個性的なカラーリングとデザインに、「にゅ」のロゴをあしらった何ともユニークなスニーカー。大人の遊び心を刺激するハンドメイドスニーカー「にゅ~ずスニーカー」を皆さんご存じでしょうか?
実はこのにゅ~ずスニーカー、一つ一つ手作業で製作されていて、どれも販売開始後すぐに完売してしまうほどの人気商品。にゅ~ずスニーカーは『via SANGACIO(ヴィア・サンガチオ)』というハンドメイドスニーカーブランドより製作・販売されています。
今回は、フィレンツェで靴デザインを学び、イタリアで感じた「日本らしさ」を靴づくりに反映しながらスニーカーを生産されている『via SANGACIO』 デザイナー兼オーナーの前田一輝氏にお話を伺いました。
―――まず、代表作にゅ~ずスニーカーが誕生した経緯についてお聞かせいただけますか?
フィレンツェの総合芸術学園Accademia Riachi(アカデミアリアチ)に留学した時に、「日本人らしい、自分にしかできない表現をしなさい」と先生によく言われていました。当時は「日本人らしいってなんだろう?」と思っていましたね。
1年の留学期間中に「カミーノ・デ・サンティアーゴ」というスペインの巡礼の旅に出かけ、海外の人と触れ合う中で、そこでも「日本らしさ」について考えていました。2か月くらいしてフィレンツェに戻ってきたんですが、お金がなくてどうしようか考えていたところ、フィレンツェは観光客も多いし、これは観光案内でお金を稼ごうと思ったのです。
そこで、学校の油絵のクラスに行って、段ボールと油絵具を借りて、「留学生が見つけたおすすめスポットをご案内します」という看板を2つほど作ったんですよ。
その看板を持って街中に立っていると、外国の方が近づいてきて「この看板、なんて書いてるの?」と聞いてくるんです。「これは日本語だよ。日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字を使って言葉をつくるんだよ。」と説明すると、3種類の表記があることにびっくりされました。
「日本らしさ」という要素としての日本語はキーワードの一つとして浮かんでいて、実際当時のフィレンツェでもちょうど、Superdry.の『極度乾燥しなさい』という日本語のTシャツを着る人を街中で見かけ始めている頃でした。海外から見た日本について考えながら、留学を終えて日本に帰国する予定だったんですが、留学先のサンガチオの寮で泥棒に入られてしまったんです。
ほとんどのものが盗まれたもぬけの殻の状態でどうしようか考えていましたが、幸い保険に入っていたので保険金約30万ほどを持って、無事に日本に帰国することができました。
実は中学生の頃からビジネスに憧れがあって、帰国後は自分の会社を持って、大好きな靴を売りたいという想いがあったんですね。でも、日本では30万では起業できないし、考える時間もない。ただ、なんとなく自分の中で、3か月時間があれば何か準備できるんじゃないかという根拠のない自信があったのです。そこで、30万円で3か月で何かできるところと考えた結果、タイに行くのが良いのではないかと思いました。
早速片道切符だけ買ってタイに行き、1泊2,000円くらいのホテルに宿泊しましたが、滞在中にお金も10万を切り、あるのはパソコン1台だけ。幸い、昔広報の仕事をしていたので販売についての知識があり、かつイタリア留学中に得た仲間や神戸の靴屋でリペアを行っていた仲間がいたので、彼らと仕事をしたらどうか?と思い、タイで始めたのが靴のカスタム屋さんでした。
お客様から、例えばナイキ、アディダス、ニューバランスなどの靴を部分的に変えてほしいというご依頼を受けて、お客様から送っていただいた靴をカスタムして、代金引換でお戻しするというようなサービスを始めました。
そして、2012~2013年頃に、スニーカーのロゴを「にゅ」に変えてほしいというオーダーが入り始めたのです。その頃、ある程度ビジネスの展望も見え始めている頃で、何かライセンスを取って自分のブランドにしたいという想いがあり、その時ふとイタリアで自分の中で思い浮かんだ日本語というキーワードと、「日本人らしい靴を作りなさい」と留学先の先生に言われたことが自分の中でリンクしました。そこで当時オーダーの多かった「にゅ」のライセンスを申請してみたところ、許可が下りたんです。
靴製作のノウハウがあり、一緒にビジネスをする仲間もいたので、「にゅ」のスニーカーを製品にして売り出していこうと始めたのが、にゅ~ずスニーカーの始まりです。
―――いろんな要素がリンクしてにゅ~ずスニーカーが誕生したんですね。「にゅ」のように、海外から見たひらがなは、どんなイメージを持たれていると思いますか?
