ようこそ「シゲノリ・サローネ」へ。エディターの濱口重乃(ハマグチ・シゲノリ)さんをホスト役に、イタリアのデザイン(ファッション、インテリア、プロダクト)やカルチャーに精通するゲストをお招きしてトークを繰り広げる対談スタイルの連載です。
第1回目のゲストは「LEON.JP」編集長の前田陽一郎さん。2006年から「LEON」の編集を手がけ、男性ファッションを最前線で見つめてきた前田さんに、イタリアの男性ファッションの現在、そしてこれからについて伺いました。(前口上:「SHOP ITALIA」編集部)。
対談構成:梅森 妙、「SHOP ITALIA」編集部
中編、後編はこちら↓
◆イタリアの男性ファッションのこれから/ゲスト:前田陽一郎さん(「LEON.JP」編集長)【中編】
◆イタリアの男性ファッションのこれから/ゲスト:前田陽一郎さん(「LEON.JP」編集長)【後編】
創刊当初は「LEON」=イタリアンファッションではなかった
濱口:前田さんは「LEON」の編集者になる前から、イタリアのファッションやデザインが好きだったんですか?
前田:いや、予備知識はほぼゼロでした。
濱口:そうなんだ。
前田:最初は、わからないブランドだらけで戸惑いましたね。ただ「LEON」って、結果的にはイタリアが重要なキーワードになっていきましたけど、本質的には「大人のライフスタイル誌」というコンセプトですから、対応はできました。
濱口:「LEON」という雑誌のキャラクターをつくる必要があって、そのわかりやすいサンプリング元が「いつまでも人生を楽しもうとするイタリアの男性」だったってことですね。
前田:そうですね。「LEON」は2001年創刊なんですけど、当時は高校生が時代のけん引者でした。その一方で「オヤジ狩り」という言葉が出てきて、大人の男性は、お金しかない❝終わった❞存在に追いやられていたわけです。それに対するカウンターとして打って出たのが「LEON」だったんです。「いやいや、俺たちはまだまだ❝男❞だ」っていうあの勢いは鬱積したものが解き放たれるような強さがありましたよね。結果的に、その世代の声にならない声を代弁して支持を集める形になりました。
ゲスト:前田陽一郎さん 「LEON.JP」編集長
Yoichiro Maeda
3.11が日本のファッションのターニングポイント
濱口:前田さんはピッティ・ウォモ(PITTI IMMAGINE UOMO:イタリアのフィレンツェで毎年1月と6月頃に行われる世界最大級のメンズプレタポルテの見本市)にも、ミラノ・コレクションにも毎年行っていて、実際に最前線でメンズファッションを見てこられたわけだけど、どんなふうに変化してきました?
前田:まず、日本におけるファッションの流行の変遷を追っていくと、1920年代、30年代はフランスブーム、40年代、50年代はイギリス、一方で終戦と同時にアメリカのカルチャーが急速に入って来て、それから長くファッションの指針はアメリカだったんじゃないかととらえています。そこから91年のバブル崩壊後、指針を失った日本が求めたのが陽気でポジティブなイタリアのライフスタイルであり、大量生産ではなく、職人の手仕事によるイタリアのファッションだったんだと思います。
そして国際的なファッションの変遷から見たイタリアブームは、1983年にクラシコイタリア協会が設立されたことが大きいんじゃないでしょうか。60年代前半まではイタリアのファッションはオーダーメイドだったんですが、60年代後半から徐々にプレタポルテに変わっていきます。1972年にジョルジオ・アルマーニがメンズコレクションを発表し、80年代になるとそれまで糸屋さんや布屋さんの集まりだったピッティ・ウォモが大規模な見本市になり、「3G」(ジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコ・フェレ、ジャンニ・ヴェルサーチ)に代表されるイタリアのブランドがアメリカでも有名になり、ハリウッドスターが着るようになりました。日本でもメンズファッションといえばアメリカ、フランス、イギリスしかなかった中にイタリアが入ってくる。このような流れから80年代前半から30年以上、イタリアンファッションが最高峰という流れが続いていました。
そうした流れが日本において大きく変わっていくターニングポイントとなったのが、2011年の3・11、東日本大震災だったと思います。戦後初めてのナショナリズムが日本人に芽生えて、「日本の美しさって何だろう」ということを考え始めた。そして、徐々にイタリアだ、アメリカだ、フランスだ、イギリスだ、という海外への強いあこがれ――あこがれってコンプレックスを多分に含むものだと思っているんですけど――そこから、「いや、おれたちは日本人じゃないか」と回帰していくのが、この5年間くらいだと思うんですよ。
濱口:2011年以降、読者の反応は変わりました?
