【連載第1回】歓喜と悶絶のカウンター 東京・亀戸「メゼババ」シェフ高山大 Vol.1【イタリアに焦がれて】
【連載第3回】「italianità」を得るために 東京・亀戸「メゼババ」シェフ高山大 Vol.3【イタリアに焦がれて】
【連載第4回】イタリアの郷土料理を尊重するということ 東京・亀戸「メゼババ」シェフ高山大 Vol.4【イタリアに焦がれて】
【連載第5回】お客さんに喜んでもらうために 東京・亀戸「メゼババ」シェフ高山大 Vol.5【イタリアに焦がれて】
「イタリア料理」になるため、日常生活にも「イタリア化」を徹底
メゼババのメニューは日替わりだ。そしてこのカウンターでは、ときどき少し不思議な皿が供される。例えばそれはウニの冷製パスタや、あまおういちごのリゾット――。ある意味、日本らしい素材を使ったメニューである。こうしたメニューを口にした客は「イタリアにも、こういうメニューはあるんですか」と問いかける。
高山の回答はたいていこうだ。
「やー、向こうにあるかはわからないですねえ」
そう言って、「ただ」と言葉を継ぐ。
「イタリアの料理人が同じ素材を見たら、こう調理すると思います」
2000年から2007年頃までの7年間にわたるイタリア滞在中に始めた高山の「イタリア化」は、帰国後も続いていた。和食やラーメンといった「日本っぽい食べ物」は引き続き遠ざけていた。付き合いなどでそうした品を食べるとき、フォークをもらうほど徹底していた。
生活にまつわる嗜好、志向、思考をすべてイタリア化させた。自然にイタリア人らしい発想が出てくるよう、行動やインプットを「イタリア人ならこうする」ように自ら仕向けたのだ。
「『イタリア化』は僕のなかで究極とも言えるプロ意識の形でした。逆に言うと、それくらい徹底することで、やっとイタリア料理になることができる。僕、怖がりなんですよ。『この程度で満足していたら、ダメになるんじゃないか』っていまでも考えますし、どうしたらもっと喜んでもらえるか、営業中もずっと考えてます」
最高にイタリアな一皿を発想するために
イタリア化が完了したのは2013年にメゼババをオープンさせた頃。だが、高山はいまもイタリアの古典レシピを徹底的にさらう。手のかかる古典的な調理法を自分の血肉とし、客の知的好奇心を満たせるような皿の背景を頭に叩き込む。あらゆる角度から客を喜ばせる労を厭わない。
そんな「メゼババの高山」の姿勢を象徴するイタリア語がふたつある。ひとつは「furbizia」(フルビツィア)、もうひとつは「italianità」(イタリアニタ)だという。
イタリア人に聞くと「furbizia」は「スマートな」「頭がいい」と解釈する人もいれば「あれこれ理屈をつけてすぐサボろうとする、イタリア人ならではの気質を指す」という人もいる。解釈が難しい。
一方、「italianità」は「それ、まさにイタリアだね!」などというようなポジティブな文脈で使われる「イタリアらしさ」を意味する言葉だという。
「”furbizia”――形容詞の”furbo”(フルボ)で使うことも多いんですが、あれこそが僕が考えるイタリア人の本質。ざっくり言うと、『いい意味でずるい』。かみ砕くと「目的を達成するために、手段を選ばず最適解を考え抜く気質」というような意味でしょうか。僕の料理、『ずるい』って冗談交じりに言われることもあるんですが、その通り(笑)。『もっとずるい手法、お客さんに喜んでもらえる方法はないか』ってずっと考え続けてますから」
高山が目指した自身のイタリア化は「italianità」な「furbizia」――「客が超喜んでくれる最高にイタリアな一皿を自然に発想するため」に行われてきたのだ。
メゼババでは営業開始後に、調理前の素材を客に見せることがある。エアポンプごと手持ちで運んだ活けの伊勢海老や一般流通には出回らない塊肉……。仕込みに手間のかかるものも多く、本來は営業前に仕込みをしたほうが効率はいいはずだ。
「皿の上のことだけを考えたら、事前に仕込んだほうがラクですよ。でもいい素材って見せたくなる。実際お見せするととても喜んでもらえます。だからどんなに面倒でもなんとかしたい。逆に『今日はラクだな』と思えてしまう日は、どこか気が抜けていたりもする。そんな日にはわざわざ手のかかる品をおすすめして、自分を追い込むこともあります」
冒頭で紹介した、ウニの冷製パスタのために、ウニはひとつひとつ殻から身を外し、オリーブオイルで豪快に和え、繊細な味わいに仕上げる。細く絡まりやすい冷製パスタは客自身が取り分けるのは難しい。大皿にドンと盛るのではなく、一皿に1人前ずつ盛りつける。その他の注文の調理やワインの提供、洗い物などやるべきことはカウンターの内側に山積みだが、高山は今日も一人ですべてを取りしきる。
客席の喧騒をよそに、実は繰り広げられている孤独な格闘。その成果がカウンターの向こうへと届く時、いずれかの席で生まれた高揚感は隣席に伝播し、ほどなく店内に充満する。今日も亀戸では、歓喜の声が爆ぜている。
(続く)
文・写真/松浦達也