ひらがなについては、正直よくわかっていないと思います。そもそも日本で3つの書体を使い分けていることもあまり知られていないように感じましたね。
ただ、ひらがなは、丸っぽくて、可愛くて、文字というより一つのマークとして見るといろんな見方があります。例えば、にゅ~ずスニーカーに使用されている「に」は逆さまにすると人の顔に見えますよね。
あくまで形だけでしか入ってこないので、海外の人から見たひらがなは、僕らがアラビア文字を見るようなイメージだと思います。
―――代表作にゅ~ずスニーカーは、発売後すぐに完売になる商品も多数あり、一般の方はもちろん芸能人の間でも愛用者が多い人気商品ですよね。前田さんご自身ではにゅ~ずスニーカーが広く愛されている理由をどのようにお考えでしょうか?
これは、僕がスニーカーでビジネスをしたい、と思った根源にも関わりますが、僕は中学生の頃からスニーカーを集めていたんです。お小遣いがなかったので新聞配達をして、月1回の休みで毎月16,000円くらい稼いでいました。
毎朝しんどかったですが、エアジョーダンや70年・80年代のナイキのコルテッツとか、ヴィンテージのかっこいい靴が欲しいという思いで、とにかく新聞配達を頑張りましたよ。そしてお金を3~4万程貯めては、いろんな古着屋に連絡して靴を買いに行くんです。
色んなスニーカーを集めていたというバックボーンから、にゅ~ずスニーカーには、カジュアルで単純な見た目の中に、実は僕なりに昔の靴の配色や素材の使い方を反映している部分があります。例えば、カーマインレッドという商品があるんですが、僕の憧れだった名作スニーカー『エアジョーダン6カーマイン』を作ってみたいという想いから誕生しています。
にゅ~ずスニーカー『カーマインレッド』
僕自身、靴製作の経験があって、いろんな靴を履いてるので、履き心地という点では、ご購入いただいたお客様にはご満足頂けているのではないかと思います。
沢山購入いただいている方が他の方に紹介される時、「この靴、ディズニーランド3周しても疲れないよ。」とか「この靴1日経っても疲れない」と言って紹介してくださるんですよ。
僕自身が靴をすごく好きで、中学生の頃から自分の労働を靴に捧げてきたようなものなので、靴に対する情熱という点は他のスニーカーメーカーや大手メーカーさんに負けない部分だと思います。
―――なるほど。靴に対する前田さんの情熱がファンの方にも伝わっているんですね。特に靴の製作の部分でこだわられている点はありますか?
他社メーカーさんが合皮や他の素材に代わってきているところを、via SANGACIOではほとんどオール本革を採用しています。革の厚みや色合い等全て指示を出させてもらって、張物でなくて一から革を作っているんですよ。
また、スニーカーのゴムの部分については、既製品のゴムを使用するのではなく、ゴムの粒子の配合から指定して、出来上がったゴムの硬さも僕が一点一点チェックしています。5種類ほどのゴムの硬さを作ってもらって、滑りやすさ、柔らかさ、履き心地のテストをし、僕が一番履き心地がよいと思ったものを使っています。
それから、普通だとゴムは靴底の板の部分を靴型に抜いた一枚を靴につけるのですが、僕たちはゴムについても、前の部分を柔らかく、後ろを硬くするなどして硬さを変えています。
―――スニーカー1点1点に対するこだわりが伺えます。靴の検品もとても厳しそうですね。
普通の靴屋さんだと、製作工程で100足できたら抜き打ちで2,3足チェックするんですね。僕たちは、仮に100足生産した場合、全足に対して1足につき2回~3回のチェックを行います。靴が完成したら、まずスタッフが靴を全てきれいに磨いて、焼き止め(紐の先端を溶かして溶着する糸処理方法)をして、糸のほつれもチェックしています。また、スニーカーだと皮に糊がついて取れていないこともあるので、ピンセットで綺麗に取って製品にし、梱包の時にも再度チェックして、検品しています。
他の会社さんに比べると靴1足に対するこだわりは、僕が知る限りトップクラスではないかと思います。
―――via SANGACIOの靴はどこで作っているのでしょうか?
タイにある工房『SANGACIO INTERNATIONAL』で製作しています。
有名な靴屋さんで手作りされているメーカーさんもありますが、ほとんどの場合、生産過程で下請け業者に回しているんですね。via SANGACIOでは、タイのSANGACIO INTERNATIONALで作っています。
―――タイで生産されているんですね。現地でのスタッフのトレーニングはどうされていますか?