前田:「イタリア好き」「アメカジが好き」っていう人がいなくなるわけじゃないんですよ。ただ、ゆっくりと意識は変化してると思いますね。
ホスト:濱口 重乃さん
日本でのイタリアンカジュアルの変革。Tシャツにジャケットを羽織るニューエレガンス
濱口:イタリアのファッション自体も変化してますよね。
前田:ユーロが導入されて以降、マーケットが大きくなり、国際化を余儀なくされたようですね。さらに近年のデジタル化とファッションビジネスの変化もあって、自分たちがこれまでやってきたことだけに固執していてはダメだっていう意識は強くなってきているようです。
たとえば、ファブリックに対する価値観ひとつ取っても、大きな変化が見られつつあります。もともとクラシックなコートとダウンで知られるHERNO(ヘルノ)というブランドは、クラウディオ・マレンツィという社長がクラシコイタリア協会の会長だったときに、ピッティでいきなりナイロンのコートを出してきたんですよ。それは正直、クラシコイタリアのブースの中では違和感があったんですが、それまでコットンやウールでつくられていたコートのデザインがナイロンに変わった瞬間に、僕から見ると、すごく新しいものが出てきた印象だったんです。それはつまり、しっかりしたコート作りのベースがあるからこそ、ファブリックが置き換わるだけで、新しいコートへと昇華できるんですよね。その頃からでしょうかね、目に見える変化は。今ではピッティ・ウォモでTシャツにジャケットを着る人たちがいるくらいですから。
濱口:それは驚きですよね。イタリア人は襟付きのシャツしか着なかったでしょ。今はミラノに行っても、Tシャツの上にジャケットを着てて、イタリアのファッションが急に変わってきましたよね。
前田:つい最近までは「Tシャツはエレガントではない」「あくまで下着で、人前で着るものではない」って言われてましたから、それは革命的な変化ですね。
長らくイタリアンカジュアルの象徴は、アメリカに留学して英語が話せて、アメリカンファッションとイタリアンファッションの融合を見事にやってのけたフィアットの元名誉会長ジャンニ・アニェッリ(1921~2003年)だったんですよね。
ところが彼の孫たち――ラポ・エルカーンが有名ですが、英語でコミュニケーションするのが当たり前の世代になると、Tシャツ、短パン、スニーカーというアメリカ人と変わらないファッションになってきた。
イタリア人と話していると、僕らと同世代の40代後半から50代くらいは、1986年に映画『トップガン』が流行ったときに、当時の僕たち日本の若者と同じようにTシャツにジーンズ、MA-1を羽織って、ブーツやスニーカーを履くっていうスタイルを楽しんだらしいんです。それを古い世代の人たちは、「あれはアメリカンファッションで、エレガントではない」と眉をひそめて見ていたはずなんです。そんな層が今40代後半から50代になって、ある程度発言権を持つようになり、「ニューエレガンス」というものを定義し始めたんじゃないかと思います。
国際化していくイタリアは、何を「売り」にしようとしているのかというと、伝統的な手仕事の「美と歴史」でしょうか。家内制手工業で続いてきた「美と歴史」に裏打ちされているから、たとえナイロンを使ったスーツをつくったとしても美しいんだ、ということを外へ向かってアピールしようとしていると思いますね。
濱口:それは説得力あります。イタリアのファッションって、一時ちょっと時代遅れになってきたかなっていう時期があったんだけど、最近また頑張ってますよね。それは何なんだろうって思ってたんだけど、前田さんが言うように、急激なグローバル化やデジタル化だったり、最新のテクノロジーだったり、現代的な文脈に沿いつつ、「美」に回帰してるのかもしれない。
(続く)
中編、後編はこちら↓
◆イタリアの男性ファッションのこれから/ゲスト:前田陽一郎さん(「LEON.JP」編集長)【中編】
◆イタリアの男性ファッションのこれから/ゲスト:前田陽一郎さん(「LEON.JP」編集長)【後編】