはとても便利です。
都市と農村
70年代に日本で幼少期を過ごした私にとって、「アルプスの少女ハイジ」の数々のシーンは忘れることのできない世界でした。なぜペーターは学校に行かずにヤギ飼いをしているのか、なぜ彼はヤギ飼いであるのに、チーズを食べることができないのでしょうか。酪農に携わる人と都会でチーズを消費する人の間には大きなギャップがある、そんな都市と農村の対局のイメージが私の中で定着していました。
移牧、香り高い草を求めて
牧夫が何百頭もの家畜をつれて移動する様子、イタリアの丘陵地帯でよく遭遇する風景です。フレッシュな草をなるべく長く食べつづけられるように、家畜の群れを季節によって移動させる家畜管理を移牧といいます。移牧といっても、何日も歩いて移動する移牧もあれば、山頂と麓の村を行き来するだけの小さな移牧とさまざま。イタリアでは、移牧はローマ時代にははじまっていたといわれています。
チーズづくりのための放牧の群れは、当然ながらほとんど雌のみ。1〜2頭だけが雄で、首に大きな鈴をつけて先頭を歩いていると牧夫が説明してくれました。赤ちゃんが生まれると、しばらくの間、親子は一緒に行動します。しかし、いずれは引き離されます。赤ちゃんと母親を引き離す日というのは、母羊たちは動かなくなって泣き続けるというのです。この話を羊飼いから聞いたあとは、イタリアの伝統料理に出される子羊や子牛だけでなく、普段チーズを食べるときでさえ、雌牛や雌羊の心情を考えずには食べられなくなってしまいました。
牧夫の1日
牛飼いや羊飼いの仕事は、聖書にも出てくるように、世界で最も古い職業の一つです。
牧夫の1日は、まだ暗いうちからはじまります。搾乳は通常1日2回行われ、現在は機械で搾乳することがほとんど。朝6時頃までには、搾りたての生乳をチーズ工房へ運びます。
そして再び家畜小屋に戻り、放牧に出かけます。色とりどりの小さな小花がついた草をゆっくり食べる牛や羊たち。安全な土壌に生える自然な植物を食べ、ストレスがなければ、栄養価の高い乳がたくさん搾乳できます。まさに、人間の母乳と同じなのです。
かつての牧夫は家畜と山で寝泊まりし、時には何カ月も家族の元に帰ることができませんでした。家畜が草を食べる間、牧夫は毎日どんなことを考えているのでしょうか?
携帯電話がなかった時代の牧夫は詩や歌をつくったりしていたそうです。アブルッツォ州に伝わる牧夫たちの歌を歌ってもらいました。方言が強く、理解するのに時間がかかりましたが、自然や動物、家族、大事な家畜を狙う狼についてなど、それだけで1冊の本になりそうなほどの世界観です。
夫が移牧で何カ月も留守になると、村は女性たちだけでした。育児、家事、畑仕事、小麦挽きにパンづくりで毎日が大忙しだったといいます。
現代の牧夫には、「アルプスの少女ハイジ」に出てくるペーターのような人はいません。普通の若者と同じ格好をして、家畜を追いながらSNSを使って世界に発信しています。
子供はベビーシッターに預け、夫婦でチーズをつくり、観光客用のチーズスタンドを切り盛りします。時代は大きく変わりました。
真夏や冬、天候の悪い日の放牧は過酷です。筆者の私が放牧についていった際には、突然の大雨で服やカメラがずぶ濡れになってしまいました。繊細な草花が咲く地盤は元々柔らかく、歩くたびに靴が15cmぐらい沈んでしまいました。
牧夫の仕事を手伝うのは、牧畜犬です。小さいときから訓練させているため、ペットのように犬を撫でたり、抱きしめることは禁じられています。
たくさんの動物を放牧させながら、1人でチーズをつくることはできません。通常はチーズ生産者に生乳を売るか、残りの家族や仲間がすぐにチーズづくりにとりかかります。全ては生乳がフレッシュなうちに済ませなければならないので、牧夫にとっては午前中がとても重要です。
変わりゆくイタリアの風景
イタリアからこうした放牧風景が消えつつあります。イタリアの零細酪農家にとって、東ヨーロッパなどの近隣諸国から運ばれてくる生乳価格には到底太刀打ちできないからです。こうした低価格の乳製品は、生まれてから死ぬまで狭い檻に家畜を閉じ込めて生産する、集約畜産という方法がとられていることがほとんどです。
その結果、牧夫たちが夏の放牧期間に過ごした村や集落はすっかり廃墟となり、放牧地は荒れはじめました。スーパーの安売りで買いすぎ、廃棄され続ける食材。悪化する人間と動物の関係。多くのイタリア人がこうした状況に危機を感じ、少しでもよりよい社会となるように、各地で声をあげています。