実は、スニーカーの生産について、日本にはノウハウが少ないんです。これは少し大きな話になりますが、日本の靴産業は衰退してきていて、一環してスニーカーを作れるところはおそらく僕の知る限り1社だけですね。あとは、ほぼ分業制になっていて、糊付け、靴底の生産、縫製、チェックなどそれぞれの工程を異なる下請け業者が行い、靴が作られています。
逆に東南アジアには、スニーカー作りの設備やノウハウが蓄積されています。70年代後半~80年代のナイキの靴などはほぼ東南アジアで作られていて、メイド・イン・台湾やベトナムが多かったように思います。
なので、日本で作るよりも何倍もクオリティが高いものをタイで作ることができるんですよ。彼らに日本式のもっと丁寧な作業を教えるだけでいいのです。
また、via SANGACIOは代理店を通さず、企画から製造・検品・輸出・輸入までを自分たちで行うので、非常に高いクオリティで商品をお客様に提供できています。
―――FIAT、Peter MacArthur、パ・リーグ、ゴーストバスターズ、ニューヨーク市など、業種も国も越えて数々のブランドや都市とコラボされていますが、コラボされるときに気をつけている点や大事にされている点をお聞かせいただけますでしょうか?
コラボレーションで大切にしていることは、コラボレーションのパートナーの世界観をどう靴に反映するかということです。これは毎回テーマであり、チャレンジになるところですね。
―――なるほど。特にニューヨークのような都市とのコラボレーションでは、その世界観を靴に落とし込むのはかなりのチャレンジだったのではないでしょうか?
ニューヨークはスニーカーの文化が生まれた場所なんです。そんなスニーカーにとって影響がある街、ニューヨークと是非コラボしてみたいと思い、実現しました。ナイキの靴がなぜ爆発的にストリートで売れ始めたのかというと、僕なりの見解ですが、今までアスリート向けに作っていたものを、ニューヨーカー達が街で普段履きをし始めたことが普及につながったのではないかと思っています。
僕も幼い頃、そんなスニーカー文化を生み出したニューヨークに影響を受けたので、僕自身のルーツ的な部分もニューヨーク市とのコラボでは大事にして、カラーリング、素材感などに反映しました。
―――今後コラボしてみたいブランドや、製作してみたい商品のアイデアについて教えていただけますか?
「歩む」をテーマに、僕たちの新しいブランドでもある「via SANGACIO」を一緒に歩んでくれるブランドや仲間とのコラボレーションができればいいなと考えています。
例えば、イタリアだと、フィレンツェ市内のバス・トラムを運営するataf(アタフ)という会社や、スーパーマーケットとのコラボレーションも面白いですね。イタリアってパスタのパッケージ一つとっても綺麗でかわいいので、靴にも反映できるし、イタリアのルーツも感じられてよいと思います。あとはイタリアのアーティストやブランド、キャラクターなど「イタリア」というキーワードが入ったコラボレーションは積極的にしていきたいなと思っています。
―――最後に、今後の靴工房サンガッチョの展開について、お聞かせください。
今までの弊社の名前は「サンガッチョ」というポピュラーな言い方ですが、実は、これはイタリア語の日本語なまりの発音で、正しくは「サンガチオ」と呼ぶんです。
これまで6年近くサンガッチョとしてやってきましたが、これからはサンガチオとしてさらにステップアップした靴のデザインを作っていきたいと思います。
音楽で言うと、これまでの6年間は伴奏、これからは、サビの前の小節が始まるというイメージですね。
どうやって会社を経営していくのかという段階から、これからはどうやって自分の好きなデザインの靴を作っていくのかというステージに入ると思います。
イタリアでは通りの名前にviaという単語がつきます。サンガチオは通りの名前なので、ブランド名を『via SANGACIO』という名前に変えて、これからはこのサンガチオという通りを一緒に歩んでくれる仲間を増やすブランド展開をしていけたらと考えています。
ただお客様に靴をお渡しするのではなく、我々が作った靴を通して人生を満喫してももらえるような靴を作っていけたらと思います。
ひらがなのスニーカーを原点として、今後もっと自分を表現できるものに変えていくために、via SANGACIOとしてリブランディングすることにしました。
―――素敵なブランディングですね。にゅ~ずスニーカーだけではなくて、今後は他の商品も含めて展開されていくということでしょうか?
はい、そうですね。実は僕も最近子どもが生まれたこともあり、愛妻家というコンセプトで、靴を通して世の中の奥様や子ども達への愛情表現ができる靴も作ってみたいなと思っています。留学中に奥さんを大事にするイタリアの文化に触れたこと、そして、仲の良い家族と一緒に住んでいたことがこのインスピレーションの源になっています。
―――大きな変化になりそうですね!今後のvia SANGACIOの展開が楽しみです。ありがとうございました。
via SANGACIO